。ボエル・ヴェスティン著『トーベ・ヤンソン 人生、芸術、言葉』2023年09月02日 22:00

 トーベ・ヤンソンの伝記、研究書。
 ムーミンの成功以来、関連ビジネスや取材、ファンの訪問や手紙に忙殺されて、創作に集中できないと嘆く場面が何度も繰り返される。それでもムーミンビジネスなどを委託することはせず、全てを自分で管理し、事細かに注文を出したりする。この妙に頑なな性格は仕事や生活の全てに渡っていて面白い。
 作品に関しては、自由と孤独の問題、とくに芸術表現の主題からの分析が強調されており、それは重要な側面だと俺も思う。しかし俺には、ムーミン作品の背後に流れる不安感には「現実と虚構の境界の曖昧さからくる存在の不安」があるように思えてならない。いや、これは自分の興味に引き付け過ぎた読み方かな。
 いずれにしても「ムーミンは大人こそが読むべきだ」という従来からの俺の主張を補強する一冊である。

『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』2023年09月08日 22:25

 相変わらず、ジャック・スパロウの性格設定が面白い。体の一部が欠けた亡霊たちのCGも面白い。脚本は面白くない。が、そんなことは最初から期待していない。画面が全体にどんより重苦しい。ホラー的側面を強調したのであろうか。悪くはないが、どこか一か所くらい明るい華やかな場面があっても良かったのでは。
 最大の欠点は、ジャックの愚者性ばかりが描かれて、彼の英雄性が描かれないこと。ジャックの最大の魅力は、彼が愚者でありながら同時に(意図せぬ)英雄でもある、つまりトリックスター性にある、と俺は思っているのである。

大森望編『NOVA2023年夏号』2023年09月08日 22:26

 女性作家のみによるSFアンソロジー。まあ、読んでるときは意識しなかったが。読み終わった今も、女性だからどう、という感じはない。むしろ、フェミニズムやジェンダーを意識させる要素がないな、という感じ。
 俺が一番面白かったのはやはり、というか、高山羽根子「セミの鳴く五月の部屋」。あるゲームをしている人たちがいる。実はそんなゲームが存在しているのかどうか判らないらしいのだが、勝手に「ゲームを読み取って」プレイしているようなのである。さまざまなインターネットの書き込みや、町内の掲示板、街の落書きなどに、ないかもしれない意味や法則性を無理矢理に解釈して、順々にたどっていく迷路か宝探しのようなゲーム。奇妙な遊びだが、プレイヤーたちが楽しんでいるだけならそれで良い。
 ところが、メッセージの解釈を間違えた者が無関係なところへ訪ねて行くことがある。それも、間違い電話のように繰り返し。主人公の部屋には、インターホンを押して「五月にセミは鳴くか」と訪ねてくる謎の人物が入れ替わり立ち代わりに繰り返しやって来る。
 存在しないかもしれないゲームをプレイする。

飯田隆著『新哲学対話 ソクラテスならどう考える?』2023年09月09日 22:51

 対話形式のエッセイを四篇収録。いずれも、ソクラテスが現代の哲学的問題にどのように対応するか、を想像して書いたもの。ソクラテスが語るのだから、中世以降に生まれた哲学用語は使われない。基本的には日常会話で使われる言葉の範囲内で語られる。
 よく「難しい話をやさしく話す」などと言うが、難しい話をやさしく話すことはできない。そんなことができたなら、それはもともと難しい話ではなかったのである。高度な物理学の内容など想像してみればわかるはずである。ただし、見慣れない専門用語をより日常的な用語に置き換えることはできる場合もある。
 哲学用語などは、今日まで使用されてきた経緯などがあって、今となっては無駄に難解な用語も別な用語に置き換えにくい状況もあって、仕方がない面もある。しかし、意識無意識を含め、自分を偉く見せるためにやたらと難しい言葉を使いたがる傾向もあるに違いない、と俺は睨んでいる。
 ともかく、内容が難しいかやさしいかはともかく、この本では、用語だけは日常的な言葉に置き換えられている。そのため冗長になり、却ってわかりにくいのでは、と思われる部分もないではないが、用語の難解さは回避されている。
 「アガトン----あるいは嗜好と価値について」では、ワインの良し悪しを中心に、個人の嗜好と一般的な価値、一時的な相対的価値と普遍的な絶対的価値、などについて議論される。
 「ケベス----あるいはAIの臨界」では、「中国語の部屋」の問題を中心に、計算機は計算あるいは思考をしていると言ってよいか、という議論が展開される。俺の考えでは、中国語の部屋の中の人は中国語を理解していないが、中国語の部屋のシステム全体は中国語を理解している、と言ってよいのではないかと思っている。「理解」という言葉の使い方にもよるのだが。
 「意味と経験----テアイテトス異稿」は言葉の意味とは何か、という議論。林檎という言葉の意味は具体的な林檎を指し示すことができるが、「そして」とか「ある」とかの意味はどのように示すことができるか、みたいな話。俺の考えでは意味とは「関係」である。
 「偽テアイテトス----あるいは知識のパラドックス」では、自己言及のパラドックス、いわゆるゲーデル的問題について議論される。
 それぞれ、内容も面白いのだが、哲学的問題が日常の言葉に置き換えられること自体がなんだかおもしろい。言葉を置き換えることによって、問題がずれたりしていないのか、なんてことも気になる。ソクラテスにはぜひカントやヘーゲルやハイデガーやサルトルやドゥルーズ的な問題も議論してもらいたいものである。何なら、仏教や儒教や道教も。

フランシス・ホジソン・バーネット著『消えた王子』上下2023年09月11日 22:21

 岩波少年文庫。作者は『秘密の花園』のバーネット。時代は漠然とだが一九世紀末から二〇世紀初頭。自動車はまだ一般化していない。ロリスタン父子は政情不安な祖国サマヴィアの再興を願いながら、ヨーロッパを転々として暮らしていた。
 この父子は最初から完璧な理想的人物として描かれる。つまり、主人公の成長を描く教養小説ではなく、昔の児童文学によくある、理想的な子供が苦労する話である。その代わりではなかろうが、主人公のマルコが出会った足の不自由な少年ラットは、この出会いをきっかけに貧民の不良少年から成長を始める。
 父ステファンも関わっているサマヴィア復興のために活動している「秘密組織」のメンバーに重要な伝言を伝えるという使命を帯びて、マルコとラットはヨーロッパ中を旅する任務に就く。
 サマビィアには「いつか、五百年前に姿を消した「消えた王子」の子孫が姿を現して、祖国を立て直す」という伝説があった。典型的な貴種流離譚だが、典型だから退屈かと言うとそんなこともない。人物が活き活きと描かれているからということもあろうが、やはり、神話元型的なものの持つ普遍性のようなものが人の心に働きかけるということもあるのではなかろうか。
 サマヴィア再興に関して、マルコとラットの果たした役割がもう少し具体的にわかればもっとカタルシスがあったであろう。