六冬和生著『みずは無間』2019年10月11日 22:30

15年 2月27日読了。
 第一回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作品。巻末の選評で東浩紀が『虚無回廊』を連想しているが、主人公が宇宙探査体に生身の人間から人格転写された人工知能である点、地球から遠く離れた宇宙、遥かな未来にまで活動領域が及ぶが、宇宙の果てや宇宙の終りまでには至らない事など似た点は多い。しかし、最も『虚無回廊』を思い起こさせる点は、宇宙的な知性の多様さを限界まで想像しようとしている処であろう。小川一水の「青い星まで飛んで行け」などと並んで一テーマを形成するかも知れない。
 多様な知性と言っても、中盤までは地球由来の知性しか登場しない。すなわち、人類か人類が創り出した知性体の末裔、主人公の透が創り出した知性体の末裔、無数に分岐した透自身の成れの果てなどだ。この宇宙には、人類以外の知性は自然発生しなかったのかな、と思い始めた頃、あっけなく異種知性体が登場するので、ちょっとがくっと来る。それまで出会わなかった必然的理由というのもなく、偶然らしい。
 AIと成って何万年経っても、透は生身であった頃の恋人みずはの記憶から逃れられない。忘れたいのに記憶を消去する事もできず、殆ど絶望しかけているのに自殺する勇気もない。人間の業である。それで透はどうするかと言うと、逃げる。どこまでも逃げ続けようとする。もちろん自分自身から逃れ去る事はできない。そういう話。
 受賞作に対する物ではないが選評に於ける神林長平の「現状や将来に対して自分は(作家として)どういう態度をとりたいのか」「現状を打破するSFならではの力を感じさせてほしい」「なにがどう変わっていて、そこにどんな(虚構として語る)意味があるのか」といった言葉が気になった。神林は「世の中」「いま」という言葉も使っていて、ここで言う「現状」とか「打破」がどういった事を指しているのかが知りたいと思った。「世界に対して働き掛ける事がSF或いは文学の価値なのか」「現実との関り方に依ってしか虚構を評価する事はできないのであろうか」という事が疑問だからである。
 「虚構の現実からの自律性」とはある時期に筒井康隆が取り憑かれていた主題だが。俺に取っての「打破」すべき「現状」とは何かを考えると、それは俺自身の「世界観、生命観、人間観」ではないか。それらを拡張、深化、或いは解体し再構築する事、すなわち進化。世界観、生命観、人間観が変化するという事は自分自身が変化するという事であり、それが読む=書く理由ではなかろうか。表現する事は進化する事である。
 表現する事が多様化であり、生物進化に於ける変異に相当するとするなら、自然選択に相当する物は何か。生物相互が複雑に関り合って生態系を創り出し、それが進化圧を創り出すなら、表現が相互に関り合う関係の網が一種の環境として働き進化圧と成るのではなかろうか。文化の生態学。妄想暴走中。

瀬名秀明著『新生』2019年10月12日 22:12

15年 3月 3日読了。
 小松左京へのオマージュ作品三編収録。オマージュは便利な言葉だが、ここでは敬意を込めた模倣や改変の意。「ミシェル」では小松の『虚無回廊』を元に著者が独自に展開する「実-虚-無」の思想、宇宙観に「ゴルディアスの結び目」の物語が絡んで進行する。全体にある種の予感が満ちている。それも「この宇宙の向こう側」というような、決して到達する事のないであろう物の存在の予感である。予感は到達できない物の存在を知ってしまった事の悲しみを伴う。それでもある種の知性はそこを目指す事を止められない。到達できない事を予感していても。
 ところで、科学という物の性質として普遍や一般といった「統合」の方向へ進もうとするのは判るのだが、宇宙、特に生命と知性にはそれとは逆に「多様化」しようとする強い性質があると思うのだが、それは「実-虚-無」の思想ではどのように位置付けられるのであろうか。

上田早夕里著『深紅の碑文』上下2019年10月13日 22:07

15年 3月 9日読了。
 『華竜の宮』の続編。今回も政治サスペンス。前作では魅力的な悪役が居ないなどと言ったが、本作では反社会的勢力の一員が主人公と成っている。ザフィールというその男と前作の主人公・青澄の対立を軸に、太陽系外惑星開発計画を脇筋として物語は進む。善玉の青澄よりもザフィールの方が感情移入し易いので困る。困る事はないか。
 善も悪も単純ではなく、いずれに属する者も矛盾を抱えて生きている。善と悪、希望と絶望、夢と現実といった単純な二項対立の構図を取らないのは、誠実な態度と言えるが、エンターテインメント的なカタルシスは弱く成る。それでも力強く物語が進行していくのは作者の構築力であろう。
 でもやっぱり生命科学の設定が弱い感じがするのは、まあ俺の趣味なんだろうけど。魚舟やルーシィを創り出せる生物工学技術があるなら、地球規模の天変地異はともかく、エネルギーや食糧の問題は何とかなりそうな物だという気がしてしまうのである。人間そっくりの姿に成る獣舟の変異体の謎など、今後のシリーズで明かされていくなら面白い。

藤井太洋著『オービタル・クラウド』2019年10月14日 22:02

15年 3月12日読了。
 カバー袖の粗筋などから、マニアックに科学技術的アイデアの羅列かと思っていたら、知的対決小説とでも呼ぶべき内容だった。緊迫感に満ち、ユーモラスな処もあり、山田正紀や谷甲州の冒険物を連想したりする。巧い物だ。
 ただ、味方チームの豪華さに対して、敵チームの構成がちょっとしょぼい。それにこの時点で敵チームがアメリカに居る必然性もない。チャンスという北朝鮮の工作員にもっと活躍して欲しかった。著者の視線は、敵味方双方に対して温かいが、何故か日本の役人は糞味噌に描かれている。恨みでもあるのだろうか(俺はある)。

長谷敏司著『My Humanity』2019年10月15日 22:22

15年 3月14日読了。
 四編収録。
 「地には豊饒」は、個人の経験を他者の脳に移植する技術を巡り、文化的多様性を肯定的に捉える視点と否定的に捉える視点の対立を描く。俺は文化を進化の流れの中で考える事に取り憑かれているので、文化の問題を自己同一性や知的創造性の視点からのみ考える事には物足りなさを感じるが、それは余りに俺個人の興味に引き付け過ぎた読み方。
 「allo,toi,toi」では、同じ技術で小児性愛者の殺人犯を矯正しようとする。異常性格者の内面が克明に描写されていて、小説的迫力では集中最も強い印象を残す。
 「Hollow Vision」は宇宙大活劇だが、人間を越える人工知能の存在する社会での人間の立ち位置を探る主題でもある。
 「父たちの時間」では、自然環境に大きな影響を与える大規模技術と、人間社会が主題。人間にはそのような「力」を扱う資格がないのではないかという疑問。
 全体に、人間に対する愛情はあるが過大な評価はせず、現状を客観的に見れば絶望の気配が濃厚という、悲しい予感に満ちている。