ブライアン・エヴンソン著『ウインドアイ』 ― 2021年04月06日 22:42
18年 5月12日読了。
二十五編が収められた短編集。どれもこれも救いのない話ばかり。罪のない人達に不条理な悲劇。結末もなく謎が解明されないまま終わる話が多い。放り出されるような終わり方。統合失調症の典型の一つだが、主体が奪われる話も目立つ。そして全編に満ちる喪失感。
表題作は、ある時突然妹が消えてしまうのだが、母親も含めて周囲の人は妹は最初から居なかったという。
「溺死親和性種」は、逆に記憶にない弟を捜し続ける話。何かをはっきりさせようとするほど、世界は分解し何も判らなく成っていく。
二十五編が収められた短編集。どれもこれも救いのない話ばかり。罪のない人達に不条理な悲劇。結末もなく謎が解明されないまま終わる話が多い。放り出されるような終わり方。統合失調症の典型の一つだが、主体が奪われる話も目立つ。そして全編に満ちる喪失感。
表題作は、ある時突然妹が消えてしまうのだが、母親も含めて周囲の人は妹は最初から居なかったという。
「溺死親和性種」は、逆に記憶にない弟を捜し続ける話。何かをはっきりさせようとするほど、世界は分解し何も判らなく成っていく。
アーサー・ランサム著『シロクマ号となぞの鳥』上下 ― 2021年04月07日 21:59
18年 5月15日読了。
シリーズ最終巻。著者は続編を構想していたらしい。今回も環境保護的な主題で、船の博物学者ディックが大活躍するが、本人達は環境保護に無関心であるにも拘らず、ロジャとナンシイも活躍する。どうも著者はこの二人が好きらしい。
スーザンが意識的な分別者の典型とすれば、ロジャとナンシイは無意識的な悪戯者の典型である。俺の贔屓のティティも無意識的だが、その創造力は外へ向かわずに内向するにも拘らず、時々はっとするような洞察力を発揮する。ドロシアも創造的だが、彼女の注意は熱中癖の在る兄への配慮と虚構の構築の二点にのみ集中している。個性的な子供達の中に在って、ジョンとペギィの印象が弱く成ってちょっと可哀想な感じ。
筋立ては、類型的ではあるが良くできた冒険物語。悪役にもっと魅力が在れば良かったようにも思うが、児童文学では複雑に成り過ぎるか。単純な善でも悪でもないゲール人の存在が面白い。
また、児童文学にありがちなセンチメンタリズムに陥らず、苦労して守った鳥達が別に感謝して呉れる訳でもない処も良い。自然とはそういう物である。
シリーズ最終巻。著者は続編を構想していたらしい。今回も環境保護的な主題で、船の博物学者ディックが大活躍するが、本人達は環境保護に無関心であるにも拘らず、ロジャとナンシイも活躍する。どうも著者はこの二人が好きらしい。
スーザンが意識的な分別者の典型とすれば、ロジャとナンシイは無意識的な悪戯者の典型である。俺の贔屓のティティも無意識的だが、その創造力は外へ向かわずに内向するにも拘らず、時々はっとするような洞察力を発揮する。ドロシアも創造的だが、彼女の注意は熱中癖の在る兄への配慮と虚構の構築の二点にのみ集中している。個性的な子供達の中に在って、ジョンとペギィの印象が弱く成ってちょっと可哀想な感じ。
筋立ては、類型的ではあるが良くできた冒険物語。悪役にもっと魅力が在れば良かったようにも思うが、児童文学では複雑に成り過ぎるか。単純な善でも悪でもないゲール人の存在が面白い。
また、児童文学にありがちなセンチメンタリズムに陥らず、苦労して守った鳥達が別に感謝して呉れる訳でもない処も良い。自然とはそういう物である。
ピーター・ワッツ著『エコープラクシア 反響動作』上下 ― 2021年04月08日 21:17
18年 5月20日読了。
様々な亜人種が出て来る。亜人種というだけである程度思弁的存在だが、どれもが悉く人間とは違う特殊な知性を備えており、だめ押しに地球外知性も登場する。当然、知性とは何かが主題と成る。
関連して自己同一性や自由意志の問題も語られるが、もう一つの重要な主題は宗教或いは信仰である。ここでは、信仰を科学とは別種の知として考える亜人種がおり、その考えで、行き詰まった科学では到達できなかった新たな知の世界を獲得しているらしい。勿論、ここではベースラインと呼ばれる普通の人間には、それがどんな物か想像するのも困難なのだが、彼らは発明品や未来予測に於いて、実績を上げている。
それぞれの知性がそれぞれの思惑で動いていて、協力したり敵対したり利用したりし合っていて、誰が何を遣りたいのか良く判らず、ただでさえ話が複雑なのに、文章が独特で全体像が判りにくいが、主人公も良く判っていないらしいので、無理に判ろうとせず、それぞれの知性の特徴など楽しみながら読めば良いのかも知らぬ。
この作品の宇宙観はデジタル物理学に基づく。つまり、宇宙は超巨大で超複雑な数式のような物で、物理法則は演算規則のような物で、ある状態から次の状態を算出し続けている、というようなイメージである。作者が本当にそう信じているのか、この作品に於ける設定として採用しているのかは知らない。
その中でネゲントロピー、つまり、生命や知性はどう位置付けられるのか、というのが今ひとつ焦点を結ばなかった。それは主題ではないのか、俺が読めていないのか。ゲーデルなど絡めて考えると面白かろうと思う。宇宙の自己言及性。
様々な亜人種が出て来る。亜人種というだけである程度思弁的存在だが、どれもが悉く人間とは違う特殊な知性を備えており、だめ押しに地球外知性も登場する。当然、知性とは何かが主題と成る。
関連して自己同一性や自由意志の問題も語られるが、もう一つの重要な主題は宗教或いは信仰である。ここでは、信仰を科学とは別種の知として考える亜人種がおり、その考えで、行き詰まった科学では到達できなかった新たな知の世界を獲得しているらしい。勿論、ここではベースラインと呼ばれる普通の人間には、それがどんな物か想像するのも困難なのだが、彼らは発明品や未来予測に於いて、実績を上げている。
それぞれの知性がそれぞれの思惑で動いていて、協力したり敵対したり利用したりし合っていて、誰が何を遣りたいのか良く判らず、ただでさえ話が複雑なのに、文章が独特で全体像が判りにくいが、主人公も良く判っていないらしいので、無理に判ろうとせず、それぞれの知性の特徴など楽しみながら読めば良いのかも知らぬ。
この作品の宇宙観はデジタル物理学に基づく。つまり、宇宙は超巨大で超複雑な数式のような物で、物理法則は演算規則のような物で、ある状態から次の状態を算出し続けている、というようなイメージである。作者が本当にそう信じているのか、この作品に於ける設定として採用しているのかは知らない。
その中でネゲントロピー、つまり、生命や知性はどう位置付けられるのか、というのが今ひとつ焦点を結ばなかった。それは主題ではないのか、俺が読めていないのか。ゲーデルなど絡めて考えると面白かろうと思う。宇宙の自己言及性。
ジョー・ウォルトン著『わたしの本当の子どもたち』 ― 2021年04月09日 21:17
18年 5月23日読了。
長編。二つの異なる人生、異なる史実の記憶を持つ老女の物語。平行宇宙SFとも認知症患者の妄想とも読める。記憶の二重性と事実か妄想かの二重性が重なり合っている訳である。同じ作者の『図書室の魔法』もファンタジイとも妄想とも読める構造に成っていたから好きなのであろう。俺も好きだが。
第二次大戦中から現在まで、主人公の二通りの人生のそれぞれが、我々の知っている史実とは違う歴史改変物語に成っているが、焦点はそこにはなく、一人の女性の人生がそれぞれに魅力的に描かれている。
SF的な要素よりもフェミニズムの主題が強い感じで、女性や同性愛者の抑圧が丁寧に扱われる。その意味では朝ドラ的。朝ドラでSFは無理だろうが。監督二人使ってドラマにしたら面白いのでは。
派生的な事だが、認知症に成った主人公の記憶力をネットやコンピュータで補助する処が面白い。もっと老人向けのアプリを作らなくちゃいけないし、それは日本の役目である。個人的には、老いる事が否定的にばかり描かれるのがちょっと嫌。
長編。二つの異なる人生、異なる史実の記憶を持つ老女の物語。平行宇宙SFとも認知症患者の妄想とも読める。記憶の二重性と事実か妄想かの二重性が重なり合っている訳である。同じ作者の『図書室の魔法』もファンタジイとも妄想とも読める構造に成っていたから好きなのであろう。俺も好きだが。
第二次大戦中から現在まで、主人公の二通りの人生のそれぞれが、我々の知っている史実とは違う歴史改変物語に成っているが、焦点はそこにはなく、一人の女性の人生がそれぞれに魅力的に描かれている。
SF的な要素よりもフェミニズムの主題が強い感じで、女性や同性愛者の抑圧が丁寧に扱われる。その意味では朝ドラ的。朝ドラでSFは無理だろうが。監督二人使ってドラマにしたら面白いのでは。
派生的な事だが、認知症に成った主人公の記憶力をネットやコンピュータで補助する処が面白い。もっと老人向けのアプリを作らなくちゃいけないし、それは日本の役目である。個人的には、老いる事が否定的にばかり描かれるのがちょっと嫌。
バリントン・J・ベイリー著『ゴッド・ガン』 ― 2021年04月10日 21:25
18年 5月26日読了。
短編集。ベイリーはワイドスクリーンバロックの作家という先入観があり、ワイドスクリーンバロックとは余り相性が良くないので、それほど期待しなかったのだが、意外にも面白かった。俺のワイドスクリーンバロックの理解は「詰め込み過ぎた分とっ散らかって全体の印象が弱い」という物だが、短編は焦点が絞り込まれているせいか、散漫な感じはない。特に「大きな音」は、思弁的法螺話で大好き。
短編集。ベイリーはワイドスクリーンバロックの作家という先入観があり、ワイドスクリーンバロックとは余り相性が良くないので、それほど期待しなかったのだが、意外にも面白かった。俺のワイドスクリーンバロックの理解は「詰め込み過ぎた分とっ散らかって全体の印象が弱い」という物だが、短編は焦点が絞り込まれているせいか、散漫な感じはない。特に「大きな音」は、思弁的法螺話で大好き。
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