池田清彦・南伸坊著『老後は上機嫌』 ― 2025年04月07日 23:12
対談。主な主題は「面白いことと分かること」。南伸坊の説では「曖昧に判っていること、判りそうな予感が、意識として明確に判ったときに、面白いと感じる」という。これを南伸坊は「分かり直す」と表現している。
南伸坊「今までぼんやり分かっていたけど、自分で意識できなかったことが、はっきりわかる形で見えたときに、ある種の快感がある。つまり面白いんじゃないか」(p.63)。
池田清彦「人間の認知の仕方については、ちょっと物事の見方を変えただけで、全然違った世界が見えてくるっていうことがある。そういうのが、楽しいとか面白いって思うことの原点なんだろうね」(p.64)。
南伸坊「面白い話とつまんない話の違いって何だろうっていうと、つまんない話って、「分かりきった話」か「はなっから分からない話」なんですよ」(p.89)。
池田清彦「大澤真幸(社会学者)は「郡司(ペギオ幸夫)くんは自分で言っていることを人が理解できないことが、全く理解できていないですね」って言ってたけど、俺もそう思う」(p.93)。
南伸坊「今までぼんやり分かっていたけど、自分で意識できなかったことが、はっきりわかる形で見えたときに、ある種の快感がある。つまり面白いんじゃないか」(p.63)。
池田清彦「人間の認知の仕方については、ちょっと物事の見方を変えただけで、全然違った世界が見えてくるっていうことがある。そういうのが、楽しいとか面白いって思うことの原点なんだろうね」(p.64)。
南伸坊「面白い話とつまんない話の違いって何だろうっていうと、つまんない話って、「分かりきった話」か「はなっから分からない話」なんですよ」(p.89)。
池田清彦「大澤真幸(社会学者)は「郡司(ペギオ幸夫)くんは自分で言っていることを人が理解できないことが、全く理解できていないですね」って言ってたけど、俺もそう思う」(p.93)。
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