ジョン・グレイ著『猫に学ぶ いかに良く生きるか』2022年09月04日 22:11

2021年12月28日読了。
 政治哲学者ジョン・グレイによる猫にまつわる哲学エッセイ。猫にとって人間から学ぶことは何もないが、人間は猫から学び得ることが大いにある、という内容。
 「人間は猫にはなれない。しかし、自分のほうが優れた生き物だという思い込みを捨てさえすれば、どうして猫はいかに生きるかについて必死に探究しなくても幸せに生きられるのかが理解できるかもしれない」(p.6)。
 「猫は哲学を必要としない。本性(自然)に従い、その本性が自分たちに与えてくれた生活に満足している。一方、人間のほうは、自分の本性に満足しないことが当たり前になっているようだ。人間という動物は、自分ではない何かになろうとすることをやめようとせず、そのせいで、当然ながら悲喜劇的な結末を招く。猫はそんな努力はしない」(p.6)。
 「猫が哲学を理解できたとしても、そこから学ぶことは何もないだろう」(p.8)。
 「猫は自分の生活を検証する必要がない。この生が生きるに値するかどうかという疑問を持たないからだ。人間の自意識はたえまない不安を生み出し、哲学はそれを解消しようと必死に努めてきたが、その努力は空しかった」(p.12)。
 「人生の目的は幸福になることだと言うことは、自分は惨めだと言っているに等しい」(p.36)。
 「哲学は治療を標榜してはいるが、じつはそれが治すと称している病の症状にすぎない」(p.36)。
 「これら古代の哲学にはすべてに共通する欠陥がある。いずれも、人間の理性によって人生を秩序だてることができると夢想しているのだ。(略)だが実際にはそんなふうにして生き方や感情をコントロールすることはできない。生き方は偶然によって、感情は身体によって形作られる。人生のほとんどは、そして哲学のほとんどは、その事実から目を逸らせようという企てに過ぎない」(p.45)。
 「良き人生はそれを生きることによってのみ知ることができる。考えすぎて、それを理論にしてしまうと、それは霧散してしまう」(p.76)。
 「猫の行動の一意専心ぶりから察するに、猫における無私は、禅のいう「無心」とどこか共通している。「無心」に到達した人に、心がないわけではない。「無心」とは気を散らさない注意力、言いかえると、自分のしていることに完全に没頭していることである。自然にそれができる人間は稀にしかいない。最高の弓術家は何も考えずに矢を放つが、それは生涯にわたる鍛錬のたまものである。それに対して、猫は生まれつき無心である」(p.92)。
 「人間に向かって理性的になれと説教するのは、猫に向かってヴィーガンになれと説得するようなものだ。人間は自分の信じたいことを補強するために理性を用いるが、自分の信じていることが正しいかどうかを発見することはまずない。これは不幸なことだが、これについては誰も何もできない」(p.152)。
 「幸福は追いかければ見つかるというものではない。何が自分を幸福にしてくれるのか、わかっていないのだから。そうではなく、いちばん興味のあることをやれば、幸福のことなど何ひとつ知らなくても幸福になれるだろう」(p.154)。
 「猫の哲学は人間の叡智の探求を後押ししてはくれない。人生そのものが楽しめなかったら、気まぐれや幻想に満足を見出しなさい。死の恐怖と闘ってはいけない。それが静まるのを待ちなさい。落ち着きを求めすぎると、いつまでも混乱から抜け出せない。世界に背を向けるのではなく、世界に戻り、その馬鹿らしさを受け入れなさい」(p.156)。

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