ベンハミン・ラバトゥッツ著『恐るべき緑』 ― 2025年08月02日 22:38
連作短編の形式。評伝の体裁をとっているが、謝辞や訳者あとがきをよるとフィクションを多く含む。映画の『オッペンハイマー』が公開されて間もないし、科学の功罪とか科学と戦争とかいうと陳腐だが、本書では科学者や数学者の葛藤や狂気に焦点が合わされている。いずれも天才に特有の精神的な不均衡や異常さや脆さが描写されている。
「プルシアン・ブルー」では、窒素固定と塩素ガスを開発した化学者フリッツ・ハーバーを中心に、青酸系の毒物の歴史が語られる。ハーバーは毒ガスによる大量殺戮には心を痛めないが、大量の窒素固定によって優位となった植物が人類を滅ぼすことを心配していた。
「シュヴァルツシルトの特異点」は、カール・シュヴァルツシルトの生涯。シュヴァルツシルトは自分が予測した、後にブラックホールと呼ばれることになる天体の存在を何とか否定しようとした。
「核心中の核心」は、二十世紀で最も重要な数学者の一人、アレクサンドル・グロタンディーク。グロタンディークは、幾何学と数論と位相幾何学(トポロジー)と複素数解析を統合する成果を上げ、ユークリッド以来の革新とまでいわれた。しかし、彼はその名声の絶頂期にすべてを捨てて姿を晦まし、人目につかない場所で修行僧のような隠遁生活に入り、終に死ぬ時まで俗世とも数学界とも接触を絶ったままであった。この章では、日本の異端的数学者、望月新一も登場する。
もっとも長い「私たちが世界を理解しなくなったとき」は、有名なアインシュタイン、シュレーディンガー、ド・ブロイ、ボーア、ハイゼンベルクらによる、量子論の「さいころ論争(俺が今名付けた)」の話である。特に、シュレーディンガーとハイゼンベルクの性格の奇矯さに焦点が当てられている。議論の上では、シュレーディンガーとハイゼンベルクは鋭く対立するが、彼らがそれぞれに真理と信じる「素粒子像」を着想した経緯は驚くほど似ている。どちらも、理論を順次積み上げて結論を得たのではなく、狂気に近い幻想の中から直感的に結論を得て、結論に至る筋道の方を後から考え出しているのだ。
最後の「エピローグ 夜の庭師」では、チリの山奥に引っ越した主人公が、そこで出会った元は数学者だったという庭師と会話する。
「それ(数学)は、ある種の奇跡によって機能するが、それを本当に理解している者は、生者であれ死者であれ、この地球上にはひとりもいないのだ。人間の精神は、その逆説と矛盾に到底対処できない」(p.184)。
「プルシアン・ブルー」では、窒素固定と塩素ガスを開発した化学者フリッツ・ハーバーを中心に、青酸系の毒物の歴史が語られる。ハーバーは毒ガスによる大量殺戮には心を痛めないが、大量の窒素固定によって優位となった植物が人類を滅ぼすことを心配していた。
「シュヴァルツシルトの特異点」は、カール・シュヴァルツシルトの生涯。シュヴァルツシルトは自分が予測した、後にブラックホールと呼ばれることになる天体の存在を何とか否定しようとした。
「核心中の核心」は、二十世紀で最も重要な数学者の一人、アレクサンドル・グロタンディーク。グロタンディークは、幾何学と数論と位相幾何学(トポロジー)と複素数解析を統合する成果を上げ、ユークリッド以来の革新とまでいわれた。しかし、彼はその名声の絶頂期にすべてを捨てて姿を晦まし、人目につかない場所で修行僧のような隠遁生活に入り、終に死ぬ時まで俗世とも数学界とも接触を絶ったままであった。この章では、日本の異端的数学者、望月新一も登場する。
もっとも長い「私たちが世界を理解しなくなったとき」は、有名なアインシュタイン、シュレーディンガー、ド・ブロイ、ボーア、ハイゼンベルクらによる、量子論の「さいころ論争(俺が今名付けた)」の話である。特に、シュレーディンガーとハイゼンベルクの性格の奇矯さに焦点が当てられている。議論の上では、シュレーディンガーとハイゼンベルクは鋭く対立するが、彼らがそれぞれに真理と信じる「素粒子像」を着想した経緯は驚くほど似ている。どちらも、理論を順次積み上げて結論を得たのではなく、狂気に近い幻想の中から直感的に結論を得て、結論に至る筋道の方を後から考え出しているのだ。
最後の「エピローグ 夜の庭師」では、チリの山奥に引っ越した主人公が、そこで出会った元は数学者だったという庭師と会話する。
「それ(数学)は、ある種の奇跡によって機能するが、それを本当に理解している者は、生者であれ死者であれ、この地球上にはひとりもいないのだ。人間の精神は、その逆説と矛盾に到底対処できない」(p.184)。
スタニスワフ・レム著『捜査・浴槽で発見された手記』 ― 2025年08月18日 22:46
長編二編収録。
『捜査』は、始まりは推理小説の体裁。イギリスの死体安置所で死体が忽然と消えるという連続事件が発生。捜査を担当したスコットランド・ヤードのグレゴリー警部補だが、捜査は難航する。「死体が自力で動いた」と考えればつじつまが合いそうなのだが、グレゴリーはそんな考えは断固として受け入れない。やがて関係者との議論は奇妙に抽象的哲学的な「真実とは何か、真実は一つなのか」というような方向に進んでいき、物語は不条理文学的な様相を示し始める。
シス博士という科学者の理論が面白い。捜査というか事件の真相を、統計学的に解明しようとして、事件の発生とその地域の癌の罹患率には、有意な相関関係がある、などと言い出す。
『浴槽で発見された手記』には「はじめに」と題された序文が付いていて「人類文明がいったん滅んだ後、さらに三千年後の世界で、古代の人間の手記が発掘された」というSF的な設定が説明される。そして、その後の本文が、その手記の内容となっている。
〈庁舎〉と称される巨大な政府機関であり、そのまま建物の名前でもある組織が舞台。主人公はどうやら〈庁舎〉の情報員で、司令官から〈特別任務〉を言い渡されるのだが、いつまでたってもその任務の内容が書かれているはずの指示書を読むことができない。指示書を求めて主人公は巨大な〈庁舎〉内をさ迷い歩く。出会う人々が言うことはみなのらりくらりとしていて要領を得ない。どうやら、〈庁舎〉で使用される言葉はみな暗号で、表面の意味の他に裏の意味があるらしい。探しても探しても自分の役割に近づくことはできない。迷宮的カフカ的閉塞感から最後まで抜け出すことはできない。
『捜査』の語り口は重苦しく陰鬱だったが、『浴槽で発見された手記』の語り口は残酷でありながらも喜劇的でもある。特に、職種や階級、学問分野の奇妙な名称はグロテスクでありながら滑稽でもある。例えば職種では、秘密地獄官、第一級暴露官、粉砕官、糞便官、試験監督、濾過官、秘密痴呆官などがあり、学問分野では、奴隷根性学、週末観察、教皇および詐欺師学、応用死体学などがある。応用死体学ではいったい何を研究しているのであろうか。
『捜査』は、始まりは推理小説の体裁。イギリスの死体安置所で死体が忽然と消えるという連続事件が発生。捜査を担当したスコットランド・ヤードのグレゴリー警部補だが、捜査は難航する。「死体が自力で動いた」と考えればつじつまが合いそうなのだが、グレゴリーはそんな考えは断固として受け入れない。やがて関係者との議論は奇妙に抽象的哲学的な「真実とは何か、真実は一つなのか」というような方向に進んでいき、物語は不条理文学的な様相を示し始める。
シス博士という科学者の理論が面白い。捜査というか事件の真相を、統計学的に解明しようとして、事件の発生とその地域の癌の罹患率には、有意な相関関係がある、などと言い出す。
『浴槽で発見された手記』には「はじめに」と題された序文が付いていて「人類文明がいったん滅んだ後、さらに三千年後の世界で、古代の人間の手記が発掘された」というSF的な設定が説明される。そして、その後の本文が、その手記の内容となっている。
〈庁舎〉と称される巨大な政府機関であり、そのまま建物の名前でもある組織が舞台。主人公はどうやら〈庁舎〉の情報員で、司令官から〈特別任務〉を言い渡されるのだが、いつまでたってもその任務の内容が書かれているはずの指示書を読むことができない。指示書を求めて主人公は巨大な〈庁舎〉内をさ迷い歩く。出会う人々が言うことはみなのらりくらりとしていて要領を得ない。どうやら、〈庁舎〉で使用される言葉はみな暗号で、表面の意味の他に裏の意味があるらしい。探しても探しても自分の役割に近づくことはできない。迷宮的カフカ的閉塞感から最後まで抜け出すことはできない。
『捜査』の語り口は重苦しく陰鬱だったが、『浴槽で発見された手記』の語り口は残酷でありながらも喜劇的でもある。特に、職種や階級、学問分野の奇妙な名称はグロテスクでありながら滑稽でもある。例えば職種では、秘密地獄官、第一級暴露官、粉砕官、糞便官、試験監督、濾過官、秘密痴呆官などがあり、学問分野では、奴隷根性学、週末観察、教皇および詐欺師学、応用死体学などがある。応用死体学ではいったい何を研究しているのであろうか。
ケリー・リンク著『白猫、黒犬』 ― 2025年08月27日 22:09
短編集。幻想文学。全般にユーモラスな語り口で、ホラーコメディのような感じのものが多い。全ての作品に下敷きとなった童話や昔話があり、寓話なのだが、何の教訓もない。「白い道」と「粉砕と回復のゲーム」はSF的な設定だが、そのほかの作品は基本的に舞台は自動車も携帯電話もある現代で、登場人物の心理も現代的。寓話的幻想的な状況の中で、戸惑い混乱する現代人の思考や感情が丁寧に描写される。
俺が一番好きなのは巻末の「スキンダーのヴェール」。森の中の屋敷の留守番代行を引き受けた主人公。そこには次々と奇妙な人物や動物がやってくる。裏口から訪ねてきたものは全て屋敷に入れなければならない決まりになっている。シュールな状況の中で、終始戸惑い困り気味の主人公が面白い。
俺が一番好きなのは巻末の「スキンダーのヴェール」。森の中の屋敷の留守番代行を引き受けた主人公。そこには次々と奇妙な人物や動物がやってくる。裏口から訪ねてきたものは全て屋敷に入れなければならない決まりになっている。シュールな状況の中で、終始戸惑い困り気味の主人公が面白い。
サマンタ・シュウェブリン著『救出の距離』 ― 2025年08月28日 22:18
中編。国書刊行会の「スパニッシュ・ホラー文芸」というシリーズの一冊。著者はベルリン在住のアルゼンチン人で、原書はスペイン語で書かれている。
舞台は現代のアルゼンチン、広大な大豆畑が広がるブエノスアイレス郊外の街。休暇で都市からやってきたアマンダと娘のニナは、地元の美しい女性カルラと出会う。序盤では、なんということもない日常の出来事が語られるのだが、文章にはなんとなく不穏な雰囲気が満ちていて、読者を不安にさせる。
物語は、アマンダとカルラの息子ダビとの会話という形式で進んでいく。アマンダがダビに思い出した過去を語って聞かせるのだ。ダビは何かを確認したいらしく、しきりに細部を語らせようとする。ダビは繰り返し「それは重要ではない」と言うが、いったい何が重要なのかアマンダには判らず、彼女を苛立たせる。この辺りは不条理文学の感覚に近い。
面白いのは、前半では、アマンダは語ることに消極的で、ダビが執拗に質問し語ることを促すのだが、後半になると、逆にダビが消極的になり、話さなくてよいというのに、アマンダの方がしつこく詳細を語り始めるのだ。
普通に読んでも、この地域で何か邪悪なことが進行しているということは読者に判るのだが、訳者あとがきを読むと、農薬による環境汚染が主題だとある。本文だけを読んで環境汚染を問題にしていると判る人は少ないのではないか。
舞台は現代のアルゼンチン、広大な大豆畑が広がるブエノスアイレス郊外の街。休暇で都市からやってきたアマンダと娘のニナは、地元の美しい女性カルラと出会う。序盤では、なんということもない日常の出来事が語られるのだが、文章にはなんとなく不穏な雰囲気が満ちていて、読者を不安にさせる。
物語は、アマンダとカルラの息子ダビとの会話という形式で進んでいく。アマンダがダビに思い出した過去を語って聞かせるのだ。ダビは何かを確認したいらしく、しきりに細部を語らせようとする。ダビは繰り返し「それは重要ではない」と言うが、いったい何が重要なのかアマンダには判らず、彼女を苛立たせる。この辺りは不条理文学の感覚に近い。
面白いのは、前半では、アマンダは語ることに消極的で、ダビが執拗に質問し語ることを促すのだが、後半になると、逆にダビが消極的になり、話さなくてよいというのに、アマンダの方がしつこく詳細を語り始めるのだ。
普通に読んでも、この地域で何か邪悪なことが進行しているということは読者に判るのだが、訳者あとがきを読むと、農薬による環境汚染が主題だとある。本文だけを読んで環境汚染を問題にしていると判る人は少ないのではないか。
小川洋子著『サイレントシンガー』 ― 2025年08月31日 22:36
中編と呼ぶにはちょっと長い感じ。舞台は日本の郊外、E-5と呼ばれる地域。時代は高度経済成長期らしい。この地域の森の中に、内気な男たちがひっそりと暮らす「アカシアの野辺」と呼ばれる施設がある。ここではだれもほとんど言葉をしゃべらず、手話とは異なる手指などのサインで最低限のコミュニケーションを行っている。彼らはここで半ば自給自足的な暮らしを送っている。
主人公リリカのおばあさんは、アカシアの野辺でアルバイトのような仕事をしている。野辺で作った野菜や菓子、毛糸などを売る仕事を中心に、人付き合いの苦手な男たちの代わりに各種の手続きなどを行うのだ。リリカもやがておばあさんの仕事を引き継ぐことになる。
リリカには、この沈黙の里にふさわしい、人の心を慰めるが、強い印象は残さない、そよ風のような歌を歌う才能があった。リリカはその才能を生かして、デモテープの仮歌など、広く公表されることもなく、名前も残らない歌を歌った。
おばあさんが、迷子の男のために作った素朴な人形たちが設置された池や、二頭の羊の渦巻き状の角が絡み合って離れられなくなり、やがて死んでいくエピソードは何やら神話的である。リリカの恋人となった男は、高名文学者の未発表原稿が発見されたという「架空の」記事を密かに作り続けているがどこにも発表しない。そしてリリカは誰にも記憶されない歌を歌い続ける。承認欲求の希薄な人たちが、淡々とそれなりに充実した人生を送っている。極端に神秘的なことは起こらないのだが、マジックリアリズム的な雰囲気も漂う。現代の神話であり寓話である。
主人公リリカのおばあさんは、アカシアの野辺でアルバイトのような仕事をしている。野辺で作った野菜や菓子、毛糸などを売る仕事を中心に、人付き合いの苦手な男たちの代わりに各種の手続きなどを行うのだ。リリカもやがておばあさんの仕事を引き継ぐことになる。
リリカには、この沈黙の里にふさわしい、人の心を慰めるが、強い印象は残さない、そよ風のような歌を歌う才能があった。リリカはその才能を生かして、デモテープの仮歌など、広く公表されることもなく、名前も残らない歌を歌った。
おばあさんが、迷子の男のために作った素朴な人形たちが設置された池や、二頭の羊の渦巻き状の角が絡み合って離れられなくなり、やがて死んでいくエピソードは何やら神話的である。リリカの恋人となった男は、高名文学者の未発表原稿が発見されたという「架空の」記事を密かに作り続けているがどこにも発表しない。そしてリリカは誰にも記憶されない歌を歌い続ける。承認欲求の希薄な人たちが、淡々とそれなりに充実した人生を送っている。極端に神秘的なことは起こらないのだが、マジックリアリズム的な雰囲気も漂う。現代の神話であり寓話である。
最近のコメント