宝樹(バオシュー)著『三体X 観想之宙』2023年05月01日 22:24

 「三体」シリーズのファンだった、作家としてデビューする前の宝樹による二次創作作品。作品の内容は、主にシリーズで描かれなかった空白部分の補完と謎解きで、特に第一部と第二部は会話で構成されており、また、文章が描写よりも説明に寄っていて、小説的なダイナミズムに乏しい感じがある。もともと当時は作家でもなかったファンによる創作なのだから、小説になっていない、というのはないものねだりである。もちろん、三体シリーズの読者には、空白部分の想像と解釈の一つとして面白く読めるのである。
 それに比べると、第三部はかなり「小説になっている」。人類滅亡後、人類をはるかに超えた超越存在同士の宇宙の運命を賭けた戦いが描かれている。ワンダーなイメージも多い。もちろん欠点もある。何億年もの寿命を持ち知性も人類をはるかに上回っている筈の超越存在たちの精神構造は、もっとはるかに成熟していたり、あるいは異常に歪んでいたりするべきだろうし、語られる哲学も、生の一回性とか、永遠と自由とか、現在の人間が考えるような範囲内でしかない。しかしこれがファンライティングであることを考えれば、それらも過大な要求であろう。

ヘンリー・カットナー著『ロボットには尻尾がない』2023年05月05日 22:31

 連作短編集。SFではおなじみのマッドサイエンティスト物のドタバタ喜劇。書名がなんともシュールで素晴らしい。主人公のギャロウェイ・ギャラガーは、泥酔した時だけ天才になる科学技術者。酔いが醒めると目の前に自分の作った発明品があるのだが、何の役に立つのか、どんな原理で動くのかさっぱり覚えていない。依頼者からは既に手付金を受け取ってしまっている。という状況の中で、自分の発明品の機能を探る、というのが毎回の基本的な展開形式。
 「世界はわれらのもの」で、ギャラガーがつくったタイムマシンで、未来の火星からうっかり呼び寄せてしまった知的生物が面白い。兎くらいの毛皮に包まれた生物で、たった三人で地球を征服する計画を立てている。どんな計画か尋ねると、まず大きな都市をいくつも破壊する。そして「かわいこちゃんたちを捕まえて、人質にする。そうすれば、誰もが恐れおののいて、われわれが勝つ」(p.65)。全員が恐ろしく楽天的で、計画の成功を信じて疑わないが、ギャラガーの元でやっていることはミルクとクッキーをもらって食べることだけである。
 「うぬぼれロボット」は、星新一のショートショートのようなタイトルだが、ナルシストのロボットが登場する。テレビ会社のオーナーがやってくると、自分に出演依頼をしに来たと思い込む。誰もそんなことは言っていない。「出演料を値切りたくて、わざとらしく、わたしをほしくないなんてフリをする必要はありませんよ」(p.137)。噛み合わない頓珍漢な会話が展開する。

オクテイヴィア・E・バトラー著『血を分けた子ども』2023年05月06日 21:46

 短編集。残酷な内容の作品が多い。ほとんどの作品はSFだが、SFにすることによって現実の残酷さが強調されてしまう作品が多い。
 「夕方と、朝と、夜と」は、遺伝的疾患によって自分自身を傷つけてしまう病気を描いているが、生まれる前に原因がある訳で本人には全く不条理な残酷さである。水見稜の『マインドイーター』は影響を受けているかな、と思う。いつも言うことだが、先に書いた方が偉いとか、真似だから駄目だとかいう話ではない。
 俺が一番強い印象を受けたのは「恩赦」。地球に植民地を築きつつある異星人に研究のために拉致された主人公。一旦解放されると、人類の裏切り者として徹底した虐待を受ける。人間の弱さや悪さや愚かさを直視した作品である。これもいつも言うことだが、一旦ここを直視しなければ希望を語ることはできない。
 オクテイヴィア・E・バトラーは今後邦訳が続くようで嬉しい。

サラ・ピンスカー著『いずれすべては海の中に』2023年05月11日 22:45

 SF的幻想的短編集。シュール系の幻想小説や未来を扱ったSFなど多様な作品が収録されているが、いずれも衝撃的なすごみではなく、じわじわ来る面白さ。
 社会批判的な主題を含むものもあるが、決定的に「これが正しい」という明確な結論に至るものはない。「孤独な船乗りはだれ一人」の主人公が両性具有者である点などは象徴的である。こういうのはアメリカ文学では珍しい。奴らは全般に「良いか悪いか、正しいか間違っているか」という判断が下せない状態に耐えられない傾向がある。俺の偏見かもしれないが、アメリカでも女性作家は結論が下せない状態に耐える作品を書いているような気がする。ジュリア・デイビスとか。
 俺が一番好きなのは「イッカク」。主人公の女子大生は、不思議な中年女性に雇われて、彼女の自動車旅行の交代運転要員になる。雇い主の母親から受け継いだ自動車がなんと鯨の形をしている。そして運転席には機能の判らないボタンがたくさんついている。主人公は好奇心に勝てず、間違えたふりをしていろいろなボタンを押してみる。そのたびに奇妙なことが起こるのだが、あるボタンを押すと車は角を生やしてイッカクに変身する。イッカクは雇い主の母親と関連があるらしい街に停車する。好奇心の強い主人公がうろつきまわると、雇い主も知らなかった母親の正体が、薄ぼんやりと浮かび上がってくる。という主筋も面白いのだが、好奇心の塊のような主人公と、ただひたすらに予定を効率よく消化しようとする雇い主の、噛み合わないやり取りが苛立たしくも楽しい。

小川洋子著『からだの美』2023年05月12日 22:17

 エッセイ集。外野手の肩、ミュージカル俳優の声などスポーツ選手や芸術家の体のほか、ゴリラの背中、カタツムリの殻など動物の体についても語られる。
 「子どもの頃、テレビや絵本でバレリーナを目にするたび、トウシューズの中で爪先がどんなふうになっているのか想像しては、いつも恐ろしい気持ちになっていた」(p.37「バレリーナの爪先」)。
 「それにしても一体誰が、爪先で踊るなどという残酷なことを思いついたのか。大地を踏みしめるための形に進化した足の裏を使わず、力を受け止めるにはあまりにも頼りない爪先に、全体重をかけるのだから、その時点ですでに理屈を無視していると言える。進化に逆らい、足をトウシューズという檻に閉じ込めてでもなお、人は、大地から遊離した存在を実現させたかったのだ」(p.40「同」)。
 「大地から遊離するとは、岸辺を離れ、向こう側へ近づくことに等しい。それはたぶん、死後の世界なのだろうと誰もが分かっている」(p.41「同」)。
 「人は、そこにないけれどある、ものに出会った時、より静かに心の目を見開く、実際には見えないはずのものを見た、と思える時、いっそう心を揺さぶられる。人形遣いの隠れた腕は、ないけれどある、という矛盾を意図もやすやすと乗り越え、現実よりももっと切実な心理を浮き彫りにする」(p.86「文楽人形遣いの腕」)。
 「レースの魅力は、網目に光が透けて見えるところにあると思う。細やかな編み目一つ一つが透明に光り、自分の目に映っているのが、糸そのものなのか、網目が作り出す空洞なのか、分からなくなってくる。自分はそこにないはずの、空洞を見て綺麗だと思っているのだ、と気づくとき、レースの持つ奥深さに魅了される。ないけれどある。レースはこの究極の矛盾を、いとも軽やかに私たちの前に差し出してみせる」(p.106「レース編みをする人の指先」)。
 ないけれどある。