津原泰水著『バレエメカニック』 ― 2026年02月06日 22:22
長編。耽美+幻想+サイバーパンク。理沙は、大脳皮質を失い植物状態のまま「生き続けて」いる。ある日、突然、東京が奇怪な幻想に包まれる。ラジオはモーツァルトしか流れず、海から離れた高速道路を突如津波が襲い、見上げるほどの巨大な蜘蛛が町を闊歩した。理沙が失った大脳皮質の代わりに都市全体を「思考の場」として利用し始めたのだ。東京は理沙の夢の中に包み込まれたのである。
それらの幻想は、単なる幻覚なのか、実体を持っていのかがよく判らない。ある老人が幻想の中に足を踏み入れた途端「重力の向き」が変わって墜落していく場面は鮮烈だ。そして老人は「墜落死」する。幻想に殺されたのだ。
機械装置は信頼できないので、巨大なばんえい馬が牽く馬車に乗って、何が現実なのか曖昧なまま、理沙の父親と主治医が東京を旅するのが第一章の主筋である。酩酊感を伴うシュルリアリスティックな詩情が素晴らしい。後に「理沙パニック」と名付けられるこの現象は、理沙の肉体の死によって収まる。
第二章では、理沙の父親は、東京の町に理沙の意識は残っていると信じて、その証拠を探し出そうとする。再び主治医と二人の旅が始まる。
第三章は完全なサイバーパンクである。近未来、年老いた理沙の主治医は、充実した情報インフラの中に構築された仮想空間を通じて、理沙を探し出して「殺そうと」あるいは「解放しようと」する。
解説で柳下毅一郎はJ・G・バラードを引き合いに出しているが、奇怪かつ華やかな幻想の背後に、確かにバラードに通じる「静謐」があるように感じられる。
それらの幻想は、単なる幻覚なのか、実体を持っていのかがよく判らない。ある老人が幻想の中に足を踏み入れた途端「重力の向き」が変わって墜落していく場面は鮮烈だ。そして老人は「墜落死」する。幻想に殺されたのだ。
機械装置は信頼できないので、巨大なばんえい馬が牽く馬車に乗って、何が現実なのか曖昧なまま、理沙の父親と主治医が東京を旅するのが第一章の主筋である。酩酊感を伴うシュルリアリスティックな詩情が素晴らしい。後に「理沙パニック」と名付けられるこの現象は、理沙の肉体の死によって収まる。
第二章では、理沙の父親は、東京の町に理沙の意識は残っていると信じて、その証拠を探し出そうとする。再び主治医と二人の旅が始まる。
第三章は完全なサイバーパンクである。近未来、年老いた理沙の主治医は、充実した情報インフラの中に構築された仮想空間を通じて、理沙を探し出して「殺そうと」あるいは「解放しようと」する。
解説で柳下毅一郎はJ・G・バラードを引き合いに出しているが、奇怪かつ華やかな幻想の背後に、確かにバラードに通じる「静謐」があるように感じられる。
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