R・F・クァン著『バベル オックスフォード翻訳家革命秘史』上下 ― 2026年06月03日 22:34
長編。歴史改変ファンタジー。十九世紀、イギリスは翻訳を使った魔術によって世界の覇権を握っていた。オックスフォード大学には、新たな魔法の開発や維持管理のための研究機関である翻訳研究所、通称「バベル」があった。
ロビン・スウィフトは、疫病が猛威を振るう広東で、家族を失い一人生き残っていたところを、バベルの研究者であるラヴェル教授に引き取られる。実は、ラヴェル教授は、優れた翻訳研究者を作り出すため、中国人の女との間に子供をもうけていたのだ。翻訳の魔法をより効果的に使うには、英語以外の言葉を母語とする者が必要なのだ。ロビンはラヴェル教授の実子だったが、教授はロビンを完全に道具とみなしていて、愛情を示すことはない。
やがてロビンはバベルへと進学する。同学年はロビンの他に三人だけで、イギリス人は一人だけだった。カルカッタ出身のラミーとハイチ出身のヴィクトワールは、ロビンと似た境遇、つまり白人の都合でバベルへやって来たのだった。四人はすぐに打ち解け、厳しくも充実した学園生活が始まった。一方、ロビンは、英国の植民地支配に抵抗する「ヘルメス結社」からの接触を受け、ひそかに彼らの抵抗活動に協力する。
前半は、ロビンの学生としての生活と、白人至上主義への反発の間の葛藤と、同級生たちとの青春小説的な学園生活が描かれる。後半は、人種差別と植民地支配の主題が前面に出て、それに対するヘルメス結社の戦いが中心になる。
鍵となる「翻訳の魔法」が面白い。英語のある単語や句とそれに対応する外国語の意味が完全に一致することはなく、「その間の差異」が魔法を生みだす、という奇妙な理屈。研究者たちは、魔法を生みだす新たな組み合わせ「適合対(マッチ・ペア)」を探し続けている。
白人の支配者層とロビンたちが理解し合うことは最後までなく、非常に陰鬱に物語は進む。著者は四歳で米国に移住した中国人である。
ロビン・スウィフトは、疫病が猛威を振るう広東で、家族を失い一人生き残っていたところを、バベルの研究者であるラヴェル教授に引き取られる。実は、ラヴェル教授は、優れた翻訳研究者を作り出すため、中国人の女との間に子供をもうけていたのだ。翻訳の魔法をより効果的に使うには、英語以外の言葉を母語とする者が必要なのだ。ロビンはラヴェル教授の実子だったが、教授はロビンを完全に道具とみなしていて、愛情を示すことはない。
やがてロビンはバベルへと進学する。同学年はロビンの他に三人だけで、イギリス人は一人だけだった。カルカッタ出身のラミーとハイチ出身のヴィクトワールは、ロビンと似た境遇、つまり白人の都合でバベルへやって来たのだった。四人はすぐに打ち解け、厳しくも充実した学園生活が始まった。一方、ロビンは、英国の植民地支配に抵抗する「ヘルメス結社」からの接触を受け、ひそかに彼らの抵抗活動に協力する。
前半は、ロビンの学生としての生活と、白人至上主義への反発の間の葛藤と、同級生たちとの青春小説的な学園生活が描かれる。後半は、人種差別と植民地支配の主題が前面に出て、それに対するヘルメス結社の戦いが中心になる。
鍵となる「翻訳の魔法」が面白い。英語のある単語や句とそれに対応する外国語の意味が完全に一致することはなく、「その間の差異」が魔法を生みだす、という奇妙な理屈。研究者たちは、魔法を生みだす新たな組み合わせ「適合対(マッチ・ペア)」を探し続けている。
白人の支配者層とロビンたちが理解し合うことは最後までなく、非常に陰鬱に物語は進む。著者は四歳で米国に移住した中国人である。
日本SF作家クラブ編『AIとSF2』 ― 2026年05月20日 22:29
アンソロジー。巻頭序文も巻末解説もなく、どういう趣旨の本かは、題名とカバー裏の解説から知るしかない。いっそ潔い感じがして俺は好きだが。面白かったのは、共通主題はAIなのに、どの作品にも死の影が色濃いことである。はっきりと主題として前面に出ているものもあるし、何とはない気配のようなものもあるが、死の香りのしないものはない。「AIは死なないから」というような単純な話であろうか。
円城塔の「魔の王が見る」も訳が判らなくて面白かったが、塩崎ツトムという人の「ベニィ」という作品がなかなか面白かった。冷戦時代の計算機技術でAIを作成していたという、AIスチームパンクみたいな話である。
AIの視点から描かれた作品がないのがちょっと意外。
円城塔の「魔の王が見る」も訳が判らなくて面白かったが、塩崎ツトムという人の「ベニィ」という作品がなかなか面白かった。冷戦時代の計算機技術でAIを作成していたという、AIスチームパンクみたいな話である。
AIの視点から描かれた作品がないのがちょっと意外。
神林長平著『インサイト 戦闘妖精・雪風』 ― 2026年04月29日 22:23
長編。「戦闘妖精雪風」シリーズ第五巻。フェアリイ星からジャムの姿が消えた。しかしジャムがいなくなったわけではない。姿が見えなくなっただけだ。同じように見えないジャムは地球にも侵攻していると、FAF特殊戦は判断している。特殊戦司令官クーリィ准将は、ジャムを炙り出すため、日本空軍パイロット田村伊歩大尉に雪風を操縦させる。彼女の「ジャムを見る能力」に期待したのだ。ジャムになった男・ロンバート大佐の他に、新種のジャムも登場し、深井零大尉はついに「ジャムの正体」を直観する。
初期の神林長平は「世界が存在することが疑わしい感じ」を描いていたが、その後、主題は「自分の存在への疑い」へと展開している。雪風シリーズもその方向に進んでいくのかと思ったら、今回の主題はむしろコミュニケーションである。「他者の存在によって自分の存在が確かめられる」というのはよくある主題だが、ここでいう他者というのは、異星体や機械知性など、人類以外の知的存在である。さらに、異質な知性とのコミュニケーションといっても、よくある、神秘的でロマンチックな共感ではなく。「雪風の行動を理解するために、雪風用のミラーニューロンを準備する」というような、筋は通っているような気もするが、感覚的には奇怪な理屈が展開する。こういう「どこが間違っていると指摘することはできないが、何となくどこかが間違ってる気がする理屈」は神林長平の魅力の一つである。
これも神林長平の魅力の一つだが、ブリーフィングなど会話の場面が多い。それどころか「相手を理解するための雑談の効果」というのが今回の主題の一つになっている。機械知性である雪風が人間と雑談しようと試みる場面もある。
ジャムとの戦闘を経験している特殊戦の隊員や、田村伊歩大尉、長年対ジャム戦を取材しているリン・ジャクソンたちの議論は、ジャムとの戦闘経験のない日本海軍情報部の丸子璃梨華中尉には、荒唐無稽に聞こえる。丸子璃梨華は繰り返しそれを指摘する。その内容は「あなたたちの議論は、ジャムの正体というような抽象的なレベルと、ジャムとどう戦うかという具体的なレベルが混乱している」というようなものである。おそらくこれはどちらが正しいというものではなく、立場や視点の違いを表している。強いて言えば「ジャムを倒せる方」が正しい。
気が狂いそうに面白い。こんなのばかり百も二百も読みたい。
初期の神林長平は「世界が存在することが疑わしい感じ」を描いていたが、その後、主題は「自分の存在への疑い」へと展開している。雪風シリーズもその方向に進んでいくのかと思ったら、今回の主題はむしろコミュニケーションである。「他者の存在によって自分の存在が確かめられる」というのはよくある主題だが、ここでいう他者というのは、異星体や機械知性など、人類以外の知的存在である。さらに、異質な知性とのコミュニケーションといっても、よくある、神秘的でロマンチックな共感ではなく。「雪風の行動を理解するために、雪風用のミラーニューロンを準備する」というような、筋は通っているような気もするが、感覚的には奇怪な理屈が展開する。こういう「どこが間違っていると指摘することはできないが、何となくどこかが間違ってる気がする理屈」は神林長平の魅力の一つである。
これも神林長平の魅力の一つだが、ブリーフィングなど会話の場面が多い。それどころか「相手を理解するための雑談の効果」というのが今回の主題の一つになっている。機械知性である雪風が人間と雑談しようと試みる場面もある。
ジャムとの戦闘を経験している特殊戦の隊員や、田村伊歩大尉、長年対ジャム戦を取材しているリン・ジャクソンたちの議論は、ジャムとの戦闘経験のない日本海軍情報部の丸子璃梨華中尉には、荒唐無稽に聞こえる。丸子璃梨華は繰り返しそれを指摘する。その内容は「あなたたちの議論は、ジャムの正体というような抽象的なレベルと、ジャムとどう戦うかという具体的なレベルが混乱している」というようなものである。おそらくこれはどちらが正しいというものではなく、立場や視点の違いを表している。強いて言えば「ジャムを倒せる方」が正しい。
気が狂いそうに面白い。こんなのばかり百も二百も読みたい。
林譲治著『惑星カザンの桜』 ― 2026年04月20日 22:14
長編。一万光年先の惑星カザンにおける文明の滅亡を調査するため、地球人類が送り込んだ調査隊は消息を絶った。調査の続行と最初の調査隊の消息を調べるため、第二次調査隊がカザンへと派遣される。時代設定は、ワープ航法と重力制御技術が開発されており、エネルギー源は核融合。
調査の結果、惑星カザンの文明滅亡は暴走したナノマシン群によるものとわかる。地球の第一次調査隊もナノマシンによって解体されてしまったらしい。ところが、第一次調査隊との接触が刺激となって、ナノマシン群は惑星カザンに生態系と文明を再構築しようとし始める。失われたカザンオリジナルの生態系と文明の代わりに、第一次調査隊から抽出した情報を基に、地球の樹木や調査隊員の複製が作られていた。題名の「桜」は、惑星カザンで再生された桜の木のことである。
ナノマシン群が複製した人類は、肉体的にはほぼ完璧な人間だが、コミュニケーションにおかしなところがあり、会話がしばしば頓珍漢なものになる。このあたりの、人間の意識と複製人間の意識の違いが少しずつ判っていくところが最も面白いところである。地球人が作った死者の意識を複製したAIと、惑星カザンのナノマシン群が作った人間を複製した肉体が融合して、新種の知性が生まれる挿話など、二種類の知性という主題を象徴している。
ナノマシン群は意識のようなものを持っているが、それは地球人側の視点から描写される。ナノマシン群からの視点があれば面白かったんじゃないかな、と思った。
調査の結果、惑星カザンの文明滅亡は暴走したナノマシン群によるものとわかる。地球の第一次調査隊もナノマシンによって解体されてしまったらしい。ところが、第一次調査隊との接触が刺激となって、ナノマシン群は惑星カザンに生態系と文明を再構築しようとし始める。失われたカザンオリジナルの生態系と文明の代わりに、第一次調査隊から抽出した情報を基に、地球の樹木や調査隊員の複製が作られていた。題名の「桜」は、惑星カザンで再生された桜の木のことである。
ナノマシン群が複製した人類は、肉体的にはほぼ完璧な人間だが、コミュニケーションにおかしなところがあり、会話がしばしば頓珍漢なものになる。このあたりの、人間の意識と複製人間の意識の違いが少しずつ判っていくところが最も面白いところである。地球人が作った死者の意識を複製したAIと、惑星カザンのナノマシン群が作った人間を複製した肉体が融合して、新種の知性が生まれる挿話など、二種類の知性という主題を象徴している。
ナノマシン群は意識のようなものを持っているが、それは地球人側の視点から描写される。ナノマシン群からの視点があれば面白かったんじゃないかな、と思った。
灰谷魚著『レモネードに彗星』 ― 2026年04月09日 22:00
短編集。脱力系不条理SF。北野勇作を連想させる。こういう雑な分類は著者を怒らせるかもしれぬが、読もうか読むまいか迷っている人には有効であろう。
俺が一番好きなのは最も長い「新しい孤独の様式」である。主人公は暗くて地味で屈折した少年時代を送った、暗くて地味で屈折した青年ハルオである。ある時、ハルオの前に、少年時代の一時期を共に過ごした美しい女性スミが現れる。スミは他人と肌を触れ合うと気分が悪くなる性質だった。一方、若い男性の欲望を処理するためのバーチャル人格であったはずのチロルが実体化し始めて、ハルオにまとわりつく。こういう設定なのにエロチックコメディには展開せず、かといって性に関する思弁小説にもならず、物語は奇妙に迷走する。
そして、そのような話の筋とはかかわりのないところでさらに奇妙なことが起こっている。レバーがレバニラになるときにとれた「ー」をスミが手に取って振り回す場面がある。普通に考えれば「ー」は文字あるいは音なので、手に取ることはできない。当たり前だ。一切説明はないし、こんなものはなくても物語の進行には支障はない。滅茶苦茶である。そして、滅茶苦茶を書くことは案外難しいものである。気になる作家が一人増えた。
俺が一番好きなのは最も長い「新しい孤独の様式」である。主人公は暗くて地味で屈折した少年時代を送った、暗くて地味で屈折した青年ハルオである。ある時、ハルオの前に、少年時代の一時期を共に過ごした美しい女性スミが現れる。スミは他人と肌を触れ合うと気分が悪くなる性質だった。一方、若い男性の欲望を処理するためのバーチャル人格であったはずのチロルが実体化し始めて、ハルオにまとわりつく。こういう設定なのにエロチックコメディには展開せず、かといって性に関する思弁小説にもならず、物語は奇妙に迷走する。
そして、そのような話の筋とはかかわりのないところでさらに奇妙なことが起こっている。レバーがレバニラになるときにとれた「ー」をスミが手に取って振り回す場面がある。普通に考えれば「ー」は文字あるいは音なので、手に取ることはできない。当たり前だ。一切説明はないし、こんなものはなくても物語の進行には支障はない。滅茶苦茶である。そして、滅茶苦茶を書くことは案外難しいものである。気になる作家が一人増えた。
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