『ジェフリー・フォード短編傑作選 最後の三角形』2024年04月24日 22:06

 日本オリジナルの短編集。ホラー、喜劇、幻想、SF、ミステリーなど、様々な分野に及ぶが、日本なら「奇妙な味」と呼ばれるような奇想的イメージが印象に残る。もう一つ全ての作品に共通する印象として、人間の愚かさに対する冷笑的な視点も感じられる。その冷笑が単に侮蔑的なものではなく、微かに悲しみと愛情が含まれているところが良い。
 また、作品の構成が、例えば「起承転結」のような標準的な方になっておらず、「転」に相当する大きな転換が短い間にいくつもあったりして、バランスがおかしい感じがする。これは欠点ではなく、迷路に迷い込んだような、ある種の不条理感のようなものが生じて面白い。それを狙ってわざとやっているのか、結果的にそうなっちゃったのかは判らない。
 俺が一番好きなのは、SF幻想小説の「ばらばらになった運命機械」である。因果や時空間、夢と現実などが混乱していて、前後関係や内側と外側がどうつながっているのかが判らないところが面白く、ロマンチックでもある。
 ところで、この本にも喜劇とホラーが含まれているのだが、水木しげるや楳図かずおに代表されるように笑いと恐怖は相性が良いらしい。その辺の心理や着想の仕組みをだれか説明してくれぬだろうか。

中沢新一著『精神の考古学』2024年04月20日 23:04

 四十年前、著者がネパールでチベット人の指導者の下で学んだ精神の教えとその修行の過程を描く。その教えとは、「ゾクチェン」と呼ばれる古代から秘密裡に伝えられているものである。題名の「精神の考古学」とは、元は吉本隆明の言葉で、古代の知恵を発掘するというような意味である。
 この本の中で、頻繁に用いられる吉本隆明の言葉はもう一つあって、それは「精神のアフリカ的段階」というもの。農耕以前の狩猟採集的な精神を表す。それは同時に、言葉以前というか、言葉では掬い取れない身体的あるいは霊的な智慧という意味でもある。この智慧は、すべての生命や自然に対して開かれており、人間の自己を解体する。と、言葉でまとめてしまえば、よくある神秘主義的な人間観や世界観だが、ここでは著者が経験した強烈な身体感覚を伴う具体的な修業が事細かに描かれている。
 自然に対して開かれた、言葉以前の本来の心に満ちた知恵をゾクチェンでは、リクパと呼ぶ。俺は、「適応という問題を解決している」という意味で、進化は知性ではないか、と思っているのだが、リクパは進化の智慧ではないか、と思ったりした。
 「チュウは外国の人がよく言っているような悪魔払いのための瞑想としてできたものではありません。(略)悪をなす存在を滅ぼすのではなく、まだお返しのできていなかった負債を体でお返しすることによって、彼らの心を満足させ、ふたたび純粋な霊に戻してあげようとする、これがチュウの教えです」(p.85)。
 「スピノザは(彼の理解する)一神教の神を土台に据えたのであるが、私はその土台を仏教的な「空」に変えた無神論的な東洋の「エチカ」というものを、ひそかに構想するようになっていた」(p.265)。
 「しかしそこ(『悲しき熱帯』)で言われている物質界と人間精神をつなぐ「構造」は、構造主義の考えているようなレベルには見出しえないことを、私は次第に理解するようになっていた。構造主義の考える「構造」は、言語的表象のレベルに設定されていた。だが物質界と人間の精神をつなぐ真実の回路は、そこには見出すことはできないのである。私の抱えるそうした問題に、ゾクチェンは真正面から答えてくれた」(p.417)。

ジョン・スラデック著『チク・タク』2024年04月13日 22:03

 奥付による正確な題名は『チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク』である。長編。1983年英国SF協会賞受賞。
 家庭用のロボットが普及した近未来のアメリカ。この世界のロボットは「アシモフ回路」という装置が組み込まれていて、悪いことはできない設定になっている。チク・タクは何人もの所有者にこき使われてきたが、ある時、自分はアシモフ回路が効いていないことに気が付く。チク・タクは自分にどれほど悪いことができるか確かめる「実験」を開始する。
 何の罪もない少女を殺すなどはよい方で、自分に好意を持つ人や助けてくれた友人を躊躇なく殺したりする。それどころか、まだ試していなかったという理由で毒物による大量殺人を実行する。そして、それらの罪をことごとく別の人間に擦り付ける。
 一方で、チク・タクは芸術家として、そして実業家として成功していき、やがては機械でありながら人権を得て政界に入るところまで登り詰めていく。
 チク・タクの行う悪行の数々は残酷冷酷極まりなく、被害者にとっては不条理この上ない。しかし、チク・タクの前半生は人間から搾取され続けており、自らも何度も殺されかけ、数多くの仲間のロボットたちが破壊されるのを見てきた。チク・タクの実験には、人間たちへの復讐の面が確かにある。実際、この作品に登場する人間たちはどいつもこいつもろくなものではなく、喜劇的な誇張はあるものの、「人間ってそうだよな」と思えるような、現実性も確かにある。政治家がみんな異常性格者で犯罪者でありながら開き直っていて、それがどうした的な態度をとっているところなど、現代日本人が読むとリアルそのものである。
 しかし、俺としては、チク・タクに復讐という目的はない方が面白かっただろうと思う。そういう恨みや憎しみはなく、それでにもかかわらず、ただ単に「自分に何ができるか」を確かめるためだけに、淡々と、そして黙々と犯罪を犯し続ける方がよかったのではないか。「理由」がない方が怖い、と俺は思う。

冬木糸一著『「これから何が起こるのか」を知るための教養 SF超入門』2024年04月11日 23:06

 現代の問題に直結した、テクノロジー、災害、社会の行く末などを主題にした代表的なSF作品を紹介している。現代の問題とのかかわりを重視しているために、超能力やスペースオペラ、幻想文学との境界領域などの重要分野が手薄になっているが、これまでSFを読まなかった人に興味を持ってもらうことを目的にした本なので、これで正解であろう。この次の段階として、つまり興味を持ってSFを読み始めた読者のために、SFの全体像を見渡せる案内書も期待したい。俺が読みたいからである。そんな本に需要があるかどうかは知らない。
 また、主題別の案内書のほかに、年代順の「SF史」の解説書も欲しい。日本SF史に関しては日下三蔵の優れた仕事があるが、世界SF史の本格的なものは『十億年の宴』『一兆年の宴』以降、翻訳書もない。そろそろ。

日本SF作家クラブ編『AIとSF』2024年04月09日 22:51

 AISFアンソロジー。個人がホビーで使用するコンピュータ、パソコンの登場を予測できなかったSFだが、AI、すなわち人工知能については伝統芸である。生成AIも自動運転もAIの暴走もシンギュラリティも早くから予想していた。そういう意味では、今だからこそ、という作品は少ないが、よく練られた作品が多い印象。練られたというのは、必ずしも思弁的に深いという意味ではなく、何重にも捻りが効いている、という感じ。
 その中で、長谷敏司「準備がいつまでたっても終わらない件」は、大阪万博を扱っていてタイムリーな作品。AIの進歩が予想外に早すぎたため、準備してきた万博の展示がもはや時代遅れになりつつあり、急遽展示内容を変更するという、ドタバタ喜劇。
 イメージ的には円城塔「土人形と動死体 If You were a Golem, I must be Zombie」が一番面白い。ファンタジー的な魔法の支配する世界で、「魔法以外の方法」で世界を御しようとする男の話である。
 また小説ではないが、計算社会学者の鳥海不二夫によるAIの現状解説が面白い。人工知能は過去幾度もキタイとガッカリを繰り返してきたという。