飯田隆著『不思議なテレポート・マシーンの話』 ― 2023年09月13日 22:33
「ちくまQブックス」という中学生向けらしいシリーズの一冊。
「ぼく」のおじさんがフリーマーケットで瞬間移動装置を手に入れるところから話は始まる。「送信機」に置いたものが「受信機」にテレポートするのだ。そこから、送信機に置いたものと受信機に現われたものが「同じ」と言えるかどうか、同じとはどういうことか、という議論が始まる。
2章では、もう一台の受信機が手に入り、この装置は移動装置というより複製装置だったことが明らかになる。今度の議論は、オリジナルとコピーという問題。見分けがつかないほどそっくりだったら、コピーよりオリジナルの方が価値が高いと言えるのか。
第3章では、新たな参加者を加えて、ペットを複製してよいか、人を複製してよいかという倫理的な問題が議論される。さらに、SFのようにオリジナルの自分が死んでも、複製の自分が生きていれば、生き延びたことになるのかという問題。
第4章では、全てをデータとして複製することができるとしたら、人の心も複製しシミュレートすることができるのか、という問題から、自分たちはシミュレートされた存在ではないか、という存在に対する疑いが話し合われる。
メタバースに親しんだ現代の中学生向けの哲学の入り口としてふさわしい話題。
「ぼく」のおじさんがフリーマーケットで瞬間移動装置を手に入れるところから話は始まる。「送信機」に置いたものが「受信機」にテレポートするのだ。そこから、送信機に置いたものと受信機に現われたものが「同じ」と言えるかどうか、同じとはどういうことか、という議論が始まる。
2章では、もう一台の受信機が手に入り、この装置は移動装置というより複製装置だったことが明らかになる。今度の議論は、オリジナルとコピーという問題。見分けがつかないほどそっくりだったら、コピーよりオリジナルの方が価値が高いと言えるのか。
第3章では、新たな参加者を加えて、ペットを複製してよいか、人を複製してよいかという倫理的な問題が議論される。さらに、SFのようにオリジナルの自分が死んでも、複製の自分が生きていれば、生き延びたことになるのかという問題。
第4章では、全てをデータとして複製することができるとしたら、人の心も複製しシミュレートすることができるのか、という問題から、自分たちはシミュレートされた存在ではないか、という存在に対する疑いが話し合われる。
メタバースに親しんだ現代の中学生向けの哲学の入り口としてふさわしい話題。
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