『現代思想 2020年2月号』から2022年08月11日 21:42

2021年10月28日記す。
 大黒岳彦「量子力学・情報科学・社会システム論 量子情報科学の思想的地平」。
 「量子情報科学が思想次元で成遂げたことは、大きくいって二点ある。第一は物理的リアリティを構成する三つの〈相=層〉の存在と、この三〈相=層〉が独立自存できず、相互的関連の中で契機としてのみ存在し得ること、を明らかにした点。三つの〈相=層〉とは、「意味」「情報」「物質」である」(p.154)。
 「第二点目は、量子力学においてパラドックスとみなされていた事象・事態が量子情報科学の水準において弁証法的に使用されると同時に、従来、微視系のみに限定されていた量子系が巨視系にも拡張されたこと」(p.155)。
 量子コンピュータでは、生きても死んでもいる猫が飼いならされていることなどを指す。

『現代思想 2020年2月号』から2022年08月10日 21:40

2021年10月28日記す。
 全卓樹「量子力学と現代の思潮」。
 「観測者をも含む世界全体の理解を潔く断念したコペンハーゲン思想は、別な見方をすれば、量子力学を世界の根本原理とはみなさず、物理学実験室での結果予想手順書として扱う、実質上の実用主義的な観点と解することもできる」(p.123)。
 波動関数確率解釈の発見者マックス・ボルンの言葉「絶対的な確信、絶対的な確実さ、最終的真理といったものは想像力の産物であって、科学のいかなる分野にあっても受け入れられないものだと、私は考えます。一方確率に関する主張は、それが基づく理論に応じて、正しくも誤りでもあり得るのです。この思考の緩和こそが、現代科学が我々に与えた最大の祝福だと、私には思えるのです。唯一の真実、そしてその所有者であるという信念は、世界の全ての悪の根本原因なのです」(p.131)。

『現代思想 2020年2月号』から2022年08月09日 21:29

2021年10月25日記す。
 丸山善宏「圏・量子情報・ビッグデータの哲学 情報物理学と量子認知科学から圏論的形而上学と量子AIネイティブまで」。「ヒルベルト空間は状態ベースの世界観であるが、量子論理も作用素代数も基本的には(状態の双対である所の)函数ベースの世界観である。作用素は状態を状態に移す函数であり、作用素の中で命題を表すものたちを集めてきたのが量子論理である。状態をプリミティブに取るのではなく作用をプリミティブに取る。廣松渉の言葉を借りれば、モノ的な世界観に対するコト的な世界観であると言っても良い」(p.86)。
 「「自然科学における数学の不合理なまでの有効性」という言葉で広く知られるユージン・ウィグナー」(p.86)。
 「物理的に意味のある少数の公理から実在の全てを説明することは理論物理学の基本的な欲求である。しかしその際に基本となる概念を選択する必要がある。それには物質やエネルギーといった様々な概念がある。アインシュタインによれば物質はエネルギーであり、エネルギーを根本として物質の在り方を説明することもできる。情報物理学はその名の通り「情報」を根本として物理学を展開する。実在の究極的な構成要素は何なのかという問いは古来から幾度も発せられてきた。その問いに対する最も現代的な答えが「情報」である」(p.87)。
 「量子計算が特別なのは(産業の役に立つからではなく)それが量子力学それ自体に対して、新たな情報論的理解をもたらすからである。換言すれば量子計算はイノベーティブな応用技術ではなく物理学の新たな基礎理論なのである。量子計算は応用技術であると同時に基礎理論であるというより穏健な言い方をしても良い」(p.87)。
 「集合論に基づくブルバキ的構造主義では実態が構造に先行する。一方、圏論的形而上学においては構造は実態に先行する」(p.89)。
 「微分方程式が世界を幾つかの変数により表現される全体として扱い、世界をバラすことなく一挙にその全体をモデル化するのに対して、圏論は世界がその部分構造から全体構造へと段階的に構築されてゆく、世界の合成的機構をモデル化する(このような見方はアブラムスキーによる)」(p.90)。
 「言語の文脈においては、統計的AIは「類似した文脈に現れる言語は類似した意味をもつ」という後期ヴィトゲンシュタイン的な意味の使用理論にインスパイアされた「分布仮説」と呼ばれるものに基づいている。これは、言葉の意味はそれを取り巻く大きな文脈の中で決まる(部分の意味は全体を参照して決まる)という、文脈依存的な意味の全体論に当たる。一方、記号的AIは合成原理(Compositionalityの原理)に基づいており意味は局所から大域へと伝搬する(全体の意味は部分の意味から構成される)。統計的意味論が後期ヴィトゲンシュタイン的であるのに対して、記号的意味論は前期ヴィトゲンシュタイン的である(合成原理も文脈原理もフレーゲによるとされるが近年の歴史研究ではフレーゲはいずれも採用しなかったとされる)。圏論はこのような二つのAIパラダイムの融合を可能にするのである」(p.95)。

『現代思想 2020年2月号』から2022年08月08日 21:53

2021年10月24日記す。
 佐藤文隆「hのない量子力学 機器がつくる世界」。
 「(略)リンゴでも同じ個物は二つとない。ところが五感的でないミクロの電子となると、「ヒゲを生やした電子」などはおらず、概念としての電子と個物の全電子は同一視され、個物の世界と学問記述の世界は縮退してしまい、「自然のことは自然に聞いてそれに従え」との態度がむしろ強まった。「概念=個物」の元祖が神なら、ミクロの存在は神になったと言える。ところが、マッハは物理学の概念は便利な間主観的認識者製の道具にすぎないと喝破していたから、ミクロ世界の探求で神に出会った高揚感に浸る物理学者の間では興醒めのものだった」(p.68)。
 「古典で考案された概念を量子階層に持ち込めばハレーションが起こることは納得がいき、量子世界の不思議は当然に思えた。身体的体験ができないのだから直感的に納得がいかないのは当然で、ありのままに自然を見ない修業が物理学の玄人になる道だと割り切った」(p.69)。
 「今度の「量子超越性達成」とは情報処理のスピードでの飛躍のことであるが、そのカラクリはもつれて重なった多世界の状態を一回の操作で変換できることにある。物理的存在である五三個の素子に作用して2の53乗個の状態を操作できるのである。モノは確定状態にはなく重なった無数の状態にあり、その重なり具合を外部から操作できるのである」(p.71)。
 「だから、宝くじ購入者の多数の夢のように、「多世界」はあくまで概念上のことであり、現実を写すものではないのである」(p.71)。

『現代思想2020年1月号』から2022年08月04日 22:16

2021年10月12日記す。
 山内朋樹「描線の生態系 漫画『風の谷のナウシカ』における森=腐海の発生」。
 宮崎駿の漫画版『風の谷のナウシカ』の腐海は、環境保全的な問題意識から構想されたものではなく、実は、絵としての面白さから着想された、という趣旨。実も蓋もない言い方をすれば「砂漠より森の方が絵として面白い」というところから腐海は生まれた。
 エッセイの題名にもなっている「描線の生態系」という言葉が大変に気に入る。作家の意図や思想からではなく、描線相互の関係が絵を作り上げる、という、作品の作家からの自立性を感じさせるからであろう。