青木耕平他著『現代アメリカ文学ポップコーン大盛』2025年02月03日 00:05

 八人のアメリカ文学研究者が、テーマを統一することなく、各自の好奇心と知的関心に基づいて書いたエッセイ集。タイトルに「現代」アメリカ文学とあるのだから当然なのだが、アメリカ社会の現状と文学のかかわりについて書かれたものが多い。特に、人種、セクシャリティ、ルッキズム、貧富といった、格差や多様性の問題と文学という問題意識が目立つ。大雑把に言うと、そういう「ポリティカル・コレクトネス」に照らして、正しいかとか、役に立つかとかいった視点で語られる。
 それに対して、俺の立場は、ブレット・イーストン・エリスに近い。つまり「文学は政治的な正しさに奉仕するためにあるのではない」。文学には政治性とは独立した独自の評価基準がある。もっとぶっちゃけて言うと、政治的に正しくても面白くなかったら意味がない。アメリカではそういうことを言うとどうも「反リベラルで反多様性でトランプ」と思われてしまうらしい。
 テーマに統一性はないと言いながら、そういうことも含めて、なんとなく現代アメリカ文学の現代の状況が見渡せるのが面白い。もう一つ俺には収穫だったのは、俺は現代性や同時代性よりも普遍性のようなことに関心があるらしいと確認できたことである。

宮内悠介著『暗号の子』2025年02月05日 22:53

 短編集。テクノロジー、特にデジタル通信の問題を扱ったものが中心。表題作は、インターネットの中のささやかな理想郷の誕生と崩壊の物語。あとがきによると、著者はこういう筋立てが好きだそうである。
 「すべての記憶を燃やせ」はAIによる執筆だそうだが、そんなこととは無関係に面白かった。あとがきによれば執筆はAIでも、設定やキャラクターを作ったのは人間の著者で(ややこしい)、学習データなども著者が用意したようだ。読んだ人間をおかしくさせる詩、というのが主題。著者(もちろん人間の)は川又千秋の『幻詩狩り』から着想したようだが、俺は飛浩隆の「アリス・ウォン」シリーズを連想した。外部からコンピュータウィルスのように人間の精神に感染する、という意味ではホラーの「リング」シリーズにも似ている。言うまでもないが、先だから偉いとか、真似だから駄目だとかいう話ではない。むしろ、こういう主題の作品が多く書かれ、多様にもなり、深化もしていってほしいものである。
 複数の作品で「ブロックチェーンを使った、中心のない総意の決定システム」が登場する。完全に肯定的に描かれているわけではないが、可能性は感じているように見える。
 小説中にも「悪」という言葉が出てくるが、あとがきにはよりはっきり「インターネットに悪が潜むこと」(p.279)と書かれている。悪とは何か。小松左京の「ゴルディアスの結び目」や「結晶星団」にも通ずる主題だが、悪(あるいは善)は、人間が生むものなのか、人間がいないところにも普遍的な善悪のようなものはあるのか、進化は善か、物理法則は善か、などという方向に俺の心はさまよいだす。

養老孟司著『わからないので面白い 僕はこんなふうに考えてきた』2025年02月08日 23:08

 一九九六年から二〇〇七年に「中央公論」に断続的に連載した時評エッセイから編者が選んだもの。
 「自然を「管理しよう」という人間の意識は、環境問題を引き起こしてきた。その根本は、「秩序的活動は無秩序をどこかに排出する」という大原則を忘れたことにある」(p.47)。
 「先日、福井県の田舎に行った。土地の人が冬場に水を張った田んぼを作っていて、これなら農薬がいらない、おかげでいろいろな生きものが田んぼで生きていると、教えてくれた。そういう人がいるということは、まだ可能性があるということである」(p.55)。
 「どうせ日本の農家は八割が兼業である。それなら逆にさまざまな試みができるはずである」(p.56)。
 「命とはなにか、それを自分がきちんと理解しているのであれば、他の命を絶つときに、祈ったり感謝したりするのは、バカらしいことに違いない。ところがその命を人が創ることができないということは、命とはなにか、それが人間には本当にはわかっていないということである。正体のわからないもの、しかしその恩恵を日常受けているもの、そういうものを簡単に壊していいか。ダメに決まっているではないか」(p.91)。
 「科学は生きものを作る方向になんか、進歩していない。むしろどんどん壊すほうへと進んでいる。世界の現状を素直に見れば、それは明らかであろう。だからいまでは、子どもですら自殺するのである」(p.96)。
 「現実とは「その人の行動に影響を与えるもの」である」(p.116)。
 「どうせアメリカと意見が同じになるのだから、外務省はいらないといった人もある」(p.162)。
 「私は人間の不幸の何割かは、まじめさから生じると思っている。アメリカ人はまじめで、実はこれが迷惑のもとである。(略)日本では金持ち喧嘩せずという。それならアメリカは実は貧乏なのかもしれない。あれだけの資源を持ち、個人当たりでも世界一のエネルギー消費量を誇る国である。それがなんで喧嘩をするのか、そこがアメリカ人のまじめさであろう。まじめもほどほどがいいのである」(p.163)。

ミヒャエル・エンデ著『魔法のカクテル』2025年02月11日 22:22

 岩波少年文庫。長編。
 大みそかの夜、科学の魔術師であるイルヴィツァーと金の魔女であるティラニアの二人は、世界を破滅に導くため、願いが叶う魔法のカクテルを作り出そうとする。この二人を見張るために、動物最高評議会から送り込まれた牡猫のマウリツィオとカラスのヤーコプは、それを止めようと悪戦苦闘する。単純な筋立てだが、その筋立ての単純さが、登場人物(動物)の魅力と、展開するイメージの面白さを際立たせる。
 魔術師と魔女は悪魔の部下として設定されており、上司である悪魔の示した課題を実現するために、計画を立て実行するのが魔術師と魔女の役割である。魔術師と魔女は悪魔に提示された期日までにノルマを達成するために焦りに焦っている。
 一方、たくらみに気付いた猫とカラスも、今からどこかに助けを求めても間に合わないのは明らかなので、自分たちで阻止するしかなく、七転八倒する。猫とカラスの本来の役割は、魔術師と魔女を監視することだから、それほど高い能力を持っているわけではなく、自分たちに何ができるか必死になって考え実行する。猫とカラスは本質的には善良なのだが、性格的には弱さや愚かさを多く持っている。猫などは魔術師にすっかり丸め込まれ、自分の役割も忘れ果てている。カラスが猫を目覚めさせるのだが、カラスは悲観的な性格で、泣き言ばかり言い、すぐに恋人(複数いる)のところに帰りたがる。
 すぐれた人物の活躍を描くいわゆる英雄譚も楽しいが、駄目な人物(動物)が駄目なりに頑張る話も、独特のカタルシスがあって俺は好きである。
 魔法のカクテルの合成過程では、様々な奇妙なことが起こり、奇怪なイメージが展開する。まったくのファンタジーなのだが、妙にSF的な説明がついていたりするのも面白い。
 「ところで四次元の世界というのは、じつはどか遠く離れたところなのではなく、まさしくここ、わたしたちのいるところがそうなのだ。ただ、わたしたちの目も耳もそれに合わせて作られていないので、気がつかないだけだ」(p.211)。
 冒頭の、悪魔の使いが魔術師を訪れる場面で、魔術師が何度も使いの名前を間違え、そのたびに使いが訂正するなど、細かいくすぐりも多くて楽しい。
 魔術師が環境破壊などの科学技術の暴走を、魔女が市場主義経済や金融を象徴していることは明らかで、そこから何らかのメッセージを読むことは可能だが、それをこの作品の主題とするのは間違いであろう。

小川哲著『スメラミシング』2025年02月13日 22:03

 短編六編を収録。SFとしては「七十人の翻訳者たち」が完成度が高い。描かれる人物と描く人物の入れ子構造を描いていて、ある種のメタフィクションにもなっていて俺好みである。
 表題作は、純文学、つまり内面を描いた物語。ちょっと「ズレちゃった人」がたくさん出てくる。息子の一人立ちを受け入れることができずにすべてを掌握しようとする母親とか、規格外のものの混入が許せずすべてが整然としていなければ我慢ならないある種の強迫神経症、反ワクチン主義の医者、様々な陰謀論者などなど。そしてSNSにスメラミシングというアカウントで支離滅裂な投稿をする者が現れる。意味不明なのだが、漠然と現代の世界に不満を持っているらしいことは判る。そのスメラミシングに、先のズレちゃった人たちが反応する。スメラミシングの投稿は意味不明なだけにどのような解釈も可能で、内容についての議論が盛り上がり、スメラミシングの解説をする人たちは「バラモン」と呼ばれた。やがてスメラミシングは「ネタ」の対象ではなく、「崇拝」の対象になっていく。ズレているのは自分ではなく世界の方だと勘違いしている人々は、スメラミシングの「指導」の下、世界を変えようと動き出す。