古川日出男著『の、すべて』2023年11月16日 22:35

 四六判で五百頁を超える大長編。ある世界的な美術家が、後に総理大臣となる一人の政治家の伝記を書いている、という体裁で物語は進む。主人公は東京都副知事の息子の大澤光延。その他に代々巫女の家系に生まれた娘とか、巨大な製薬会社の娘とか、学習塾の敏腕経営者とか、仏教系新興宗教の家系とか、庶民とは呼べない階層の人たちばかりが登場し、皆性格もエキセントリックで感情移入できない。最初は恋愛小説のように展開するが、光延が巫女の娘である讃(たたえ)に一目ぼれする辺りから、オカルトの匂いがし始めて、令和の『帝都物語』の路線かと思ったりもするが、そっちの方にも行かず、物語は意外な展開を始める。
 なんと途中で主人公が光延から語り手の美術家に代わってしまう。俺が好きな場面は、伝記執筆のため、インタビューなど取材活動を続ける美術家が、西新宿から黄泉の国へ迷い込むところである。これは単なる幻視ではなく、現実の世界を美術家特有の視線で直感的に解釈している、というようなことらしい。その後、美術家に死者が憑りついて二重人格化するが、これも、強烈な自己暗示のように読めないこともない。この辺の、オカルトが現実と断絶していない、地続きになっている感じが面白い。そう言えば、現生と黄泉の国をつなぐ黄泉平坂の話題なども出てくる。
 重要な挿話として、光延がテロリストに襲撃される。この作品の雑誌連載が始まったのが二〇二二年の一月号で、テロの設定は最初から決まっていたように読める。そして同年の七月に安倍晋三銃撃事件が起こる。その背後には新興宗教の問題が関わっている。現実が虚構を追いかけて来る共時性。
 光延は神話を現代に接続する気概でスサノオを名乗り、日本の頂点たる総理大臣を目指す。ここも共感できないところで、光延に独自の理想などはなく「新たな保守」という抽象的なお題目を唱えるだけである。物語ではそれになぜか日本市民は熱狂するのだが、今の日本人は、例えばかつて小泉純一郎に向けたような熱狂を総理大臣に向けたりしない。誰が岸田文雄を日本の指導者として敬っているだろうか。
 じゃあ政治家以外に誰か居るかというと、どうも見当たらない。九十年代には、ビートたけしや坂本龍一などの筑紫哲也が「若者たちの神々」と呼んだカリスマ的タレントが居た。今はそういう人は居ないようである。それが現れそうになるネットの誹謗中傷でつぶされてしまうのかもしれない。
 現在を描いているので、コロナ禍は重要な要素として扱われているが、あまり巧く取り入れられているようには感じなかった。もちろん、俺が読めていない可能性はある。

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