円城塔著『プロローグ』 ― 2020年02月22日 22:23
15年12月14日読了。
『エピローグ』の感想に「小説の登場人物が自分自身を記述しながら、自分を記述しているその当の言語を改変し、拡張しているという話」などと書いたが、この作品が正にそういう物であった。登場人物達が、自分が虚構内存在である事を知っているという点では『虚人たち』にも似ている。出出しなどそっくりだ。
今正に書き進められているこの作品を標本にしながら、小説の文章の分析を進める一方、黄泉比良坂や東日流外三郡誌などアラマタ方面の話題も出てくる。様々な設定世界に散らばった登場人物達が、不思議な形で一堂に会する終盤などなかなか感動的である。
コンピュータに文学を書かせる事が一つの主題と成っているが、それが最終的な目的ではないらしい。その先にある目的は「人間を見付け出す」事らしいが、それとても当面の目標に過ぎないのかも知れない。文学のリファクタリング。
『エピローグ』の感想に「小説の登場人物が自分自身を記述しながら、自分を記述しているその当の言語を改変し、拡張しているという話」などと書いたが、この作品が正にそういう物であった。登場人物達が、自分が虚構内存在である事を知っているという点では『虚人たち』にも似ている。出出しなどそっくりだ。
今正に書き進められているこの作品を標本にしながら、小説の文章の分析を進める一方、黄泉比良坂や東日流外三郡誌などアラマタ方面の話題も出てくる。様々な設定世界に散らばった登場人物達が、不思議な形で一堂に会する終盤などなかなか感動的である。
コンピュータに文学を書かせる事が一つの主題と成っているが、それが最終的な目的ではないらしい。その先にある目的は「人間を見付け出す」事らしいが、それとても当面の目標に過ぎないのかも知れない。文学のリファクタリング。
今江祥智著『ぼんぼん』 ― 2020年02月23日 21:04
15年12月16日読了。
暫く読んでから再読である事に気付く。内容を殆ど覚えていないのだ。太平洋戦争の海戦から敗戦までの四年間に小学校三年生から六年生に成って行く少年の物語。
何処にでも居そうな身近な人々が多い中で、佐脇という老人だけが欠点のない完成した理想的人物として描かれる。ちょっとリアリティがない感じもする。
戦時中の生活が描かれているが、反戦を前面に押し出している訳ではなく、戦時下という異常な状況の中でも、子供達には子供達らしい活き活きとした内面世界があるという、考えてみれば当たり前な、でももしかすると忘れがちかも知れない物語。男女七歳にして席を同じゅうせずにいたりすると、却って異性を意識したりするんだろうな。
暫く読んでから再読である事に気付く。内容を殆ど覚えていないのだ。太平洋戦争の海戦から敗戦までの四年間に小学校三年生から六年生に成って行く少年の物語。
何処にでも居そうな身近な人々が多い中で、佐脇という老人だけが欠点のない完成した理想的人物として描かれる。ちょっとリアリティがない感じもする。
戦時中の生活が描かれているが、反戦を前面に押し出している訳ではなく、戦時下という異常な状況の中でも、子供達には子供達らしい活き活きとした内面世界があるという、考えてみれば当たり前な、でももしかすると忘れがちかも知れない物語。男女七歳にして席を同じゅうせずにいたりすると、却って異性を意識したりするんだろうな。
今西祐行著『浦上の旅人たち』 ― 2020年02月24日 22:36
15年12月17日読了。
明治始めの隠れキリシタン弾圧の物語。歴史を物語風に語った読物としては良い物であろうし、その意味では岩波少年文庫に相応しい作品であろうが、小説としては人物に厚みが足りないし、筋立てにしても大きなうねりを感じさせる骨太さがある訳でもなく、息をも吐かせぬ波乱の展開がある訳でもない。
改宗した信徒の心の葛藤がもっと描かれれば深みが出たのではないか。或いは、当時の明治政府にはキリシタン弾圧がどうしてそんなに重大問題なのか理解できず、欧米の非難の意味が判らなかった筈で、その辺りを書いても面白かっただろう。
元々児童文学として書かれた物なので一般向け小説として評価しようとするのが無い物ねだりなのかも知れない。これを読んだ子供達に少しでも「信仰とは何か」という興味が湧いたなら優れた児童読物である。
明治始めの隠れキリシタン弾圧の物語。歴史を物語風に語った読物としては良い物であろうし、その意味では岩波少年文庫に相応しい作品であろうが、小説としては人物に厚みが足りないし、筋立てにしても大きなうねりを感じさせる骨太さがある訳でもなく、息をも吐かせぬ波乱の展開がある訳でもない。
改宗した信徒の心の葛藤がもっと描かれれば深みが出たのではないか。或いは、当時の明治政府にはキリシタン弾圧がどうしてそんなに重大問題なのか理解できず、欧米の非難の意味が判らなかった筈で、その辺りを書いても面白かっただろう。
元々児童文学として書かれた物なので一般向け小説として評価しようとするのが無い物ねだりなのかも知れない。これを読んだ子供達に少しでも「信仰とは何か」という興味が湧いたなら優れた児童読物である。
船崎克彦著『雨の動物園』 ― 2020年02月25日 22:57
15年12月17日読了。
各章には「ヒキガエル」「コウモリ」「トカゲとヤモリ」と身近な小動物の名前が付けられており、博物誌風にそれぞれの動物に纏わる挿話が重ねられていくが、それがそのまま著者の少年時代と世の中の移り変わりの描写と成っていく。幼い頃、小さな生き物を捕まえたり飼ったりする事に熱中した事のある者には何やらほろりと懐かしい。
兜虫は店で売っている物だと思っている現代の都会の子供達はあの感覚を知らずに育つのであろうが、それを寂しいと思うのは年寄のノスタルジーであろう。ゲームばかりやっているように見える彼らにも、我々の時代とは違うそれなりの豊かさがある……のだと信じたい。
著者との関りは浅かったのに、僅かな期間庭に現れた栗鼠が俺には強い印象を残した。
各章には「ヒキガエル」「コウモリ」「トカゲとヤモリ」と身近な小動物の名前が付けられており、博物誌風にそれぞれの動物に纏わる挿話が重ねられていくが、それがそのまま著者の少年時代と世の中の移り変わりの描写と成っていく。幼い頃、小さな生き物を捕まえたり飼ったりする事に熱中した事のある者には何やらほろりと懐かしい。
兜虫は店で売っている物だと思っている現代の都会の子供達はあの感覚を知らずに育つのであろうが、それを寂しいと思うのは年寄のノスタルジーであろう。ゲームばかりやっているように見える彼らにも、我々の時代とは違うそれなりの豊かさがある……のだと信じたい。
著者との関りは浅かったのに、僅かな期間庭に現れた栗鼠が俺には強い印象を残した。
筒井康隆著『モナドの領域』 ― 2020年02月26日 22:49
15年12月18日読了。
はっきりと地名は書かれないが、どうやら東京郊外か地方都市らしい街に神が現れる。いとも容易く、ふらりと現れる。雷も鳴らないし嵐も起こらないし神を称える歌声も響かない。降臨の前にバラバラ事件が起こっているのだが、これが神の出現とはっきり結び付けられるのは終盤に成ってからである。
神は普通の人間に憑依している。千里眼や予知のような事は行って見せるが、はっきりとした奇跡は起こさない。にも拘らず神と関った者は皆彼が神だと確信してゆく。その言葉のみに依ってである。
人間が想像力で生みだした宗教上の神ではなく独自の存在である事を強調するため、彼はGODと名乗る。彼は空間的にも時間的にも遍在し、それどころか全ての可能世界にも普く存在しているらしい。
殆どの場面は人間とGODとの対話に費やされる。作品の面白さは、GODの語る世界観、人間観に集中している。GODは真善美といった言葉を使うが、それはどうやら人間の価値を遥かに超越した物らしく、「悪は真」と言ったり、災害や戦争を「美」と評価したりする。それどころか、人類は必ず滅亡しその後も宇宙は続くと何でもない事のように言う。
GODには人間を導く積もりも救う積もりもなく、言うなれば、自ら作った或いは作りつつある、まあGODは時間的にも遍在者なので時制は確定できないが、作品を鑑賞するような態度で居る。
GODは世界や人間について、様々な事を説明したり示唆したりするが、究極的には不可知論的な処に行き付く。これは当然で、無限の遍在者の事が人間の言葉で説明でき理解できたらそっちの方がおかしい。この世界を小説に喩えたり(我々読者から見れば実際に小説なのだが)するので、世界は実在的にも情報的にも解釈できると考えていると言うか知っているらしい。
俺に面白かったのは、多元宇宙的な全ての可能世界は、独立した時間の流れを持つ世界が並列的に存在するのではなく、相互に関連して、もしかしたら第五次元的に連続して広がっている事を示唆している点である。
もっと語って欲しかった点としては、生命とはどのような物か。星は、宇宙は生きているのか。また、物質は粒子モデルで語られる事が多いが、時空間やエネルギーは粒子モデル的か連続モデル的か。その時、プランク定数とはどう解釈すべきか。というような事をGODにお聞きしたかった物である。まあ、自分で考えろという事であろうが。
はっきりと地名は書かれないが、どうやら東京郊外か地方都市らしい街に神が現れる。いとも容易く、ふらりと現れる。雷も鳴らないし嵐も起こらないし神を称える歌声も響かない。降臨の前にバラバラ事件が起こっているのだが、これが神の出現とはっきり結び付けられるのは終盤に成ってからである。
神は普通の人間に憑依している。千里眼や予知のような事は行って見せるが、はっきりとした奇跡は起こさない。にも拘らず神と関った者は皆彼が神だと確信してゆく。その言葉のみに依ってである。
人間が想像力で生みだした宗教上の神ではなく独自の存在である事を強調するため、彼はGODと名乗る。彼は空間的にも時間的にも遍在し、それどころか全ての可能世界にも普く存在しているらしい。
殆どの場面は人間とGODとの対話に費やされる。作品の面白さは、GODの語る世界観、人間観に集中している。GODは真善美といった言葉を使うが、それはどうやら人間の価値を遥かに超越した物らしく、「悪は真」と言ったり、災害や戦争を「美」と評価したりする。それどころか、人類は必ず滅亡しその後も宇宙は続くと何でもない事のように言う。
GODには人間を導く積もりも救う積もりもなく、言うなれば、自ら作った或いは作りつつある、まあGODは時間的にも遍在者なので時制は確定できないが、作品を鑑賞するような態度で居る。
GODは世界や人間について、様々な事を説明したり示唆したりするが、究極的には不可知論的な処に行き付く。これは当然で、無限の遍在者の事が人間の言葉で説明でき理解できたらそっちの方がおかしい。この世界を小説に喩えたり(我々読者から見れば実際に小説なのだが)するので、世界は実在的にも情報的にも解釈できると考えていると言うか知っているらしい。
俺に面白かったのは、多元宇宙的な全ての可能世界は、独立した時間の流れを持つ世界が並列的に存在するのではなく、相互に関連して、もしかしたら第五次元的に連続して広がっている事を示唆している点である。
もっと語って欲しかった点としては、生命とはどのような物か。星は、宇宙は生きているのか。また、物質は粒子モデルで語られる事が多いが、時空間やエネルギーは粒子モデル的か連続モデル的か。その時、プランク定数とはどう解釈すべきか。というような事をGODにお聞きしたかった物である。まあ、自分で考えろという事であろうが。
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