『別冊太陽 河合隼雄 たましいに向き合う』2023年09月12日 22:15

 河合隼雄の人生と仕事を総合的に紹介する案内書。河合隼雄論ではないので、体系性はないが、一通り見渡せる。その生涯と著作の紹介を中心に、家族や著名人のエッセイ、インタビューなどで構成される。
 「この宇宙のなかに子どもたちがいる。これは誰でも知っている。しかし、ひとりの子どもの中に宇宙があることを、誰もが知っているだろうか」(p.8『子どもの宇宙』より)。
 「ユーモアはこちらに余裕があるときに生まれてきます。そして余裕は、ほかの人よりもより全体的な視野に立っているときに生まれるものだと思います」(p.12『河合隼雄のスクールカウンセリング講演録』より)。
 「理屈を超えた何者かの存在を柔軟に感じ取るために、どうしても物語が必要になる」(p.59 小川洋子)。
 「人生に悩みや迷いがあるのが問題なのではなくて、問題があるのにちゃんと悩んだり迷ったりしないことが問題なんです。(略)葛藤に耐えられないんじゃなくて、葛藤しない人が増えている」(p.64「論座2008年1月号」より)。
 「あんた、そんなに何でも正直に本当のことを口にしていたら、そのうち十字架にかけられてしまいまっせ」(p.116 中沢新一への助言)。
 「おそらく今世紀においては、ひとつのモデルやひとつのイデオロギーによって、人間について、世界について考えるということは終わったのではないかと思う」(p.123 『神話と日本人の心』より)。
 「僕はぼーっとするのが大好きやし、天才的にうまいんです」(p.140 JALグループ機内誌「SKYWARD2006年8月号」より)。

飯田隆著『不思議なテレポート・マシーンの話』2023年09月13日 22:33

 「ちくまQブックス」という中学生向けらしいシリーズの一冊。
 「ぼく」のおじさんがフリーマーケットで瞬間移動装置を手に入れるところから話は始まる。「送信機」に置いたものが「受信機」にテレポートするのだ。そこから、送信機に置いたものと受信機に現われたものが「同じ」と言えるかどうか、同じとはどういうことか、という議論が始まる。
 2章では、もう一台の受信機が手に入り、この装置は移動装置というより複製装置だったことが明らかになる。今度の議論は、オリジナルとコピーという問題。見分けがつかないほどそっくりだったら、コピーよりオリジナルの方が価値が高いと言えるのか。
 第3章では、新たな参加者を加えて、ペットを複製してよいか、人を複製してよいかという倫理的な問題が議論される。さらに、SFのようにオリジナルの自分が死んでも、複製の自分が生きていれば、生き延びたことになるのかという問題。
 第4章では、全てをデータとして複製することができるとしたら、人の心も複製しシミュレートすることができるのか、という問題から、自分たちはシミュレートされた存在ではないか、という存在に対する疑いが話し合われる。
 メタバースに親しんだ現代の中学生向けの哲学の入り口としてふさわしい話題。

フランシス・ホジソン・バーネット著『小公子』2023年09月14日 22:03

 超有名な名作児童文学。アメリカで貧しく育った七歳のセドリックは、実はイギリス貴族の家系だった。爵位継承権の上位者が次々と死んだことから、突如セドリックは小公子フォントルロイとなる。祖父が死んだらセドリックが伯爵となるのだ。イギリスに渡ったフォントルロイは祖父と対面する。すると、冷たくて意地が悪く、俗っぽい老人だった伯爵が、少年の無邪気な心に触れて変わっていく。
 どうもこういう「子供が大人を無意識に導く」話に弱い。なぜだかわからない。俺は現実の子供は嫌いだ。
 セドリックこと小公子フォントルロイは理想的な子供として描かれるが、昔の児童文学にありがちな「小さな大人」としての理想形ではない。むしろ子供らしい純真さにおいて理想的である。この辺りの人物造形が、名作と言われる所以であろうか。結末の軽さも良い。

池田晶子著『帰ってきたソクラテス』2023年09月15日 23:00

 ソクラテスが甦り、死や性といった普遍的な問題から、現代の時事的な問題まで、さまざまな人と語り合う。ソクラテスは人々に議論を仕掛けて時にはうっとおしがられたというが、この本のソクラテスは寧ろ議論に消極的なところがあり、積極的に議論を仕掛けてくるのは他の人の方である。現代のソクラテスはもはや達観してしまったのか、個人主義的で厭世的なところがあり、しはしば「そんなことはどうでいい」という意味のことを言う。それでも昔の癖が出るのか、興が乗ってくると相手を問い詰め、矛盾を突いて追い詰める。
 思想的には、肉体とはある程度独立に「考え」あるいは「意識」というものがある、という心身二元論らしい。そして、人は生まれようと思って生まれるわけではなく、死のうと思って死ぬわけではないのだから、生まれて死ぬ肉体は、意識とは「関係がない」。多くの人がそういうように人間の価値は肉体よりも意識あるいは精神にあるのなら、人は精神を高めることに注意を払うべきで、生死のことは考えても仕方がない、あるいは、そんなことはどうでもいい。俺は心身二元論は取らないが、生死のことは考えても仕方がない、という点に関しては全く同感である。

大岡信編『星の林に月の船 声で楽しむ和歌・俳句』2023年09月16日 22:43

 万葉の昔から近現代まで、日本語の詩歌の中から小中学生向けのものを選んだもの。詩歌のことは全く判らないのだが、言葉がずれる、あるいは拡張される面白さがあるのかな、と思う。日常的に使い、よく知っているはずの言葉が、意外な言葉と組み合わされることによって、思いがけない情景や情緒に結びつく、そこにはっとする驚きや滑稽味があるように思った。以下に好きなもの。
 「春風や鼠のなめる墨田川」小林一茶(p.139)。出来事としては川渕で鼠が水を飲んでいるだけなのだが、言葉としては「隅田川を舐める」という稀有壮大なことになっているのがおかしい。「岩にしみいる」などもそんな感じがあるので、小林一茶は何でもないこと大げさに言うのが好きなのかな、とも思う。
 「蝶墜ちて大音響の結氷期」富沢赤黄男(p.204)。凍り付いた世界に蝶が落ちて大音響が鳴る。シュルレアリスムである。
 「戦争が廊下の奥に立ってゐた」渡辺白泉(p.212)。もちろん太平洋戦争の話だが、時節柄どきっとする。