養老孟司著『老い方、死に方』2023年12月08日 23:18

 老いと死について語る対談集。恐山の僧侶南直哉と宗教や思想の問題を、生物学者の小林武彦と遺伝子などの生物学的な基礎を、地域経済学者の藻谷浩介と高齢化と里山経済の問題を、阿川佐和子と介護の問題を、それぞれ語る。
 南「それで、「牧師さん、僕、洗礼を受けようと思うんです」と言ったら、きっと喜ぶだろうと思ったのに、牧師さんはしばらく考えている。それで、「南くんね、キリスト教っていうのはね、人を信じるんじゃなくて、神様を信じるんだよ」って言われたんです。そして、「君はいま、やめておいたほうがいい」と。/偉い人だなと思いました。僕が宗教家として尊敬しているのは、あの人だけかもしれない」(p.20)。
 南「僕に言わせると、「思いどおりにならない」というのが「諸行無常」の核心だと思うんです」(p.20)。
 南「僕はね、夢や希望っていうのは、いまを犠牲にして先の利益を得るという意味では、投資の話の転用じゃないかとも思うのです。そして投資というものは、やはり失敗がある」(p.26)。
 養老「いや、僕はもっと乱暴なことを言ってます。人生をコスパで考えるなら、生まれたらすぐ死んだらいいと」(p.42)。
 養老「私はかねてより、老化とは発生の延長だと思っていました。発生の時に働いていたメカニズムが、歳を取ってもそのまま働いている、おそらくそれが老化の原因だろうと」(p.82)。
 藻谷「資本主義とは何か。人間の歴史の始まりに遡ってその本質を考えれば、「資本を循環再生させて、利子を得る主義」ではないでしょうか」(p.120)。つまり、循環させずに廃棄物を出すのは資本主義でない。
 藻谷「お金以外の資本も大事にする里山資本主義では、お金を払って手に入れるいわゆる「等価交換」だけでなく、お金を介さない「物々交換」や、余ったものを見返りを期待せずに人にあげてしまう「恩送り」も重視します。大人は、昔育ててもらった恩を、子どもに返すわけですね。自分に直接に見返りはなくても、社会全体としては、それは投資なのです」(p.125)。
 カネは利子を生むかという問題。藻谷「30年前まではそうでした。ですがゼロ金利の社会になったことで、日本ではカネは資本ではなくなってしまいました」(p.131)。
 対談は結論が出なくても時間が来ると終わるから投げやりな感じがして良い。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://castela.asablo.jp/blog/2023/12/08/9641097/tb