エルヴェル・テリエ著『異常(アノマリー)』2023年04月02日 23:45

 長編。二〇二一年三月、乗員乗客二四三人を乗せたエールフランス006便が異常な乱気流に巻き込まれるが、何とか通過してニューヨークに降り立つ。約三か月後、もう一機の同じエールフランス便が突然現れる。この瞬間から、地上に同じ飛行機と同じ乗員乗客が二重に存在することになる。
 アメリカ政府は第二のエールフランス便を軍の格納庫へ誘導、隔離し、その存在を隠蔽し、第一の便に乗っていた乗員乗客全てを探し出そうとする。同時に、科学者や哲学者が数多く招集され、何が起こっているのかの究明も進められる。推測された有力仮説は、この世界のシミュレーション仮説に基づいて「超越的な何者かが人類を試している」というものだった。
 マスコミが異常を嗅ぎ付け始め、また隔離されている第二の便の乗員乗客の不満が蓄積してきたことから、米国政府は事態を公表し、重複者(ダブル)同士を対面させることにした。今後どうするかを本人たちに決めさせるためである。
 こういう「異常な出来事が起こったとき、世界はどのように反応するか」という着想はSFの古典的な手法で、日本では小松左京がよくやっていた。著者はSFの専門的な作家ではなく、数学者言語学者ジャーナリストなど多彩な顔を持ち、作家としては実験的な作品を追求する「ウリポ」のメンバー。この作品は実験性を主題にしたものではないが、実験的な表現はちらほら顔を出す。
 この手のSFとしては構成がちょっと変わっていて、冒頭からしばらくはSF性はまったくない。後に「異常事態」に巻き込まれることになる人々の日々の暮らしが淡々と描かれる。最初に登場するのは殺し屋。続いて売れない作家、シングルマザーの映像編集者、カエルを飼う七歳の少女、黒人女性弁護士、ナイジェリアのポップスターなどが次々に現れる。主人公という者は居らず、最後まで断片を積み重ねる手法で進められる。
 分身の主題は文学的にもSF的にも新味はないが、重複者たちやトランプと思しきアメリカ大統領をはじめとする政府関係者、招集される科学者たちが個性豊かに、多くはユーモラスに、時には悲劇的に描かれて面白い。
 訳者あとがきから引用しよう。「そのうえで著者は、重複者に対峙した時の人間の反応を幅広く提示しようと、年齢、性別、職業、階級、社会・文化的背景などを異にする多様な、けれどもある意味“代表的な”人物像を造形。これらの人々をもう一人の自分と対峙させることによって、それぞれが心の裡に抱えていた苦悩や秘密を浮き上がらせ、さらに重複者同士を隔てる三カ月余のあいだに生じた人生の変転とそれがもたらす境遇の差異を際立たせる仕掛けを施した。最終的に各人が下す選択の中身とそこに至るまでの心理の揺れば、本書の骨格をなすSF的なストーリーの行く末とともに大きな読みどころとなっている」(p.413)。
 俺が好きな場面の一つは、各宗教宗派の指導者たちを集めて、この問題に対する「穏便な統一見解」を出してもらおうとする会議の場面である。話がどんどん横道にそれていくので、司会をするFBI捜査官が難儀する。何でもグーグルのせいにしようとする枢機卿など笑う。
 このFBI心理各線部特別捜査官という肩書を持つプドロスキーという女性もちょっと面白い。彼女は信仰を持たず、無神論者ですらなく、神に関心がないのだった(日本人はたいていそうだが)。それ故に彼女は宗教問題を専門としているのである。今気付いたが、本書では全般に女性の方が活力に満ちて活き活きしているのに対して、男性はしょぼくれた人物が多い。

『劉慈欣短編集 円』2023年04月04日 22:17

 「円円のシャボン玉」を除くと、単純なハッピーエンドはない。半分よく半分悪い結末、葛藤の末に元に戻っただけ、完全な破滅など、後味の良くない終わり方が多い。ユーゴスラビア空爆やイラク戦争をモデルにした話もある。もともとSFは皮肉や風刺に傾きやすいのだが、今の時代、悲観的になりがちなのはどこでも同じであろう。
 重苦しい話の多い中、ユーモラスな雰囲気に満ちた「詩雲」が俺好み。ここでも人類は宇宙の超越的種族に家畜化されているのだが、その支配種族の一人が漢詩に取り憑かれ、李白を超える詩を作ろうとして無茶なことをする。

円城塔著『ゴジラS.P(シンギュラポイント)』2023年04月09日 22:49

 長編。アニメのノベライズらしいがアニメは見ていない。主題的にも人物造形的にもライトノベルのようなのだが、読んでみればやはり円城塔である。
 アーキタイプと名付けられた四次元的な構造を持つ分子の設定が非常に面白い。コンピュータシミュレーション上では安定して存在するが、それを合成する手段が現在の人間にはない。四次元的な操作を必要とするからである。アーキタイプに入射した光は屈折するのだが、その一部は時間方向にも曲がる。つまり、未来から入射した光が過去に出射する。そのため、アーキタイプの中で光を循環させると、同じ光が何重にも重ね合わされて増幅される。こういったアーキタイプの物理学がもっともらしく構築されていて楽しい。こういう嘘科学の構築はSFの醍醐味の一つである。
 筋立ては、突如現れた数多くの怪獣たちと人間との戦いという、王道であるが、細部が一々円城塔的に歪んでいる。怪獣たちの体はアーキタイプでできている。ゴジラの体内には物理法則の通用しない特異点がある。あるいはゴジラの本質が特異点である。ゴジラは保存則を無視して急速に質量を増やし、形態を変化させていく。
 一般的にエンターテインメントの場合、変わり者を登場させるときには対比として凡庸な常識人を置くものだが、円城塔らしくほぼ全員がエキセントリックである。たとえば神野銘という人物は「発想だけは無闇とあるが、整理整頓の技と、研究成果と呼べるところまで物事を突き詰めていく種類の集中力に欠けている」(p.32)という興味深い性質であるが、物語における役割の重要性の割に描写は少ない。真の主人公はゴジラだからかも知らぬが、主人公と呼べるような中心人物は居らず、描写はみなあっさりしたものである。
 これも円城塔らしいのだが、平行宇宙的な別のゴジラの物語の影もちらつき、そこには過去に作成された数多くのゴジラ映画を連想させる部分もあってファンへのくすぐりになっていると同時に、メタフィクション的でもある。
 全体としては、ゴジラ映画へのオマージュでありながら、十分に円城塔らしい作品となっている。さて、ここで円城塔らしさとは何かということが問題となるが、じっくり考えるのは面倒なので、とりあえずは「意外な方向へ歪んでいく」こととしておく。

神林長平著『アグレッサーズ 戦闘妖精・雪風』2023年04月11日 22:32

 待ちに街に待ちに待った雪風の新作。待っただけのことはある面白さ。FAFとの総力戦の後姿を消したジャムを誘い出すため、クーリィ准将は「ジャムを演じる」アグレッサー部隊を新設する。模擬戦闘で適役を演じるのがアグレッサーだが、クーリィ准将の思惑には、ジャムが人間の偽物を作り出したように、人間がジャムを作ることで敵を理解するということもある。奇妙に思弁的な、それでいて戦闘に直接関わる不思議な会話が読みどころの一つ。二機の航空機を重ね合わせて見せたことなどから、ジャムは量子的存在でないか、と示唆されたことが注目される。
 「ジャムは<情報>を食うのだ」というセリフを読んだ時には、やられた、と思った。俺も情報をネゲントロピーとして取り込む生物、もしくシステムというのを考えていたのである。まあ、俺が考える程度のことは既に誰かが考えているということである。
 新たな人物も登場する。日本空軍のエースパイロットの田村伊歩大尉。彼女は言う「もし奇跡が起きて願いが叶うとしたら、わたしは破壊と殺戮の神になりたい」。自分の暴力衝動を開放することが彼女の行動原理である。インド神話の破壊と殺戮の地母神カーリー・マーが彼女のシンボルイメージである。「暴力そのものになりたいというわたしの願い」。FAFなら、ジャムを敵として戦うなら、望が叶うと彼女は気づく。
 続編が雑誌で連載中だという。今度はそんなに待たされないだろう。

柞刈湯葉著『まず牛を球とします。』2023年04月12日 22:07

 短編集。ショートショートといえる長さのものもいくつかあるが、それらしい構成にはなっていない。つまり、意外なそして皮肉な結末で落とす、という構成になっていない。これは、星新一が定着させたショートショートの作法で、そうしなければいけないという決まりはないわけだし、作者はこれらの作品をショートショートだと主張しているわけでもない。どの作品も、読み処は異常な、あるいはヘンテコリンな状況で、結末は衝撃的と言うよりふわりとした着地になっている。とぼけた雰囲気の文章の合間に「科学と倫理」という重い主題がちらちら見えるところも良い。
 俺が一番好きなのは、アンソロジーで既読だった作品だが「ルナティック・オン・ザ・ヒル」である。地球軍と月軍が戦う戦場に取り残された二人の兵士が、眼前で展開される戦闘に参加することもできないまま、減り続ける酸素残量を気にしながら、何もすることがなく取り留めのない会話をする。徐々に二人は狂気に蝕まれていく。とぼけたユーモアの満ちた語り口と、絶望的な状況の落差が異様な迫力を生んでいる。
 「家に帰ると妻が必ず人間のふりをしています。」は題名通りの内容だが、夫が気付いていることに妻が気付いているのかどうか判らないまま、空とぼけて人間のふりをし続ける妻が面白くも可愛らしい。