アンソロジー『特別ではない一日』 ― 2022年09月02日 21:42
2021年12月22日読了。
四六判の単行本で数ページの短い作品を集めたもの。小説あり、エッセイあり、身辺雑記、散文詩のごときものなど様々だが、幻想的な要素のあるものが目立つ。幻想的な作品では、イメージの鋭さや鮮やかさが評価されることが多いが、ここに収録されたものは、むしろ、「落ち切らない、もやっとした感じ」が心地よい。知っていた作家の名を挙げると、円城塔、岸本佐知子、高山羽根子、西崎憲、皆川博子、山尾悠子という豪華さ。初めて知った作家の作品では、岡屋出海という漫画が本職の人の「午前中の鯱」が大変に面白かった。
四六判の単行本で数ページの短い作品を集めたもの。小説あり、エッセイあり、身辺雑記、散文詩のごときものなど様々だが、幻想的な要素のあるものが目立つ。幻想的な作品では、イメージの鋭さや鮮やかさが評価されることが多いが、ここに収録されたものは、むしろ、「落ち切らない、もやっとした感じ」が心地よい。知っていた作家の名を挙げると、円城塔、岸本佐知子、高山羽根子、西崎憲、皆川博子、山尾悠子という豪華さ。初めて知った作家の作品では、岡屋出海という漫画が本職の人の「午前中の鯱」が大変に面白かった。
大森望編『ベストSF2021』 ― 2022年09月03日 21:27
2021年12月26日読了。
二〇二〇年度のベストSFアンソロジー。宇宙物がないくらいで、全体の傾向のようなものは見いだせない。世代も若手からベテランまで。以下俺が好きな作品。
柞刈湯葉「人間たちの話」。主人公は、現代日本人なのにどういうわけか西洋的な個人主義が身に付かなかった男。人間の個性には意味を見出せず「種としての人類」とか「地球の生態系全体」に自己同一性が組み込まれてしまっている。彼は「地球生命の孤独」を解消したい。惑星レベルの孤独である。彼は、地球外生命を探索する科学者になる。行方をくらました彼の姉が置き去りにした息子、彼から見れば甥を引き取り、一緒に暮らし始める。そして、個人的な孤独を再発見する。
三方行成「どんでんを返却する」。返却期限の迫ったどんでんを返そうとする男の冒険。どんでんとは何か。
勝山海百合「あれは真珠というものかしら」。海辺に作られた奇妙な学校の奇妙な学友たちの物語。寂しいような悲しいようなちょっと爽やかなような不思議な読後感。
二〇二〇年度のベストSFアンソロジー。宇宙物がないくらいで、全体の傾向のようなものは見いだせない。世代も若手からベテランまで。以下俺が好きな作品。
柞刈湯葉「人間たちの話」。主人公は、現代日本人なのにどういうわけか西洋的な個人主義が身に付かなかった男。人間の個性には意味を見出せず「種としての人類」とか「地球の生態系全体」に自己同一性が組み込まれてしまっている。彼は「地球生命の孤独」を解消したい。惑星レベルの孤独である。彼は、地球外生命を探索する科学者になる。行方をくらました彼の姉が置き去りにした息子、彼から見れば甥を引き取り、一緒に暮らし始める。そして、個人的な孤独を再発見する。
三方行成「どんでんを返却する」。返却期限の迫ったどんでんを返そうとする男の冒険。どんでんとは何か。
勝山海百合「あれは真珠というものかしら」。海辺に作られた奇妙な学校の奇妙な学友たちの物語。寂しいような悲しいようなちょっと爽やかなような不思議な読後感。
ジョン・グレイ著『猫に学ぶ いかに良く生きるか』 ― 2022年09月04日 22:11
2021年12月28日読了。
政治哲学者ジョン・グレイによる猫にまつわる哲学エッセイ。猫にとって人間から学ぶことは何もないが、人間は猫から学び得ることが大いにある、という内容。
「人間は猫にはなれない。しかし、自分のほうが優れた生き物だという思い込みを捨てさえすれば、どうして猫はいかに生きるかについて必死に探究しなくても幸せに生きられるのかが理解できるかもしれない」(p.6)。
「猫は哲学を必要としない。本性(自然)に従い、その本性が自分たちに与えてくれた生活に満足している。一方、人間のほうは、自分の本性に満足しないことが当たり前になっているようだ。人間という動物は、自分ではない何かになろうとすることをやめようとせず、そのせいで、当然ながら悲喜劇的な結末を招く。猫はそんな努力はしない」(p.6)。
「猫が哲学を理解できたとしても、そこから学ぶことは何もないだろう」(p.8)。
「猫は自分の生活を検証する必要がない。この生が生きるに値するかどうかという疑問を持たないからだ。人間の自意識はたえまない不安を生み出し、哲学はそれを解消しようと必死に努めてきたが、その努力は空しかった」(p.12)。
「人生の目的は幸福になることだと言うことは、自分は惨めだと言っているに等しい」(p.36)。
「哲学は治療を標榜してはいるが、じつはそれが治すと称している病の症状にすぎない」(p.36)。
「これら古代の哲学にはすべてに共通する欠陥がある。いずれも、人間の理性によって人生を秩序だてることができると夢想しているのだ。(略)だが実際にはそんなふうにして生き方や感情をコントロールすることはできない。生き方は偶然によって、感情は身体によって形作られる。人生のほとんどは、そして哲学のほとんどは、その事実から目を逸らせようという企てに過ぎない」(p.45)。
「良き人生はそれを生きることによってのみ知ることができる。考えすぎて、それを理論にしてしまうと、それは霧散してしまう」(p.76)。
「猫の行動の一意専心ぶりから察するに、猫における無私は、禅のいう「無心」とどこか共通している。「無心」に到達した人に、心がないわけではない。「無心」とは気を散らさない注意力、言いかえると、自分のしていることに完全に没頭していることである。自然にそれができる人間は稀にしかいない。最高の弓術家は何も考えずに矢を放つが、それは生涯にわたる鍛錬のたまものである。それに対して、猫は生まれつき無心である」(p.92)。
「人間に向かって理性的になれと説教するのは、猫に向かってヴィーガンになれと説得するようなものだ。人間は自分の信じたいことを補強するために理性を用いるが、自分の信じていることが正しいかどうかを発見することはまずない。これは不幸なことだが、これについては誰も何もできない」(p.152)。
「幸福は追いかければ見つかるというものではない。何が自分を幸福にしてくれるのか、わかっていないのだから。そうではなく、いちばん興味のあることをやれば、幸福のことなど何ひとつ知らなくても幸福になれるだろう」(p.154)。
「猫の哲学は人間の叡智の探求を後押ししてはくれない。人生そのものが楽しめなかったら、気まぐれや幻想に満足を見出しなさい。死の恐怖と闘ってはいけない。それが静まるのを待ちなさい。落ち着きを求めすぎると、いつまでも混乱から抜け出せない。世界に背を向けるのではなく、世界に戻り、その馬鹿らしさを受け入れなさい」(p.156)。
政治哲学者ジョン・グレイによる猫にまつわる哲学エッセイ。猫にとって人間から学ぶことは何もないが、人間は猫から学び得ることが大いにある、という内容。
「人間は猫にはなれない。しかし、自分のほうが優れた生き物だという思い込みを捨てさえすれば、どうして猫はいかに生きるかについて必死に探究しなくても幸せに生きられるのかが理解できるかもしれない」(p.6)。
「猫は哲学を必要としない。本性(自然)に従い、その本性が自分たちに与えてくれた生活に満足している。一方、人間のほうは、自分の本性に満足しないことが当たり前になっているようだ。人間という動物は、自分ではない何かになろうとすることをやめようとせず、そのせいで、当然ながら悲喜劇的な結末を招く。猫はそんな努力はしない」(p.6)。
「猫が哲学を理解できたとしても、そこから学ぶことは何もないだろう」(p.8)。
「猫は自分の生活を検証する必要がない。この生が生きるに値するかどうかという疑問を持たないからだ。人間の自意識はたえまない不安を生み出し、哲学はそれを解消しようと必死に努めてきたが、その努力は空しかった」(p.12)。
「人生の目的は幸福になることだと言うことは、自分は惨めだと言っているに等しい」(p.36)。
「哲学は治療を標榜してはいるが、じつはそれが治すと称している病の症状にすぎない」(p.36)。
「これら古代の哲学にはすべてに共通する欠陥がある。いずれも、人間の理性によって人生を秩序だてることができると夢想しているのだ。(略)だが実際にはそんなふうにして生き方や感情をコントロールすることはできない。生き方は偶然によって、感情は身体によって形作られる。人生のほとんどは、そして哲学のほとんどは、その事実から目を逸らせようという企てに過ぎない」(p.45)。
「良き人生はそれを生きることによってのみ知ることができる。考えすぎて、それを理論にしてしまうと、それは霧散してしまう」(p.76)。
「猫の行動の一意専心ぶりから察するに、猫における無私は、禅のいう「無心」とどこか共通している。「無心」に到達した人に、心がないわけではない。「無心」とは気を散らさない注意力、言いかえると、自分のしていることに完全に没頭していることである。自然にそれができる人間は稀にしかいない。最高の弓術家は何も考えずに矢を放つが、それは生涯にわたる鍛錬のたまものである。それに対して、猫は生まれつき無心である」(p.92)。
「人間に向かって理性的になれと説教するのは、猫に向かってヴィーガンになれと説得するようなものだ。人間は自分の信じたいことを補強するために理性を用いるが、自分の信じていることが正しいかどうかを発見することはまずない。これは不幸なことだが、これについては誰も何もできない」(p.152)。
「幸福は追いかければ見つかるというものではない。何が自分を幸福にしてくれるのか、わかっていないのだから。そうではなく、いちばん興味のあることをやれば、幸福のことなど何ひとつ知らなくても幸福になれるだろう」(p.154)。
「猫の哲学は人間の叡智の探求を後押ししてはくれない。人生そのものが楽しめなかったら、気まぐれや幻想に満足を見出しなさい。死の恐怖と闘ってはいけない。それが静まるのを待ちなさい。落ち着きを求めすぎると、いつまでも混乱から抜け出せない。世界に背を向けるのではなく、世界に戻り、その馬鹿らしさを受け入れなさい」(p.156)。
土屋賢二著『妻から哲学』 ― 2022年09月05日 21:35
2021年12月31日読了。
ユーモア・エッセイ集。週刊文春に連載中の「ツチヤの口車」からの選りすぐり。
「わたしは〈甲斐〉がキライだ。努力や苦労が無駄に終わってもいいではないか。何にでも見返りを求める根性は恥じるべきである。妻は恥じよ」(p.256)。
今年最後に相応しい読書であった。
ユーモア・エッセイ集。週刊文春に連載中の「ツチヤの口車」からの選りすぐり。
「わたしは〈甲斐〉がキライだ。努力や苦労が無駄に終わってもいいではないか。何にでも見返りを求める根性は恥じるべきである。妻は恥じよ」(p.256)。
今年最後に相応しい読書であった。
養老孟司著『まる ありがとう』 ― 2022年09月06日 21:45
2022年 1月 2日読了。
2020年12月に死んだ養老孟司の愛猫まるにまつわるエッセイ。
「みんなが自足したら、きっと良い世の中になる。(略)私も自足した存在でありたいと常に思うが、人間社会にいると自分だけというのはなかなか難しい。いくら「俺は、これでいいんだ」と頑張ってみても、家族、友人、仕事といろいろなしがらみの中にいれば難しいところがある。とりあえず、私のすぐそばにいて完全に自足している生き物は、まるしかいない。だから、まるは私のものさしなのである」(p.103)。
2020年12月に死んだ養老孟司の愛猫まるにまつわるエッセイ。
「みんなが自足したら、きっと良い世の中になる。(略)私も自足した存在でありたいと常に思うが、人間社会にいると自分だけというのはなかなか難しい。いくら「俺は、これでいいんだ」と頑張ってみても、家族、友人、仕事といろいろなしがらみの中にいれば難しいところがある。とりあえず、私のすぐそばにいて完全に自足している生き物は、まるしかいない。だから、まるは私のものさしなのである」(p.103)。
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