『現代思想 2020年2月号』から2022年08月08日 21:53

2021年10月24日記す。
 佐藤文隆「hのない量子力学 機器がつくる世界」。
 「(略)リンゴでも同じ個物は二つとない。ところが五感的でないミクロの電子となると、「ヒゲを生やした電子」などはおらず、概念としての電子と個物の全電子は同一視され、個物の世界と学問記述の世界は縮退してしまい、「自然のことは自然に聞いてそれに従え」との態度がむしろ強まった。「概念=個物」の元祖が神なら、ミクロの存在は神になったと言える。ところが、マッハは物理学の概念は便利な間主観的認識者製の道具にすぎないと喝破していたから、ミクロ世界の探求で神に出会った高揚感に浸る物理学者の間では興醒めのものだった」(p.68)。
 「古典で考案された概念を量子階層に持ち込めばハレーションが起こることは納得がいき、量子世界の不思議は当然に思えた。身体的体験ができないのだから直感的に納得がいかないのは当然で、ありのままに自然を見ない修業が物理学の玄人になる道だと割り切った」(p.69)。
 「今度の「量子超越性達成」とは情報処理のスピードでの飛躍のことであるが、そのカラクリはもつれて重なった多世界の状態を一回の操作で変換できることにある。物理的存在である五三個の素子に作用して2の53乗個の状態を操作できるのである。モノは確定状態にはなく重なった無数の状態にあり、その重なり具合を外部から操作できるのである」(p.71)。
 「だから、宝くじ購入者の多数の夢のように、「多世界」はあくまで概念上のことであり、現実を写すものではないのである」(p.71)。

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