ホセ・ドソノ著『境界なき土地』2019年07月06日 23:17

14年 7月27日読了。
衰退が激しくやがて消えていく事が予感される南米の田舎の村の、ひときわ寂れた売春酒場を中心にした物語。幸せそうな人が一人も出て来ない。対立軸は沢山ある、というか、主要な登場人物の殆ど全員が相互に対立的関係にあるが、殆ど何も解決されないまま小説は終わる。主人公のオカマの踊り子マヌエラに代表されるように、登場人物は皆自己同一性が混乱していて、自己イメージが揺れ動いている。それはまるで、何かに直面するのを避けるために自分を誤魔化し続けているかのようだ。マヌエラの娘の「終りゆくものはいつも平和」「恐ろしいのは希望」という言葉が奇妙なリアリティを持つ。性的道徳的な異常者の視点から描かれた世界を訳者は「グロテスクリアリズム」などと呼んでいる。しかし、六十年代の南米では確かにそれは奇怪で醜悪だったのかも知れないが、現代の都市住民から見るとさして異常とも思われない。それを開放と見るか頽廃と考えるか。もう「健全とは何か」が良く判らないしな。

奥泉光著『鳥類学者のファンタジア』2019年07月07日 21:29

14年 7月30日読了。
 ジャズピアニスト霧子ことフォギーは一九四四年のベルリンへタイムスリップし、同名の祖母・曾根崎霧子と出会う。そこでは、神秘の物質ロンギヌスの石に秘められた力を音楽に依って解放しようという、ナチスの神秘主義者の計画が進行しており、フォギーもそれに巻き込まれていく。
 フィボナッチ数列を駆使した、音楽と宇宙の神秘を結び付ける奇妙な理屈(嘘科学)が大変に面白い。語り手であるフォギーの記憶に欠落や混乱が多く、夢や幻想が入り交じってどこまでが現実なのか良く判らない構成も楽しい。登場人物が皆個性的に描き分けられていて素晴らしい。読者に依って好き嫌いが分かれるであろう軽薄な(しかし計算された)文体は、読み始めはちょっと気に成るが、すぐに物語りに引き込まれる。
 文体としては、視点の二重性の方が重要な問題かも知らぬ。語り手が自分の事を「わたし」と記す時と「フォギー」と記す時は明らかに視点がずれていて、「わたし」は「フォギー」を常に少し離れた処から、つまり客観的或いは批判的な態度を含む視点で描いている。描かれているのは過去の自分だが、今正に描きつつある自分は現在である、という事か。どちらも自分なので、しばしば重なり合ったり、現在の自分を批判する第三の自分が出て来たりする。
 結局、加藤さんは何者だったのかなど、はっきりと判らない事も多いが、この作品に関しては全部閉じずに穴を開けておく事が正解なのであろう。

奥泉光著『グランド・ミステリー』2019年07月08日 22:11

14年 8月 3日読了。
第二次大戦中、海軍士官の加多瀬は、親友の死を調べる内に記憶の混乱に襲われ始める。題名がミステリーだから推理小説かと思ったら幻想小説だった。それも、物語の中盤までは幻想は背後に潜んでいてそれとは判らない。日常的な常識の範囲内で起こり得ると思える事ばかりで、超常的な事は何も起こっていないように見える。中ほどに来て漸く幻想が前面に出て来る。半村良のスタイルである。なかなか句点が現れない長いセンテンスが積み重ねられる独特の文体。エンターテインメント的な陰謀譚と平行して、日本人にとって第二次大戦とは何だったのかという思弁的議論が展開し、さらに歴史と時間、人間と戦争という主題に発展していく。その底から浮かび上がるように、死とどう向き合うかという究極の主題も現れて来る。勿論答は出ない。地質学的な時間や生物種の絶滅という話題も少し出て来るので、どうせなら人類の存続というような話ももっとして欲しかった。登場人物の中では、悪役である彦坂と志津子がちょっと面白い。特に志津子は出番はちょっとしかないのに全編に渡って凄い存在感。

大森望・日下三蔵編『年刊日本SF傑作選 さよならの儀式』2019年07月09日 23:08

14年 8月 6日読了。
 2013年の日本SF短篇傑作選。宮内悠介「ムイシュキンの脳髄」は、暴力性などの反社会的性格を脳に対する特殊な施術で治療する技術を描く。この療法を受けた男とその周辺の人々の運命を辿りながら、人が人の性格を設計するという事の倫理性、そもそも精神障害が治るとはどういう事か、などの主題に迫っていく。こういう新しい問題に対して日本人は、一時的に議論が盛り上がっても、一度一般化してしまうと興味を失ってしまう傾向がある。脳死問題とか、何も解決していないだろう。
 円城塔「イグノグラムス・イグノラビムス」は、筒井康隆「最悪の接触」の流れを汲む(と、俺は読んだ)、コミュニケーション困難系のファースト・コンタクト物。異星人の奇妙な宇宙観が楽しい。
 他には草上仁「ウンディ」、田中雄一の漫画「箱庭の巨獣」が面白かった。
 追記:「本が好き」という書評サイトに、同じ「かすてら」というハンドルネームの書評課を発見する。書評を読めば一目瞭然だが、別人である。ややこしくて申し訳ないが名前を変える気はない。

アドルフォ・ビオイ=カサーレス著『パウリーナの思い出に』2019年07月10日 21:14

14年 8月 7日読了。
 短編集。いずれも日常が崩壊していく話。「パウリーナの思い出に」と「墓穴掘り」が面白い。何故かどちらも集中最も幻想性のない話。
「パウリーナ」は、ある判断の誤りが人生を狂わせる話だが、間違えたのは語り手ではないにも拘らず、語り手が酷く苦しむ不条理感が強い印象を残したのだろう。
「墓穴掘り」は、罪を犯した夫婦の強迫観念に追い詰められていく様子が緊張感を生むし、サスペンス的構成が読者の興味を掻き立てる。
 他には、「雪の偽証」で、主人公の一人が「剽窃癖のある人物」なのはミステリーとして反則ではないのかと思わぬでもないが、筒井康隆「ロートレック荘事件」のような叙述トリックの一種とも見える。この仕掛けに埋もれたように成っているが「毎日正確に同じ事を繰り返す事で時間の流れを止めようとする」一種の呪術が興味深かった。
 訳者あとがきではボルヘスとの比較で、作者は「人間の生をプラトン的原型の影とみなしている」としているが、俺にはそういう印象はなかった。世界の仕組みを解き明かそうとする強い意図、が感じられないのである。仕組みはその一端を垣間見せるだけで全体像は判らず、人間達は闇の中を手探りで動き回っている。