上田早夕里著『成層圏の墓標』2026年03月08日 22:15

 短編集。全体に、眉村卓のジュブナイルを連想させるような、清潔感の感じられる作品が多い。不思議なことに「異形コレクション」に収録されたホラー的な作品にもどことなく「健全さ」が感じられるのである。「健全とは何か」がよく判らなくなっているこの時代にどうしてそのようなことが可能なのか。誠実で公平、ということかもしれない。
 そのことと無関係ではないと思うが、SFらしい異常な出来事や状況が描かれるが、ほとんどの作品で主人公となるのは、状況にかかわる重要な、あるいは特別な人物ではなく、状況に翻弄される名もなき人々である。
 俺が一番気に入ったのは「車夫と三匹の妖狐」。明治から大正期の東京で、妖狐の娘たちを人力車に乗せて駆け巡った車夫の話である。妖狐に殺されたはずの車夫仲間とすれ違う場面が奇妙に迫力がある。

犬怪寅日子著『羊式型人間模擬機』2026年03月02日 22:20

 中編。第十二回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作品。人物の名前からすると日本のようだが、地域も時代もはっきりしない、広大な領地の大きな屋敷に住む一族の物語。一族の男子は死に際して羊に変身する。毛を刈る家畜の羊だ。そして一族の者はその羊の肉を食べる風習というか掟がある。解体作業を担うのは、世代を超えて一族に仕え続ける一体のアンドロイド。数世代にわたる一族の物語が、このアンドロイドの視点で語られる。アンドロイドには「不完全な感情」のようなものがあるが、自分でそれを持て余しているようである。山尾悠子を連想させる幻想小説であり、俺はガルシア・マルケスの『百年の孤独』をちょっと思い出した。
 俺の最も好きなエピソードは「嫁取り」の話である。一族は外部から配偶者を迎えるにあたっては、婿ならば娘の父親が、嫁ならば息子の母親が自由に選ぶという決まりがある。一族の歴史においては、地図に矢を刺すなど乱暴な選び方をする者もあった。自らも義母に選ばれて嫁となった日向は、自分の金を盗んだ浮浪児の少女を息子の嫁にしようとする。日向と少女の間の緊張感が良い。やがて一族に嫁いだ少女が生む四人の子供たちもみな面白い個性を持っていて魅力的である。
 選考では神林長平が強力に推したという。

藤井太洋著『まるで渡り鳥のように』2026年02月27日 21:43

 短編集。科学技術の未来や、未来の人間社会を描いたものが多い。人類の現状を鑑みるに不安になる要素ばかりだが、著者の作品にはいつも希望が残されている。以前、俺は著者について「日本SF会の楽観担当」と呼んだことがあるが、芯から楽観的なのか、「せめて虚構の中では希望を」と考えて意識してそうしているのかはわからない。「オウムの夢と操り人形」などはその典型で、批判的に語られることが多い「イライザ問題」に、希望の持てる結末を付けている。俺が一番好きなのは巻末の「祖母の龍」で、伝統的な知恵としての民族舞踊が、太陽コロナという宇宙の現象と共鳴する話である。

筒井康隆著『筒井康隆自伝』2026年02月14日 21:47

 筒井康隆の著作には日記も多く、思い出を語ったエッセイなどもあるので、ファンはある程度その人生を知っているのだが、改めて読んでも面白い。ファンとはそういうものであろう。俺には、「オール讀物」の編集長だった豊田健次との確執が特に面白かった。

酉島伝法著『無常商店街』2026年02月12日 18:47

 連作短編三編収録。翻訳家の宮原は姉からの電話で「猫の世話をしてくれ」と留守番を頼まれ、見知らぬ街に滞在することになる。姉から近づくなと注意されていた商店街に迷い込んでしまった宮原は、抜け出せなくなる。三編とも、一見日常的な街から異様な世界に迷い込んでいく話である。まず、空間が歪んでいく。
 「左に進んでみると案の定一本道に繋がってほっとしたが、回転焼きの店は一考に現れない。おかしいな、と後ろに向けば二叉で、どちらの道の先にも二叉が見える」(p.25)。
 さらに「どこまで行っても見たことのない、それでいてどこにもあるような寂れた商店街の景色ばかりが続く。地図で見た無常商店街の広さを遥かに超えているとしか思えなかった。湾曲した道に差し掛かってカーブミラーが現れ、そこに自分の後ろ姿が映っているのが見えた」(p.26)。
 ついには空間が螺旋状に捻じれ、建物は融合し、店先に並ぶ商品も変容して何が売っているのかわからなくなる。変容は人間にも及び、捻じれた街を行き交う人々の姿も奇怪である。
 「顔面が一対の翼だけで羽ばたきながら歩いている人、膨張しすぎた頭部をさみ垂れ式に引きずって歩く人、烏賊の漏斗のごとき突起を八方に突き出してせわしなく呼吸しながらも行き苦しげな人、複数の顔の集合がざぬざぬと位置を変えながら五体を保っている人」(p.41)。
 現象には妙な理屈がついているが、宮原にも読者にも何のことやら全く判らない。「表相で何かを見て想起した過程が、こちらの相で視覚投影されたのでしょう。咬融域でノージェンス擦過が起きているときには、内面と同期しやすいですしね」(p.35)。どうやら宮原の姉が務めている研究所では、これらの現象研究しているらしかった。
 この後、宮原は異界の街の御神体にされてしまった姉を救い出すため、ある「踊り」の特訓を始める。全体にユーモラスな語り口なのだが、ただヘンテコな街をさまよう話ではなく、無理矢理エンターテインメント的な筋立てにしてあるところもなんだがおかしい。