『日本人は何を考えてきたのか』近代を超えて~西田幾多郎と京都学派2019年07月13日 22:17

14年 8月10日視聴。
 戦争の時代に、西田とその弟子・三木清ら京都学派はどう向き合ったのか。生物学者の福岡伸一が出演していたせいか、絶対矛盾的自己同一などという言葉を聞きながら全く別の事を考えた。
 生物は開放循環系である。開放というからには開いていて、循環というからには閉じている。福岡伸一は生物の特徴を動的平衡という。動的とは動いているという事で、平衡とは止まっている事である。遺伝という言葉がある。子が親に似るという事である。進化という言葉がある。子が親に似ないという事である。生命は矛盾に満ちている。矛盾はしていないのであろう。何しろ四十億年それでやって来たのである。我々の認識が勝手に矛盾を感じているだけの事であろう。
 養老孟司の、視覚-聴覚/空間-時間/構造-機能を分けて考えてしまう脳の癖という話も連想する。ではそのような癖はなぜ発達して来たのか。適応というか、そうする事が有利であった進化史的な理由がありそうな気がするのだがそれは何か。判らない事はまだまだ多い。

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