石ノ森章太郎原作『サイボーグ009トリビュート』2025年06月02日 22:05

 「サイボーグ009」の外伝エピソード二次創作アンソロジー。009は、悪を出自とする石ノ森章太郎の「呪われたヒーロー」の系譜の作品だが、作家たちの009に対する敬意のためか、さわやかな読後感のものが多い。特に008が活躍する藤井太洋「海はどこにでも」が、終始気持ち良い。008のすがすがしい人柄がなんとも小気味良いのである。俺の目当てであった円城塔「クーブラ・カーン」は、それに比べると、人類の、そしてサイボーグの存在に疑問を残す結末である。

森見登美彦著『シャーロック・ホームズの凱旋』2025年06月06日 22:27

 長編。舞台はヴィクトリア朝京都という架空の街。基本的な地理は日本の京都と同じで、嵐山や大文字山があり鴨川が流れている。しかし、風俗は英国風で、辻馬車が走り、ビッグ・ベンが時を告げる。国名については「我が帝国」としか示されず、京都が都市なのか国家なのかもよくわからない。
 この街の寺町通221Bの下宿屋の二階にシャーロック・ホームズは住んでいる。一時は名探偵として洛中洛外の一世を風靡したホームズだが、スランプに陥り、一年も全く事件を解決していない。記録係のジョン・H・ワトソンはホームズを叱咤激励するが、スランプを抜け出せないホームズは部屋でグータラな生活を続けている。
 同じ下宿屋の三階にやはりスランプの物理学者モリアーティ博士が転居してきたり、ホームズのライバルとして女探偵アイリーン・アドラーが現れたりして、物語は喜劇的に展開する。
 舞台設定は非常に魅力的だが、人物設計が典型的な喜劇の登場人物で、前半は俺にはやや退屈だった。しかし、中盤で起こる神秘的な「非探偵的」事件、そしてモリアーティ博士が空想した架空の街「ロンドン」が現れるあたりから、俄然面白い展開になる。流石は森見登美彦である。
 ヴィクトリア朝京都とロンドンの関係がどうなっているのかが物語の焦点の一つなっていく。京都がロンドンの夢を見ているのか、ロンドンが京都の夢を見ているのか。こういう多重メタフィクション的な構成の物語はいつも、読者に「自分の世界」の存在に疑いを持たせる。

P・ジェリ・クラーク著『精霊を統べる者』2025年06月12日 22:33

 長編。エジプトを舞台にした歴史改変スチームパンクファンタジー。正史と分岐するのは一八七二年、アル=ジャービズという魔術師が異世界とつながる「穴」を開いて、超自然の力を解き放ち、エジプトは魔物の力を借りて完全な独立を手にする。その後も、欧州列強が超自然の力を軽視し近代科学によって支配を強めようとするのを尻目に、エジプトは魔物との共存を図って力を強めていく。
 物語は、そんなエジプトの都市ギザで起こった殺人事件を捜査する、魔術省のエージェント・ファトマの活躍を描く。犯人は黄金の仮面をつけた謎の男。どうやら魔物を支配する力を持っているらしい。仮面の男は、アル=ジャービズの再来を名乗り、市民を扇動し始める。
 ネビュラ賞、ローカス賞など四冠に輝いた作品だが、そういう凄味のある特別な作品というより、丁寧に作られたよくできたエンターテインメントの佳作である。ジンと呼ばれる魔物たちもチャーミングだし、ファトマと仕事のパートナーのハディア、ファトマの恋人のシティとの関係が深まったり反発したりしながら、しっかりした絆を築いてく様子がうまく描写されている。

ラヴィ・ティドハー著『ロボットの夢の都市』2025年06月17日 22:28

 長編と呼ぶか中編と呼ぶか迷うくらい。風景や人々の描写が幻想的で、ちょっと詩のような感じもある。舞台は未来の中東の都市「ネオム」。人類の居住範囲は太陽系の果てオールトの雲までに及んでいるが、本作に登場する人物たちは貧しく地上に縛り付けられた人々が中心である。
 マリアム・デラクルスは、自分はもう若くないと感じているというから、中年に差し掛かったくらいの年齢であろう。マリアムは母親の介護費用を捻出するため、いくつもの仕事を掛け持ちしている。ある時、市場で花を売っていたマリアムの前に型の古いロボットが現れる。マリアムはロボットに一輪のバラを送る。
 このバラのロボットが面白い。彼のような古いロボットは、かつて戦争で兵器として人間に酷使され、戦争が終わると危険物として忌避されている。そのためか、時折人間に対してなかなか厳しい皮肉を言ったりする。
 バラのロボットは、ネオムの外に広がる砂漠から、バラバラに壊れたもう一体のロボットの残骸を掘り出し、マリアムが手伝っている修理屋に修理を依頼する。掘り出されたロボット「ゴールデンマン」とは何者なのか。そしてそれを掘り出したバラのロボットの目的は何なのか。ゴールデンマンが目覚めてからの展開はちょっと神話的である。
 登場する超技術や機械的、生物工学的、情報的に改変された人物たちが丁寧に描写されていて魅力的。

養老孟司著『日本が心配』2025年06月24日 23:46

 養老孟司と識者が来るべき南海トラフ地震について語り合う対談集。対談の相手は、地震学者の尾池和夫、都市防災学者の廣井悠、社寺建造物修復のデービッド・アトキンソン、自然写真家の永幡嘉之の四人。養老孟司は地震そのものよりも、復興をどうするかを重要視している。
養老「天災と日本という主題を考える時に、縁が遠いようだが、どうしても触れざるを得ないのは鴨長明と『方丈記』である」(p.4)。
 尾池「もう六十年前の話なんですが、原子力発電所を作る候補地を決めるのに際して、地震の起こったところは怖いからと、わざわざ「日本の有史以来、千五百年以上、大きな地震の起きていない地域」を選んだんですよ。/もしその下に活断層があったら、本当は「千五百年以上動いていないのは危険だ」と判断しなくてはいけないのに」(p.32)。
 尾池「ところが行政はときおり、私たち学者が提言していることを「なかったこと」にするのです」(p.55)。
 廣井「ここまで被害の範囲が大きくなると、「助けてもらう」側の市町村ばかりで、「助けてあげる」側の市町村がとても少なくなります」(p.73)。
 廣井「でも人間って、本音を言えば、防災対策をやりたくないんですよ」(p.110)。
 廣井「実際、お祭りをやっている地域って、住民同士に顔の見える関係があるので、防災活動もうまくいくんですよね」(p.115)。
 廣井「この地域(インドネシア・シムル島)は、百年ほど前に発生した地震津波で数千人クラスの死者が出たそうです。なので、その教訓を子守歌に落とし込み、「スモン(津波)が来たら山へ逃げよう」と歌い継いできたといいます。つまり教訓を子守歌という形に落とし込んで、子々孫々のDNAに刻まれていたから、被害を減らせたと言えるでしょう」(p.119)。
 アトキンソン「東北と熊本で地震が起きたときに、いろいろ勉強してすごくびっくりしたのは、復興庁って地域限定・期間限定なんですね。そのために、東北の地震で用意されたものが熊本では使えなかったと聞きました。/災害対策を専門とする省庁が常設されていないこと自体、驚きですよ。日本にこそ必要なものなのに」(p.133)。
 日本の先送り体質について。養老「あと十五年もすれば、南海トラフが来るとわかっていても、そのときに考えればいいや、というところがありますね。/しかも現実に巨大地震が発生して、早急に手を打たなければ大変なことになるというところまで切羽詰まっても、「いや、法律上、問題があるからできない」なんて、平気で言う」(p.134)。
 養老「誰も考えないし、だれも責任を取らない。「みんなで話をして、みんなで考えましょう。以上、終わり」というやり方でいい。日本人にはそういう考え方が小学校の道徳の授業のときから叩き込まれているんです。結論なんか出やしない」(p.195)。
 養老「南海トラフが起きるとされている二〇三八年の時点で、必要なエネルギーや食糧がどのくらいかは計算できるはずです。人的資源もそう。生産年齢人口が何人で、どういう分野にどれだけの人を投入できるのかはわかります。国の機関はその程度の青写真を描いていなくてはいけません」(p.214)。
 養老「この国は口では「基礎研究は大切です」と言いながら、誰も本気でそう思っていませんよ、残念ながら」(p.216)。