エイミー・ベンダー著『わがままなやつら』2023年08月05日 22:06

 短編集。全体にどことなくユーモラスで、全体にどことなく孤独で悲しい。
 「デビーランド」で、一人になってもなお「私たち」という一人称を使う語り手は、自己同一性の混乱を表しているのだろうが、実験的な感じがして面白い。
 「果物と単語」では、主人公は果物と単語を売っている店を訪れる。NUT(ナッツ)という単語は細かく砕いたナッツでできており、PEARL(真珠)という単語は全体が一つの真珠でできている。固体でできた単語ばかりではない、ハイプに入った液体の単語もあり、その中にはPOISON(毒)やBLOOD(血)もあった。最後に主人公は気体の単語を見せてもらうが、目に見えないHOPE(希望)を壊してしまい店主の怒りを買う。
 「アイロン頭」では、カボチャ頭の夫婦がアイロン頭の息子を生む。まったくわけが判らない。これが一番好きかもしれない。
 「ジョブの仕事」では、主人公が興味を持ったものを神さまが次々に禁止する。理由は判らない。神さまは、逆らえば殺すと言う。最後には何もかも禁止され、主人公は何もできなくなる。「神さまは男を、扉も窓もない箱に入れた。彼の両手を背中で縛り、両目には目隠しをした。口にはビニールテープを貼った」(p.144)。
 「飢饉」では、ある朝、主人公の許にじゃがいもが届けられている。間違いだと思った彼女はじゃがいもを捨てるが翌朝には戻ってきている。彼女は、じゃがいもを燃やしたり、道路に置いて車に轢かせたり、郵便でアイルランドに送ったりするが、いつも翌朝には彼女の家に戻っている。じゃがいもは成長して人間に似た姿になっていく。最後まで読んでも「飢饉」という題名との関係は判らない。俺が判らないだけかもしれないが。

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