エイミー・ベンダー著『レモンケーキの独特なさびしさ』2023年05月15日 22:07

 長編。ローズは食べたものを作った人の感情を読み取る不思議な能力を持っていたが、それが役に立ったことはないばかりか、不愉快な思いばかりし、能力を重荷に思っている。ローズの兄のジョセフはふいに消えていなくなることがあった。兄妹はともに神秘的な力を持っているのだが、それが「世界」に対して何らかの効果を発揮することはほとんどない。ジョセフは終に焼失したままこちら側に帰って来ないが、それは一般的な失踪事件として処理される。ローズの料理人の感情を読み取る力も、この手の物語でよくあるように何かを解決することは全くなく、ローズ自身の内面の問題として描かれる。
 そのためばかりでなく一家は大きな歪みを抱えているのだが、ローズと両親は「一般的な幸福な家庭」を必死で演じている。偏見かもしれないが、こういう「自分の異常さから目を逸らし抑圧している」アメリカ人は多いような気がする。どうも奴らは「自分が明るくて元気で健全であること」を不自然に強調しているように見えることがある。
 その点、ジョセフは自分が健全かどうかなどということには全く興味がない。両親にもローズにもわからないが、ジョセフには何か独自の関心があってそれに没頭しており、他人のことはどうでも良かった。俺にはジョセフの方が共感できる。

。オクテイヴィア・E・バトラー著『キンドレッド』2023年05月19日 21:39

 長編。一九七九年発表の名作SF。一九九二年に邦訳されているが不勉強なことに初読。舞台は二つの時代を交互に行き来するタイムスリップ物。
 主人公のデイナは一九七六年を生きるアメリカの作家を目指す黒人女性。彼女は突然十九世紀前半の世界に入りこみ、白人少年ルーファスの命を救う。その後、デイナは繰り返しその時代にタイムスリップし、そのたびに少年の危機を救う。どうやら、ルーファスが命の危機に陥るたびにデイナが訪れて救うことになっているらしいのだ。その体験は、一九九六年の世界では数週間の間に起こったことだが、過去の側では、デイナが戻るたびに数年の月日がたち、ルーファスは少年から大人になっていった。
 デイナは、ルーファスの恩人であるにもかかわらず、黒人であるという理由で、一九九六年の基準で言えば激烈な虐待を受ける。デイナは人種に関して、何とかルーファスに良い影響を与えようとするが、願い空しく、ルーファスはこの時代の白人男性として成長していく。
 ルーファスとデイナの関係が面白い。ルーファスはデイナを庇護者として慕っているが、この時代の白人として黒人に敬意をもって接することができない。また、ルーファスはアリスという黒人女性を愛するが、ルーファスの傲慢で身勝手な愛はアリスを傷つける。ルーファスはデイナとアリスを愛するが故に支配しようとし、愛するほどに対象から憎まれた。ルーファスはそのことにいら立つが、この時代の男性として、黒人を一人の人間として扱うことは終にできなかった。
 こうやってあらすじを書くと、教訓的な物語のように見えるかもしれないが、一人一人の人間が現実感を持って生き生きと描かれていて引き込まれる。この時代の黒人の置かれた状態は不条理だが、不条理が現実だったのである。大岡昇平の『野火』などもそうだが、現実を不条理として描くことに成功すれば名作になる。

デイヴ・ハッチンソン著『ヨーロッパ・イン・オータム』2023年05月24日 23:32

 長編。カバー裏には「「ジョン・ル・カレとクリストファー・プリーストが合作した作品」と評された、オフビートなSFスパイスリラー」とある。未来のヨーロッパを舞台にしたスパイ小説で、確かにクリストファー・プリーストを思わせる不条理幻想文学的な感じもある。
 設定が奇妙である。西安(シーアン)風邪パンデミックの影響で、EUは実質的に崩壊し、マイクロ国家が乱立している。ミュージシャンや作家のファンクラブが国家を宣言したりしていてシュール。ひときわ特徴的なのは、ヨーロッパを横断する路線を領土とする鉄道国家「ライン」。
 興味深いことに、この小説の発表は二〇一四年、つまりイギリスのEU離脱よりも前であり、新型コロナウィルスのパンデミックは影も形もない頃である。イギリスでは著者は預言者と呼ばれたりしている。まあ、SFは占いではないので、予測が当たったから偉いということはない。
 シェフであったルディは、「森林を駆ける者(クルール・デ・ボワ)」という組織に加入する。この組織は、世間からはスパイ組織のように思われているし、実際にそのような仕事もしているのだが、元々は宅配便業者だった。機密性の高い荷物や非合法な荷物などを扱っているうちに、スパイ的な組織に変容していったのだ。筋が通っているような捻じれているような由来である。
 ルディは与えられた任務をこなしていく。成功することも失敗することもあったが、どうやら組織には優秀と評価されているらしい。しかし、ルディはどこかでこの仕事にスパイごっこのような気恥しさを感じていた。つまり現実感を感じきれないでいた。
 ところが、やがてルディは死者が続出する笑えない任務に関わるようになっていく。多くの登場人物に楽しい癖があり、語り口もどことなくユーモラスなのだが、事態はどんどん深刻になっていく。ルディには進行している出来事の全体像が全く判らないまま、どういう意味があるのか判らない任務をこなし続ける。
 以下ネタバレ。
 実は、並行世界的なもう一つのヨーロッパが重なり合って存在しており、そこを経由すれば、ヨーロッパのどこにでも自在に行き来できるのである。森を駆ける者を含むスパイたちは、このもう一つのヨーロッパへの出入り口を奪い合って死闘を演じていたのである。この辺りの、シュールというか幻想的というか不条理というか、時空の歪んだイメージはなるほどプリースト的である。

宮沢伊織著『神々の歩法』2023年05月27日 01:02

 連作短編集。スーパーヒロイン物。超新星爆発によって吹き飛ばされてきた地球外の知性体が人間に憑依して、地球を破壊し始める。彼らは、超新星爆発と長期にわたる宇宙漂流の影響でみな精神を病んでいる。発狂した宇宙人による地球侵略である。比較的穏やかな狂い方の宇宙人が憑依した八歳の少女が、人類を守るために次々に「漂着」する宇宙人の憑依体と闘う、というのが主筋。
 一番面白いのは、三次元以上の高次幾何学体である宇宙人が繰り出す攻撃の幻想的イメージである。宇宙人の攻撃は高次幾何学的なので、人間の体を使ってある形を描き出すことによって、高次元の力を放出することができる。つまり、踊ることによって力を蓄え攻撃する。題名にある「歩法」とはこの踊りのことである。第三話「エレファントな宇宙」では、宇宙人が宇宙からデータをダウンロードして破壊的な「怪獣」を一種の3Dプリンタで出力しようとする。
 米軍のサイボーグ兵士なども登場するが、あまり強烈な個性を持った登場人物は出て来ない。しかし超人と化した八歳の女の子とサイボーグ兵士たちの心通い合いは温かく楽しい。

マーサ・ウェルズ著『マーダーボット・ダイアリー 逃亡テレメトリー』2023年05月28日 22:31

 短めの長編と掌編二編を収録。形式はいつも通りのミステリー。俺はミステリーには興味がないのだが、何しろ主人公の魅力に参っているので最後まで楽しんで読んだ。主人公は構成機体と呼ばれる培養された人体と機械のハイブリッドロボットで、人間の警備を目的に製造された。警備と言っても、公的なものではなく、元々は企業の所有物であったが、今は新たな所有者によって自由を与えられている。人間の神経組織を部品として使っているので感情がある。
 「弊機」と自称する主人公は、警備ロボットとしては非常に優秀だが、平常時の人格には幼稚なところがあり、ちょっと意地悪で厳しい皮肉を口にして、人間を怒らせて楽しむような悪趣味な性格である。この世界では、普通は警備ロボットを目にする人は限られており、ドラマで悪役にされることが多いためもあって、一般には凶悪で危険な存在だと思われている。主人公の皮肉な性格は、警備という目的のために猜疑心が強いということもあるが、人間たちのそのような偏見も影響している。
 主人公が暮らしているぷリザベーション・ステーションではめったに起こることがない殺人事件が起こり、主人公はステーションの警備局の捜査に協力することになる。例によって、最初は警備ロボットを危険視していた警備局だが、徐々に主人公の有能さを認めざるを得なくなっていく。いつものパターンなので、読み始めてすぐ、ああこれは、最初は反発し合っていた者同士がやがて心を通わせていく展開だな、と予想がつき、その通りに進むのだが、それが妙に楽しい。
 著者は出版社と、このシリーズをさらに三冊書く契約をしたそうである。待ち遠しい。