養老孟司 牧野圭一著『マンガをもっと読みなさい-日本人の脳は素晴らしい』2020年07月06日 22:20

16年 7月11日読了。
 マンガについての対談。
 「日本は、とうの昔にそんなこと(人工妊娠中絶)は自由化しているんです。アメリカでは脳死後の臓器移植が平気で行われています。日本では脳死判定にうるさい。ちょうどひっくり返っているからおもしろい」(p.127)。
 「ロボットを作っている方が、蚊が殺せなくなったといいます。もしも蚊をつくるとしたら、あんな小さな所にセンサーを入れ、モーターを入れ、しかもそれを飛ばして天井にパッと止まらせるなんてとんでもないことだ。蚊がだんだん尊く見えてくる、というようなことをおっしゃっていました」(p.144)。
 「子どもが、教科書とマンガどちらを本気で読んでいるか考えてみてください。そうしたら、実質的に子どもに与える影響はどちらが大きいかわかるでしょう」(p.172)。

養老孟司対談集『ニッポンを解剖する』2020年07月05日 22:50

16年 7月10日読了。
 対談集。
 中村哲「それなのに、かんばつで、腹ペコで逃げようかどうしようかというときに、突然、外国人が来て『あんたたちがこんなにみじめなのは、教育がないせいよ』と鉛筆を配ったりして」(p.34)。
 「思うんですけど、いま日本を含めた世界の主な国では、農村が消えて、都市空間ばかりになっていますよね。そうすると、そこから突然アフガンの田舎のようなところへ行った人は、あまりの隔たりに不安に成って、『怖い』と感じるんじゃないでしょうか。アメリカ人なんか、カーブルのオフィスから一歩も出ない」(p.37)。
 養老「いまは、テレビをつけるのも、ごはんを炊くのも、お風呂を沸かすのも、全部、ボタン一つです。ボタンというのは、いっさいの手順を省略した装置であるうえに、『押した』という動作と、それで起こる結果の間に因果関係がない。『このボタンを押したらこのドアが開く』という必然性がないんです。そういう装置で成り立っている世界に適応して育ってきた子どもたちに、順序立ててものを考える“昔風の”試験をやったって、学力低下しているに決まっている」(p.38)。
 「今の子は、すごく周りを気にしますよね。学生に、『おれと話そう』といったって、貝ですよ。黙ったきり、ひとことも口がきけない。こっちにじゃなく、周囲の友だちにどう思われるか気にしているんです」(p.97)。「やっぱり大人が悪いんです。若い人たちが悩んでいるときに、じっくり悩ませておいてやることができない。すぐに、『ひきこもり』とか、『登校拒否』とか名前をつけて」(p.98)。
 「ぼく、教師生活で非常に感動したのは、あと一週間で終わるというとき。実習室に入って行ったら、ある机に一輪挿しの花が置いてあった。献体のことなんかいっさい説教したことないのに、提供してくださった方に感謝しているわけです。次の日、同じ部屋に入って行ったら、花が部屋中に広がっていた。放っておくと、そういう気持ちが出てくるんです。『いまの若者』というけど、気持ちは同じです。大人がそういう状況を与えてやらなきゃ」(p.101)。
 「『女は意識が低い』という人がいるけど、ぼくは『女性は無意識が高い』というんだ」(p.116)。

ロバート・チャールズ・ウィルスン著『楽園炎上』2020年07月04日 21:29

16年 7月 7日読了。
 『時間封鎖』三部作や『クロノリス』のロバート・チャールズ・ウィルスンの作品なので期待して読んだが、残念な内容。俺が読めていないだけかも知れぬが、ちょっと褒める所がない。強いて言えば「どうするのが正解だったのか」が最後まで明示されない処は米国小説らしくなくて良かったか。
 大気圏に浮遊して地球を包み込む異性の知性体の情報操作に依って、第二次世界大戦の起こらなかった架空世界が舞台。その真実を知る人々は擬装人間に襲われる。
 人間関係が丁寧に描かれるのはこれまで通りだが、何が起こっているのか、敵の本当の目的は何なのかが見えてこなくて苛付く。また、肝心の登場人物達がこれまでの作品に比べて魅力に乏しい。
 人間社会に紛れん込んでいる、人間と見分けの付かない異種生物というのはSFで繰り返される主題だが、平井和正の『死霊狩り』の方が面白い。

養老孟司著『無思想の発見』2020年07月03日 21:26

16年 7月 7日読了。
 日本人特有の主体の曖昧さ、哲学・思想・宗教の軽視から、その現実感の中核にある「世間」について。
 「日本語においては、この『私』という言葉が、『自分』個人 self という意味と、『公私の別』というときの『私』private という、二重の意味を持つことに、ぜひとも御注意くださいませ」(p.21)。
 「西欧の『近代的自我』というのは、中世以来の『不滅の霊魂』を近代的・理性的にいいかえたものだろうと私は思っている」(p.38)。
 「脳の状況から意識が生じるというのは、日常的な経験からも当然であろう。結婚を申し込むときに、ムードを考えて、さまざまな工夫を凝らす。ムードというのはつまり、脳の状態を上手に操ろうとする、経験的手段なのである。商談を成立させるには、一緒に酒を呑んだり、ゴルフをしたり、中華料理のような円卓を囲んで食事をしたりする。つまりなんとかして『自分にとって都合のよい意識状態を、相手の脳に生じさせようとする』わけである」(p.41)。
 「社会的役割とは、多かれ少なかれ、その人そのものになってしまう。それを『強制し』、維持するのは、周囲の状況である。だから社長は社長らしく、平社員は平らしいのである。いわゆる自分、ふつうの自分は、自己の内部で閉じているのではない。世間に開いている。その世間が不安定化すれば、自分は不安定になる。それが現代日本で起こっていることであろう。いまではそれを『不安』などと呼ぶのである」(p.47)。
 「すでに『思想も現実も脳のなかじゃないか』と書いた。それをニヒリズムだと思うのは、単に文科系の人は脳を尊重していないからである。ただし自分の脳についてだと、ものすごく心配するんだから、はじめからもっと尊重すりゃいいのに、と理科系の私は思うのである。私にとって脳は重さも手触りも匂いもある物体だが、文科系の人にとっては、そうした感覚世界から離れた『頭のなかの概念』であろう」(p.77)。
 「世間と思想が補完的なら、思想を大きくすれば、当然ながら世間とぶつかる。それだけのことであろう」(p.98)。
 「『思想というものがない』社会で『世間という現実』が危うくなれば、全ては崩壊に近づくしかない」(p.102)。
 「それはあくまでも『一つの思想』であって、『唯一の思想』ではない。それが『唯一の思想』になったとき、思想は死ぬ」(p.108)。
 「脳-言葉というシステムのなかでも、免疫系のようなものが成立するのであろうか。そんなことを考える人はまずいないであろうが、グローバリゼイションの世界では、そろそろそんなことを考えたほうがいいのかもしれない」(p.221)。

『養老孟司のデジタル昆虫図鑑』2020年07月02日 21:32

16年 7月 4日読了。
 デジタルスキャナで標本を読み取り、昆虫図鑑を作る試み。
 「生物多様性というと、生物の側にいろいろなものがあると、つい思ってしまう。そうだろうか。いろいろなものがあると、人間のほうが見分けるのではないか。それを見分ける能力、それを欠く人が増えると、世界は『文明化』する。それがいいことか、悪いことか、そんなことは知らない。しかし文明がなにかを失わせることは確かで、その中で間違いなく失われるものの一つがこうした『目』である。見る目のない人々に、いくら生物多様性の価値を説いても意味がない」(p.74)。
 「仮説を立て、同じを探す作業があってはじめて人間は世界を把握できる。その一方で、新しい違いをつねに感じて、既存の説をひっくり返す。どちらも欠かせない。違いを感じ、同じを定める。横着せずにそれを繰り返していかなければないけない。それだけのことなのだ」(p.116)。