グレッグ・イーガン著『シルトの梯子』2021年10月14日 21:52

19年 7月15日読了。
 長編ハードSF。イーガンらしい高度な物理学の概念を使った虚構科学が構築されているのが読み処。舞台は二万年後の遠未来。この世界の科学は、節点とそれらを相互に繋ぐ辺で構成される、ダイヤモンドの分子構造に似た「グラフ」という構造が前提となっている。
 但し、グラフは物質でもエネルギーでもなく、位置も大きさもなく、当然のことながら形も長さもない。辺は節点の関係だけを表す、一種の「場」のようなものである。宇宙、あるいは真空はこの構造を基礎としており、この構造の変化が辺を通して次々と伝わっていくのが全ての存在であり変化の本質である。
 その変化の法則を記述したものを「サルンペト則」という。これが、この作品でイーガンが構築した虚構科学の基礎概念である。
 グラフ研究者のキャスは、サルンペト則を元に、この宇宙の物理法則とは異なる原理が支配する、全く新しい宇宙を出現させる実験を行う。サルンペト則によれば、「新真空」と名付けられたその宇宙は、六兆分の一秒だけ存在して崩壊するはずだった。
 ところが、新真空は崩壊せずに拡大を始めた。誰もが真実と疑わなかったサルンペト則は間違っていたのである。ちょうど、ニュートン力学が地球上の人間の等身大の領域においてのみ近似的に正しかったように、サルンペト則も特別な場合の近似に過ぎなかったのである。
 新真空は同心球状に光速の半分の速度で拡大を続け、人間の生存圏を含む星々を侵食していった。それから数百年後、人類は新真空の脅威への対処の仕方で、二つの派閥に別れ対立していた。
 その一つは、この未知なる新たな領域を保存し研究するために、その拡大と同じ速度で人類全体が逃げ続けようという「譲渡派」。もう一つは、新真空を破壊して今在る人類圏を守ろうという「防御派」である。
 作品は、この二派の対立を軸に進行し、終盤では新真空の中に情報化された人間が入り込んでいき、意外な物を発見する。
 この時代の人間は、情報化した人格を送って宇宙旅行をしている。人間の多くは、喩え一旦情報化されても、辿り着いた先では用意された身体に人格を宿して活動するが、基本的に実体を持たずに情報として活動を続ける「非実体主義者」と呼ばれる人達も居る。この時代の人間は基本的に死なない。不慮の事故で肉体や人格情報が失われても、バックアップを取って置けば再生できる。
 人間の存在の仕方がもはや同種とは言えないほど違っているのに、不自然なほど彼らの精神構造が現代人に似ていて判り易いのも、いつものイーガンである。これは「どんなに変化しても人間は人間」というような発想ではない。『白熱光』に登場した異星人も、「直交三部作」に登場した異世界人も同様だからである。
 ネタバレに成るが、この作品でも、物理法則の異なる新真空で出会う知性体ともあっさり言葉が通じてしまう。ソラリスの海のような「理解困難な異種知性」をイーガンが苦手としているという事もあるのかも知れないが、作品をエンターテインメントとして成立させるために、不自然さを承知でわざとそうしているのであろう。
 設定のハードさに比べて、物語の展開も終盤は完全な異境冒険小説である。小説の中核はハードな設定の着想であっても、小説の形式はエンターテインメントに徹するというイーガンのこだわりが感じられる。
 尤も、エンターテインメントの部分はそれほど優れているとは思われない。終盤近くにテロが起こって物語が急展開するなど、筋立てが類型的なのは必ずしも欠点ではないが、登場人物に魅力が乏しい。譲渡派と防御派の対立など、感情的にかなり幼稚な処もあってちょっとイライラする。
 虚構科学の果てに現れるイメージもそんなに凄くない。これは『宇宙船オロモルフ号の冒険』と比較しているので、ハードルが高過ぎるかも知れないが。
 これもネタバレだが、最終盤に新真空誕生の原因となった実験を行った研究者であるキャスが復活する処はちょっとカタルシスがある。
 とはいえ、虚構科学の構築性、未来世界のガジェットの数々など、充分に楽しい作品であった。ネットで感想を検索すると、皆さん判らなさを楽しんでいるようでめでたい。

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