赤瀬川原平 藤森照信 南伸坊著『路上観察学入門』2021年08月01日 21:45

19年 3月 2日読了。
 路上観察、特に「トマソン」と呼ばれる超芸術系の「作品」の本質は、本来表現でない物を表現として読み取る、という点に在るようだ。本来表現ではないので作者の意図は読み取れない。意図はないからである。それを表現として読もうとすると、永遠に焦点が定まらない。そこいら辺に面白さが在るらしい。意図された芸術に対する批評とか反抗と言うと思想的運動のようだが、要するに「そういうのは飽きちゃった」ということであろう。
 路上というフィールド設定からも判るが、対象は主に人間の拵えたものである。敵に「表現しよう」という意図はないが、その向こうには当然人間の営みがある。その辺が自然を対象とした博物学と異なる点であろう。
 ある程度の分類は在るが、それ以上の高度な体系性を志向せず、個々の具体的な物件の鑑賞に終始する処も特徴か。鑑賞者が面白さを発見する、或いは拵える、という点で現代芸術の「参加型芸術」を示唆したものかも知れぬ。

アエラ都市伝説探偵団編『都市伝説探偵団』2021年08月02日 23:55

19年 3月 4日読了。
 さまざまな都市伝説について、由来と真偽を確かめようとする調査。予想通りだが、ほとんどの伝説に科学的根拠はない。俺としては「どうして人は伝説を信じたがるか」の方に興味があるが、そういう調査はなかった。

養老孟司著『逆さメガネで覗いた日本』2021年08月03日 15:33

19年 3月 6日読了。
 教育論。
 「こちらに学ぼうという気がありさえすれば、ネコだって先生である。うちの先生はほとんど寝てばかりいるが、あれを見ていると、いつも思う。うちの先生は人生の達人だなあ」(p.4)。
 「教育について議論する以前の話、人間とはなんだとか、人はなんのために生きるかとか、いまの社会はどういうものか、そのことです。むずかしくいうなら、議論の前提です。それをもとにして、教育をどうするか、決めるわけでしょう。その常識が変であれば、教育はもちろん変になります」(p.22)。
 「アメリカも西欧も、日本も、いまでは中国も都市化しつつあります。たぶんそれが、教育の根本問題なのです」(p.24)。
 「現実とはなにか。それは皆さんの『行動に影響を与えるもの』なんです。だからそれは『人によって違う』」(p.33)。
 子どもはシミュレーションが効かない「シミュレーションが効かない状態になると、都会の人は『どうすればいいんだ』とかならず訊きます。この質問が出ること自体、『ああすれば、こうなる』が前提になっているんじゃないですか。そこで『シミュレーションが効かないんだよ』とまたいうと、『じゃあ、どうすればいいんだ』とまた訊いてきます。際限がないんですな、これは」(p.45)。
 「『シミュレーションが効かない状態がある』ということを、絶対に認めないんですよ。答えをいっときますますが、そういう状態になったら、努力・辛抱・根性しかないんですよ、じつは。だけど都会の人はこの三つが大嫌いなんだから。なんとか楽な方法がないかと思ってる」(p.45)。
 「政治なり経済なりは、人間が生き延びていくことを大前提にしています。それはだれだってわかっているでしょう。それなら社会が子供を作らなくなる、再生産しなくなるというのは、明らかに社会がおかしいわけです。話がひっくり返ってます」(p.47)。
 「誰かがコントロールしないと、この世界は秩序が保てない。多くの人はそう思っていると思います。そう思って教科書を検定する。でもいまは子どもが一日平均二~三時間、テレビを見るという時代です。そのテレビに検定がありますか。教科書とテレビと、子どもはどちらを真剣に見ると思います? どっちの影響が大きいんですか」(p.74)。
 「要するに日本社会は、基本的な議論をだれもしないという、一見奇妙な面を持っています。それは、そうしなくても、『治まる』からでしょう。それを治めているのは、じつは世間の常識です。ただし、そこに関ることは議論しない。議論すると、それが意識化されます」(p.75)。
 法則は脳の中にある「科学者はこの種の説明をなかなか認めませんな。なぜなら、法則は外の世界にあると信じ込んでいるからです。でも脳の中にない法則を、脳が考えられるはずがないじゃないですか。だから、私のように時々意識的に『逆さメガネ』をかけなくてはいけないんですな」(p.107)。
 「成績は意識的能力、社会的適応の問題です。でも食事は身体の問題、自然の問題です。そこが親の段階ですでにお留守になっている。親ばかりを責めるつもりはありません。だから問題は都市化でしょうと、最初からいっているのです」(p.116)。

養老孟司 名越康文著『「他人」の壁』2021年08月04日 16:26

19年 3月 7日読了。
 対談。
 養老「人と人がわからなくていいという意味は、本質的にわかるはずがないということもあるんだけど、そのほうが、折り合いがつきやすいという意味もあるんですよ。わからないほうがうまくいく。別に全部がわからないからといって、その人が何か大変な事件を起こすこともないでしょう。(略)やることの大体はわかっているわけですから。別にわからなくても、日常の中でことは進んでいきますから」(p.9)。
 「『わかる方法』じゃなくて『わからない理由』を先に言ってしまうと、多くは前提が違うからです」(p.11)。
 「外国へ行っていいところは、通じないという前提からはじまることです」(p.26)。
 連歌のオリジナリティは場の雰囲気が出すということについて「詩人の大岡信さんから聞いたのですが、彼は外国の詩人の人たちと『連歌』ならぬ『連詩』をやったそうなんですが、外国人は最初、ものすごく戸惑うそうですよ。なぜなら、外国人は詩というものを、自己の考えを凝縮した表現だと理解しているでしょう」(p.30)。
 「やっぱり、『わかる』とか『気づく』の処方箋は、感覚を磨けってことだからさ、答えを言ってしまうと。それにはできるだけ、多様な状況に身を置くことがいいんで」(p.46)。
 「臨床心理の河合隼雄さんが、カウンセリングの秘訣は何ですかと人から聞かれるたびに、『相槌の打ち方ですな』といつも言っていました」(p.84)。
 「だって、さっきも言ったように、メルケルが『難民は全部受け入れる』と言ったりとか、トランプに反対したりとか、それらは一種の原理主義ですよ。現状を冷静に分析した上で言っているわけじゃない」(p.164)。
 「そのときに、しょうがないから、僕が昔よく思ったのは、『俺は世直しのために生まれたわけじゃねえ』ってこと。もう1つは、『世間は俺より前からあるんで、俺の都合でできているわけじゃねえ』って」(p.201)。

『養老孟司の人生論』2021年08月05日 22:04

19年 3月 8日読了。
 「どんなに『正しい』目的で行われていることであっても、ある種の『うしろめたさ』を欠いた社会運動を私は疑います。疑うことが、いわばクセになったんです。ここでいう原理主義とは、なにかを絶対的とみなすということです」(p.141)。
 「『本当に正しいのはなにか』という疑問は、これからは個人が抱えていくんでしょうね。それが『正しい』あり方かもしれません。ソクラテスも孔子もデカルトも、それこそお釈迦様もキリスト様も、結局は個人でしたからね」(p.156)。
 「人は単純な解答を好みます。疑問に対して、きっぱりと、歯切れよく答える。格好いいじゃないですか。でもそれは、たいていウソです。単純で明快な解答がある場合も、もちろんあります。でもほとんどの場合には、『単純で明快な解答があればいいな』という希望なんです」(p.188)。
 「考えるにせよ、体を動かすにせよ、それを素過程に分解して、そのそれぞれを訓練すればいい、そういうことです」(p.191)。