古川日出夫著『MUSIC』2024年09月03日 22:01

 舞台は現代の日本。主人公は三人と一匹。鴉を憎んで鳥を狩る技に磨きをかける猫のスタバ。猫の言葉を研究し、その方言と共通性を見極めようとする少年、佑多。突如、走ることに目覚めて陸上部に入部した少女、美余。最後の主人公は、一人とも二人とも三人とも数えられるが、性同一性障害から多重人格を発症した北川和美(和身)。中盤まではほぼこの三人と一匹だけで物語は展開する。
 中盤から、現代美術家のJI、女性だけで構成される闇の組織「W」、美余の才能を見出してスカウトする裏の陸上競技会のザ・コーチなどが登場して、状況はカオス的に混乱しながら、すべては京都へと雪崩れ込んでいく。
 古川日出夫の著書をすべて読んでいるわけではないが、読んだ範囲では、描かれているのはいつも神話だな、と思う。神話とは何だろう。古川日出夫作品の何が俺に神話だなと思わせるのか。半神半人の異能の者たち。それから、非合理的な呪術的な展開。類感呪術、感染呪術。

ローラン・ビネ著『文明交錯』2024年09月07日 21:46

 長編。歴史改変もの。
「インカ帝国がスペインにあっけなく征服されてしまったのは、彼らが鉄、銃、馬、そして病原菌に対する免疫をもっていなかったから……と言われている。しかし、もしも、インカの人々がそれらを持っていたとしたら? そしてスペインがインカ帝国を、ではなく、インカ帝国がスペインを征服したのだとしたら、世界はどう変わっていただろうか?」(カバー袖)。
 「第一部は中世アイスランドの実在の「サガ」の抜粋ないし要約から始まり、主人公は赤毛のエイリークの娘フレイディースである。第二部はこのれも実在の『コロンブス航海誌』の抜粋から始まっており、主人公はもちろんコロンブスである。そして第三部が「年代記」で、『アタワルパ年代記』というタイトルで匿名の年代記作家がインカ皇帝アタワルパの生涯を描いている(デル・カスティーリョの『メキシコ征服記』を思わせる)。第四部はセルバンテス風の小説で、第三部で勢力図が塗り替えられたヨーロッパを舞台に、主人公ミゲル・デ・セルバンテスの波瀾万丈の冒険が語られる」(「訳者あとがき」p.406)。
 「アタワルパ一行の視点は必ずしも「インカの人々の視点」になっているわけではないが(略)、少なくとも「ヨーロッパを初めて見る人間の視点」にはなっている」(「訳者あとがき」p.408)。
 おお、エキゾチックヨーロッパ。というわけで、アタワルパがヨーロッパの大半を征服するまでの第三部がこの物語の中心なのだが、アタワルパに同行するキューバの王女、ヒゲナモタが大変に賢明で魅力的に描かれている。ヒゲナモタは幼いころコロンブスに会っている。
 第一部では、性格の激しいバイキングの女性が鉄や馬などのヨーロッパの文明と、伝染病をアメリカに持ち込む。このくだりは、かなりあっさり描かれているが、俺には大変に面白かった。

キム・スタンリー・ロビンスン著『未来省』2024年09月15日 22:19

 地球温暖化を主題にした、一種の近未来シミュレーション小説。温暖化対策のために国連が設置した通称「未来省」という組織のトップに立ったメアリー・マーフィーを中心に、エピソードを積み重ねる形で多面的に展開する。工学技術的な問題のほか、政治、経済、既得権益者の抵抗など様々な側面から問題が発生してくる。一般市民や気象災害難民の視点も取り入れている。解説で坂村健が書いているように、欠落も多いが、現時点では地球温高問題を扱ったフィクションとしては、最も総合的に全体像を描いているのではないかと思われる。
 そして、未来省がそういった問題に対する対策には、現実に提案されているもののほかにこの作品独自の着想も数多い。氷河の進行速度を抑えるアイデアなど大変に面白いが、特に俺が面白かったのは、二酸化炭素の排出削減を裏付けとした新しいデジタル通貨「カーボンコイン」である。
 坂村健が欠落として挙げたのは、日本の存在が極端に薄いこと、原子力特に核融合に関する記述がないことなどだが、俺は、グレタ・トゥーンベリをモデルにした人物を出しても良かったのではないか、と思った。まあ、すべてを盛り込もうと思ったら個人の手に余るし、長さも何倍にもなってしまうだろうが。

イアン・マクドナルド著『時ありて』2024年09月23日 22:26

 中編。古書ディーラーのエメット・リーがぐう先手にした古書に挟まれていた手紙。エメット古書マニアらしい興味から、その手紙の由来を調査し始める。古い映像を調べると、手紙の書き手であるトムとその恋人ベンは、ほとんど姿を変えないまま、何十年も離れた時間に現れていた。彼らは不死者なのか、それとも……。
 俺が一番面白かったのは、調査の過程でエメットの前に現れた、ソーンという一種「野蛮な」女性とエメットの奇妙な関係である。彼女の不衛生とも思える乱雑さやだらしなさに、最初はエメットは嫌悪を覚えるが、共に調査を続けるうちに欠点に鈍感になり、とうとう一緒に暮らすまでになる。それに比べると、本筋であるはずの、時を超えるかに見える同性愛の恋人たちの話は、その神秘性にもかかわらずもう一つパンチがない。
 また、アラン・チューリングの例に見られる通り、第二次世界大戦前後のイギリスでは同性愛は犯罪だったので、トムとベンの恋は非常に危険なものだったはずだが、そのスリリングさがもっと描かれても良かったのでは。