別役実著『ベケットと「いじめ」』2019年09月02日 22:18

14年11月 7日読了。
 1986年に起こった中野富士見中学いじめ自殺事件と、ベケットの戯曲を題材に日本の社会構造を分析、そこにおける現代演劇のドラマツルギーの可能性を考える。著者に依れば、現代の日本社会、特に学校の様な閉鎖的な社会では、個人から主体性が失われ、「関係」が行為を駆動していく。それは権力などに依る抑圧として働くのではなく、個性は関係性の中に吸収解消されてしまう。
 例えば個人が主体性を発揮して「誰がこんな事をしたのか」「何故したのか」という質問を発しても、「野暮である」「冗談が判らない」「空気読めない」といった言い方の中に拡散して行って答は得られない。得られないのは当然である。行為を動かしているのは個人ではなく関係だからである。この構造を著者は「無記名性」と呼ぶ。その時、関係性への個性の攻撃として自殺という方法が現れる。
 この状況は内容を無視して構造だけを表現しようとしたベケットの方法に似た処が在る。内容を消し去って関係性だけを取り出すことに依る個性の消失、著者の言葉で言えば主体の溶解を突き付ける。しかし、この方法は突き詰めていくと演劇の否定に行き着く。それでは、ベケットを越えて現代に演劇はどのように可能か。これに対して著者は「局部的リアリズム」を提唱している。さて、現代の演劇はどのような答を見出そうとしているのか。

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