C.G.ユング著『元型論』『続・元型論』2025年10月03日 21:18

 ユングによる元型についての解説だが、最初からまとまったものとして書かれたのではなく、講演や他の研究者による神話研究に対するコメントなどを集めたもの。
 そのためか、「元型とはどのようものでどのように意識や行動に作用するのか」ということが、全体としてはもう一つ焦点が合わない感じが残る。もっとも、元型は意識から直接認識することはできず(意識できないものを無意識というのだから当然だ)、言動の端々から読み取ったり、意識にイメージとして投影されたものから推測することしかできないので、そもそも「はっきり焦点が合う」などということはあり得ないのかもしれない。ユングも「元型とは可能性のようなもので、投影としてしか現れないものだ」という意味のことを言っている。それでももうちょっと「体系的な全体」が見渡せる感じが欲しいところである。
 最も重要と思われるのは、アニマ元型や精神(ガイスト)元型であろうが、俺には「童児神・英雄児元型」と「トリックスター元型」が最も興味深かった。

マーガレット・アトウッド著『マッドアダム 上下』2025年10月09日 22:20

 マッドアダム三部作の三作目。「謎のウイルスにより人類はほぼ絶滅し、地上は廃墟と化した。生き残ったのは一握りの人々と「理想」の人造人間クレイカー、そして残忍な凶悪犯たち」(カバー折り返し)というのが前作まで。
 『マッドアダム』では、文明の崩壊した地上でサバイバルしていくコミュニティと、主人公の一人であるセブの生い立ちの回想が、並行して語られる。兄アダムと弟セブの兄弟は、父親の虐待を逃れて姿を晦ます。セブがそのハッキングの才能を生かして闇社会で生き延びていく一方、アダムは新たな教団の教祖となっていた。
 現実の世界では、電気も機械もない中で、蜜蜂を飼い始めるなど様々な工夫をして生活を充実させようとする。知能は高いが必ずしも誠実とは言えない人間たちだが、ぎくしゃくするところもありながらもコミュニティを持続させていく。対照的に疑いを知らない無垢な種族であるクレイカーたち。
 やがて、コミュニティを襲撃しようとする凶悪犯たちとの決戦の時がやってくる。コミュニティに味方するのは、意外なことに遺伝子改良で高知能化されたブタのピグーンたちだった。
 著者はおそらく何らかの「再生の物語」を描きたかったのではなかろうか。小松左京の『復活の日』みたいな。つまり希望を。人間には絶望しているけど、クレイカーやピグーンのような新たな種族を登場させることによって希望をつなごうとしたのかもしれぬ。
 俺が面白かったのは、クレイカーの子供が初めて文字を見るところ。最初のうちはそれが「言葉」であることを信じないが、離れたところにいる人間に自分の名前を書いた紙を見せたら、自分の名を言ったので驚愕する。クレイカーの子供たちは文字を学ぶことに夢中になるが、文字を教えた人間のトビーはそれは間違いではなかったかと考える。文字を知ることによって、クレイカーたちは人間と同じ過ちへの道を進み始めるのではないかと。

大谷亨著『中国の死神』2025年10月15日 22:08

 中国の死神、つまり死者の魂を持ち去るものである「無常」という神についての解説書。著者の博士論文を一般向けにリライトしたものだが、文章はユーモラスで読みやすい。また、中国での調査の様子を寄稿エッセイとして描いた「無常珍道中」はさらにコミカルである。
 無常という神と妖怪の中間のような存在そのものの面白さもさることながら、文献と現地調査による取材、取材した資料の整理、抽出されたデーから見えてくる関係性を考察するという、文化研究の過程が具体的に記されているところが興味深かった。
 最初は上位の神々から命令されて人間の魂を取ってくるだけの無個性な役人のような存在だった無常(このころはまだ無常の名は付いていない)が、似たところのある他の妖怪の影響を受けて、変化していき、現在のある程度権威がある神へと昇格していく過程を著者が推測している。
 地域による無常の形態の変化や、祭り方の多様性が非常に面白い。俺にとっては何よりも、これまで知らなかった道儒仏以外の中国の民間信仰の一端が垣間見えたことが収穫だった。

群像編集部編『孤独の時間。』2025年10月22日 23:21

 孤独に関するエッセイ・アンソロジー。たぶん四十四編。執筆者は文学者を中心に多彩。九十歳を過ぎた皆川博子や筒井康隆から、九十年代生まれの若い人まで年齢も幅広い。
 多くの人が「物理的に一人であるときよりも、多くの人に囲まれているときに孤独は強い」と念を押すように言う。また、孤独を切実な苦しみとする人もあれば、孤独のすがすがしさや自由を肯定的に語る人もいる。「望んだ孤独と望まない孤独」というような話も。孤独なんて有り得ないような気もするし、誰でも常に孤独であるような気もしてくる。皆孤独という矛盾。
 宮内悠介の「孤独だったときは何とも思わなかったが、親しい友人や妻ができたら孤独が恐ろしくなった」という話が面白い。
 俺自身の話をすれば、レジで「カードでお願いします」くらいしか喋らない日々が長らく続いているが、辛いと思ったことはない。社会性が壊れているのかもしれない。
 「世界のどこかで泣いている人。痛みに耐えている人。到底、触れられない。到底、わからない。それでも、その中にあるものへ想いを馳せてみる。表層的な情報に流されず、「知った気になる」の奥へゆく力を、孤独の時間はわたしにくれる」(p.17 一川華「やわらかな輪郭のなかで、孤独は踊る」)。
 「10歳くらいのとき、祖父とその仲間たちに交じって富士登山に行った。登る前か、登ったあとだったか、ふもとにある町のうどん屋に行ってキノコうどんを食べた。祖父たちの楽しそうなお喋りを聞いていたその瞬間、なんの前触れもなく心が鉛のように重くなった。周りの音が遠くなって、この世界に楽しいことなんてひとつもないような気がした。誰にも説明できない寂しさと「今すぐここからいなくなりたい」という思いに胸を鷲掴みにされて、あたたかいうどんの器を見つめながら、私はしばらくのあいだ硬直した。孤独だと思った。それ以来、私はときどき孤独の発作を起こす」(p.24 伊藤亜和「ずっとみていて。」)。
 「「紛らわせたい孤独」が受動的なら、「創るための孤独」は能動的だ。絵画も音楽も小説も「個」と「孤」から生まれる」(p.78 塩田武士「孤独の表裏」)。
 「おしどり夫婦と呼ばれている夫婦こそ離婚するなんて言われるけれど、そう呼ばれない夫婦も離婚する。摂理だ」(p.91 武田砂鉄「無表情で乱れ打ち」)。
 「孤独じゃないと不安になります」(p.183 ゆっきゅん「誰も見ていないものを誰にも言わずに見てる」)。

松岡学著『芸術から空の色まで、世界は「数」でできている』2025年10月23日 22:34

 数学の一般向け解説書。副題に「明日、誰かに話したくなる数学の話」とあるように、数学に関する雑学的な話題が列挙されている。音楽の和音とオクターブの話や、色と光の周波数の話など、身近な物事が数学とのかかわりを解説する一方、素数や無限、四次元の話など、数学のロマンと神秘性も語られる。群論の解説などなかなか見事だが、アドラー心理学を数学の極限の技法に結び付けるなど、ちょっと無理矢理なところもある。
 一つ一つの話題が断片的なので、どこからでも読めるという利点もあるが、相互の関連性が薄いきらいもある。個人的には「数学の全体像を体系的に知りたい」という気持ちがあるが、この本にそういうことを求めてはいけない。趣旨が違う本であり、ないものねだりである。