ジョン・エリス・マクタガート著『時間の非実在性』2024年01月19日 23:03

 イギリスの哲学者ジョン・エリス・マクタガートが百年前に書いた論文の永井均による訳だが、本文は四十ページ余りしかなく、それに数倍する永井均による注釈と論評と付論がつく。
 要旨としては「時間概念には矛盾があり、したがって時間は実在しない」というもの。矛盾の内容は、マクタガートの語法によれば「時点あるいは出来事は、未来、現在、過去のいずれかであり、複数が両立することはあり得ないが、一方で、自転あるいは出来事は相対的に未来でも現在でも過去でもある」ということである。永井均的な語法で言えば「相対化不可能な端的な現在と観点に依存して相対的な現在」の矛盾である。
 「時間は、他のいかなるものにも似ていないので、哲学的時間論は類比の鋭利さの競い合いにならざるをえない。もちろん、どの類比も時間の一面しか捉えていない」(p.4「はじめに」)。
 論文本文第65段落の永井均による要約「私が直接的に知覚するときが現在であるとされるが、この定義には循環が含まれている。「私が直接的に知覚するとき」は「それが現在であるとき」を意味するからだ」(p.179)。
 ある時点における現在、というような「いつでも現在と言える」現在の相対性について「なぜそうなるのかと言えば、それは「いつでも現在である」の現在ではなく、「その「いつでも」のうちの一時点が端的に現在である」のほうの「現在」の在り処が、本質的に「その内側しか捉えられない」というあり方をしているからである。したがってそれは、その外側から見れば、実在しない」(p.193)。
 「この矛盾が哲学的に重要な意味を持つ理由は、観点依存的でない絶対的な捉え方が観点依存的で相対的な捉え方を(どこまでも)超出していくのに対し、観点依存的で相対的な捉え方は観点依存的でない絶対的な捉え方を(どこまでも)自分のうちに吸収しようとするからである」(p.241)。
 「神はたくさんの生き物の中から私を識別することができない。神はまた、諸時点のうちから現在を識別することもできない。それらはいずれも、端的な内側だからである」(p.241)。
 「欺く神と闘ったデカルトがある一点で神に勝利してしまうのはまさにそれゆえである」(p.242)。
 「しかし、それゆえに時間が実在できなくなる、などということはありえない。むしろ、ここからいえることは、時間の存在のためにはその矛盾が不可欠である、という事実であろう」(p.250)。
 矛盾しながら両立して破綻しない。曲芸のようだが我々は日常においてやすやすとそれをやっている。

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