九段理江著『東京都同情塔』2025年05月19日 22:46

 中編。舞台は2020年代すなわち現代だが、現実には撤回されたザハ・ハディド設計の新国立競技場が建設され、コロナ禍の中2020年に東京オリンピックが実施された、もう一つの東京。「東京都同情塔」とは、犯罪を犯したものを収容する一種の刑務所だが、外出が許されない他はタワーマンションかホテルのように快適な住居である。正式名称は「シンパシータワートーキョー」。
 主な登場人物は四人。東京都同情塔の設計者である牧名沙羅。沙羅の美しいボーイフレンドの拓人。「犯罪者は同情すべき人々である」という東京都同情塔の思想的背景を作り上げた幸福学者のマサキ・セト。そして、「不寛容で正しくないレイシスト」のジャーナリストのマックス・クライン。この四人の誰もが、奇妙な世界観や人間観を持っている。
 例えば、牧名沙羅は次のように考える。「……でなければならない。……べきだ。それは私が自分自身を支えるために用意する、堅固な柱であり梁だった。私がいつもこのような話し方をして他人にも自分自身にもプレッシャーを与えがちなのは、わずかでも倒壊の可能性のある曖昧な要素を、自分の住まう家から根こそぎ排除しておきたいからなのかもしれない。……かもしれない、……のほうが良い、などとセメントで固める前の砂のように脆い素材では、寿命までの数十年を支えていくことはできない」(p.33)。といった具合。
 四人はそれぞれ、東京都同情塔という同じ対象に対して、異なる印象や解釈を持ち、相互に理解し合うことはない。
 この作品はある種の日本論としての面も持つ。マックス・クラインは次のように言う。
 「タクト、日本語を知らない私に、君たちの言葉の秘密を教えてくれないか? ホモだかミゼラだかピリスだか知らないが、日本語とは縁もゆかりもない言語から新しい言葉を次々と生み出して、みずからの言葉を混乱させる理由は何なんだ?(略)言葉を無限に生成することで、何を覆い隠そうとしているんだ? もし仮に、日本人が日本語を捨てたら、何が残るんだ?」(p.105)。
 日本人論の面を持つにもかかわらず、東京都同情塔が日本社会に与えた影響などはほとんど描かれないのも大変に興味深い。

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