養老孟司・名越康文著『二ホンという病』2023年08月04日 00:11

 日本についての対談。「コロナやウクライナ侵攻といった時事的なテーマにはじまり、南海トラフ、脳科学、宗教観、自然回帰、多様性、死と再生など、枝葉はどんどん広がりました」(p.12「この本ができるまで」)。
 日本の社会の在り方について。養老「日本人はその辺を楽天的に考えて、変えなくていいことにしようとしてきたわけです。本質にかかわるところは変えずに、表層的なところだけを変えてきた。和魂洋才が典型だと思うね。明治維新は政治で動いたからまだいいですよ。政治の世界を変えたから。戦後は何をしたかっていうと、日常生活を変えちゃったわけですよね。その典型が家族制度で、大家族から核家族になった」(p.20)。
 養老「今言われた「科学的根拠」というものが入ってきたら絶対に信用しない(笑)」(p.22)。
 どうやったら科学的真実を見極められるか。養老「それは分野にもよると思いますね。どういう問題をあつかっているか、その切り分けが今できていないわけです。何もかも一緒にして科学的にやろうとするからできないのです」(p.23)。
 養老「人間の社会って。そんなややこしいものを理屈で簡単に割り切れるもんじゃない。終戦後、それを割り切れると思ったのがアメリカであり、日本だったわけです。だから僕みたいにストレスをずっと感じている人間もいるわけです」(p.27)。
 名越「でもあえて言葉にこだわるならば、同調圧力や差別、という言葉はあたかも意識してそれが生産されているという誤認を生む言葉のように思えるんです。同調圧力や差別が生まれるから、それを戒めなければならない、一網打尽にしなければならない、とまた強迫的に意識化しようとする。/社会正義の視点ではそれで済むのでしょうが、おそらくそれは解決の糸口ではない気がしています。もっと多様なもの、根本的なことを美しいと思ったり、受け入れたりすること。そういう動き続ける作法のようなものを取り戻さなければ、良かれと思ってされている提言や批判が、いっそうきついストレスとなって結実し続けるような気がしていて、恐れています」(p.30)。
 ウクライナ侵攻について。養老「この先、仮にプーチンが退いたとしても、あの社会では、また別なプーチンが現れますよ」(p.58)。
 日本人の自我の確立について。養老「もともとないんです。無我ですよ」(p.71)。
 養老「個の確率とか言いたがるんですよ。教育システムの中でね。あれ混乱させますよね、自己実現とか。自己がハッキリしてないのに」(p.72)。
 宗教がない日本の道徳の実態について。養老「「みんな」。子どものころから、みんながどうするのか、それぞれ自分の意見があるのは当然として、みんなはどう思うでしょうか、というものです。日本の社会の根底にあるのは「みんな」なのです」(p.74)。
 養老「結局、おカネが儲かりだしたら問題なんですよ。持ち出しでやっている間は、そんなにひどいことにはならないはずです」(p.108)。
 健康に生きる、健全に生きるといった画一的な価値観の押し付けについて。養老「そんな価値観は相手にしなければいい。要は、気持ちよく生きるということに尽きますね。ネコ見ていると分かりますよ。あいつら健全に生きようなんて思ってない。毎日、一番気持ちのいいところで過ごしている」(p.124)。
 養老「現代人にとっていちばん大きな健康問題は、自分がどういう状態だったら気持ちがいいか分からないことですよ」(p.124)。
 名越「でも、僕は社会全体を変える必要はなく、自分が変わることが大事だと思いますね」(p.147)。
 養老「社会はひとりでに変わりますよ。無理やり変えようとしてもだいたいうまくいかない。ガタが次々と出てきます」(p.147)。
 名越「人間って、原因がこれだって言いたいんですね。とくに日本はその傾向が強い。ある種のエリート主義かな。(略)この原因で、と言ったら、例えばじゃあ排気ガス出すなという、短絡過ぎてしょうもないことになって。コロナ禍で本当に参りましたね。この原因でとか」(p.157)。
 養老「子どもなんてみんな注意欠陥多動性症候群ですよ」(p.159)。

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