サムイル・マルシャーク著『森は生きている』 ― 2022年11月06日 22:03
2022年 9月17日読了。
児童劇の戯曲。ある国の女王が、大晦日に春の花であるマツユキソウが欲しいと言い出し、見つけて届けたものには賞金を出すというお触れが出た。森の中に住む少女は、継母の言いつけで雪深い森の中へマツユキソウを探しに行く。少女が出会ったのは十二の月の精。
単純な勧善懲悪の筋立てで、特別魅力的な人物も出て来ないが、理不尽な場面や残酷な場面でも、台詞回しなどにどことはないユーモアがあって退屈しない。
幼くして両親つまり前の国王と妃を失った女王が、人にものを頼むことができないと戸惑うところが面白い。
「でも、なんてあの子にたのんだらいいの。あたしはまだ一度も、人にものをたのんだことがないわ」(p.220)。
「それに、わたくしは、ものをたのむことができません。わたくしはおそわりませんでしたもの。わたくしは命令することだけできるの。だって、わたくしは----女王よ」(p.221)。
児童劇の戯曲。ある国の女王が、大晦日に春の花であるマツユキソウが欲しいと言い出し、見つけて届けたものには賞金を出すというお触れが出た。森の中に住む少女は、継母の言いつけで雪深い森の中へマツユキソウを探しに行く。少女が出会ったのは十二の月の精。
単純な勧善懲悪の筋立てで、特別魅力的な人物も出て来ないが、理不尽な場面や残酷な場面でも、台詞回しなどにどことはないユーモアがあって退屈しない。
幼くして両親つまり前の国王と妃を失った女王が、人にものを頼むことができないと戸惑うところが面白い。
「でも、なんてあの子にたのんだらいいの。あたしはまだ一度も、人にものをたのんだことがないわ」(p.220)。
「それに、わたくしは、ものをたのむことができません。わたくしはおそわりませんでしたもの。わたくしは命令することだけできるの。だって、わたくしは----女王よ」(p.221)。
養老孟司著『子どもが心配 人として大事な三つの力』 ― 2022年11月07日 22:51
2022年 9月18日読了。
対談集。相手は、困っている子どもの支援を続けている宮口幸治、小児科医の高橋孝雄、子供の脳の研究者の小泉英明、自由学園の高橋和也の四人。
まえがきによると、サブタイトルの「三つの力」というのは、「認知機能」「共感する力」「自分の頭で考える人になる」。
「大人にできることは、その環境を用意することであろう。とはいえ、モノが十分にあればいい、ということではない。オリーヴの若木に十分な肥料を与えすぎると、樹齢数百年という老木にはならないという。思えば当然で、わずかな栄養を必死で摂ろうとするからこそ、根が広く伸びる」(p.5)。
宮口「もっと言えば、褒めることで効果があるのは、「自分の尊敬できる好きな先生」からのものです。(略)その意味では、先生たちは「子どもを褒める」よりも先に、「子どもに尊敬される」「子どもに好かれる」先生になるように努めるべきでしょう」(p.35)。
好かれる先生になる方法。宮口「何も特別なことではなく、名前を覚えて、顔を合わせたらまず「○○さん」と呼びかける。挨拶をされたら、挨拶を返す。子どもにとって最近何か特別なことがあったら、そのことをしっかり覚えている。そうした基本的なことの積み重ねで、教師と子どもの間に好ましい関係がつくられるのだと思います」(p.36)。
養老「後、子どもだからと言って軽視せず、まともに相手をすることも大事でしょう。無理して褒めてもしょうがない。それよりも本気になってつき合う。大人がきちんと向き合えば、褒めなくたって子どもは喜ぶし、いい反応を見せると思いますね」(p.36)。
宮口「いまは「みんな違ってみんないい」とよく言われますが、子どもの多くは「みんなと同じがいい」と思っています。「みんなと同じじゃなくてもいいんだよ。自分のやりたいことをやろうよ」なんていうのは、大人の勝手な理論でしかないのです」(p.52)。
医療少年院で指導していた宮口は、なかなかうまくいかず、ある時投げやりになって、文句ばかり言う子どもに「では替わりにやってくれ」と教壇に立たせた。「何かを期待していたわけではありません。教える人間の苦労を体験させようと思っただけです。ところが驚いたことに、少年たちが次々と「自分にやらせて」「自分が教える」と先を争うように教壇に出てきたのです。/そうして教え合うことで、競争意識が芽生えたのでしょうか。みんながぜんやる気を出して、真剣に、生き生きとトレーニングに参加するようになりました」(p.54)。
宮口「このことがあって以来、何かあったら「教える」のではなく「とにかくさせてみる」ことをモットーにしています」(p.54)。
養老「私も少子化で問題なのは、人口が減ることではないと考えています。なぜ現在の日本人は子どもが欲しいと思えないのか。さらに言えば、子どもが可愛いという感覚が失われつつあるのか。これこそが根本的な問題でしょう」(p.68)。
養老「現代人は「成熟した人間の姿」がわからなくなっているような気がします。子育ての目標を進学や就職とリンクさせすぎるために、本来目標とするべき「成熟した人間像」を思い描けないのかもしれません」(p.88)。
高橋孝雄「結局のところ、子どもに後悔してほしくないからではなく、親自身が後悔したくないだけなのでしょう。私はそれを「後悔したくない症候群」と呼んでいます」(p.93)。養
老「昨今はますます、子どもの時代が「大人になるための準備期間」のように捉えられていますね。そうして「幸せの先送り」が進んでいく。すると子どもたちは、自分がいつ幸せを享受できるのか、一向に実感できない。/若い世代の自殺が多いのは、幸せな瞬間が未来に回されるばかりで、「いま」を体感できていないからだと思います。子どもの時代に幸福を味わっていれば、そう簡単に自殺に走らないのではないでしょうか。/別の言い方をすると、子ども時代が独立した人生ではなくなっている。人生の一部としか見られていないのです。子どもの時代がハッピーであれば、人生の一部がハッピーになる。その幸せが先送りされるから、「いつになったら、自分は自分の人生を生きることができるのか」という迷いが生じてしまうわけです」(p.94)。
対談集。相手は、困っている子どもの支援を続けている宮口幸治、小児科医の高橋孝雄、子供の脳の研究者の小泉英明、自由学園の高橋和也の四人。
まえがきによると、サブタイトルの「三つの力」というのは、「認知機能」「共感する力」「自分の頭で考える人になる」。
「大人にできることは、その環境を用意することであろう。とはいえ、モノが十分にあればいい、ということではない。オリーヴの若木に十分な肥料を与えすぎると、樹齢数百年という老木にはならないという。思えば当然で、わずかな栄養を必死で摂ろうとするからこそ、根が広く伸びる」(p.5)。
宮口「もっと言えば、褒めることで効果があるのは、「自分の尊敬できる好きな先生」からのものです。(略)その意味では、先生たちは「子どもを褒める」よりも先に、「子どもに尊敬される」「子どもに好かれる」先生になるように努めるべきでしょう」(p.35)。
好かれる先生になる方法。宮口「何も特別なことではなく、名前を覚えて、顔を合わせたらまず「○○さん」と呼びかける。挨拶をされたら、挨拶を返す。子どもにとって最近何か特別なことがあったら、そのことをしっかり覚えている。そうした基本的なことの積み重ねで、教師と子どもの間に好ましい関係がつくられるのだと思います」(p.36)。
養老「後、子どもだからと言って軽視せず、まともに相手をすることも大事でしょう。無理して褒めてもしょうがない。それよりも本気になってつき合う。大人がきちんと向き合えば、褒めなくたって子どもは喜ぶし、いい反応を見せると思いますね」(p.36)。
宮口「いまは「みんな違ってみんないい」とよく言われますが、子どもの多くは「みんなと同じがいい」と思っています。「みんなと同じじゃなくてもいいんだよ。自分のやりたいことをやろうよ」なんていうのは、大人の勝手な理論でしかないのです」(p.52)。
医療少年院で指導していた宮口は、なかなかうまくいかず、ある時投げやりになって、文句ばかり言う子どもに「では替わりにやってくれ」と教壇に立たせた。「何かを期待していたわけではありません。教える人間の苦労を体験させようと思っただけです。ところが驚いたことに、少年たちが次々と「自分にやらせて」「自分が教える」と先を争うように教壇に出てきたのです。/そうして教え合うことで、競争意識が芽生えたのでしょうか。みんながぜんやる気を出して、真剣に、生き生きとトレーニングに参加するようになりました」(p.54)。
宮口「このことがあって以来、何かあったら「教える」のではなく「とにかくさせてみる」ことをモットーにしています」(p.54)。
養老「私も少子化で問題なのは、人口が減ることではないと考えています。なぜ現在の日本人は子どもが欲しいと思えないのか。さらに言えば、子どもが可愛いという感覚が失われつつあるのか。これこそが根本的な問題でしょう」(p.68)。
養老「現代人は「成熟した人間の姿」がわからなくなっているような気がします。子育ての目標を進学や就職とリンクさせすぎるために、本来目標とするべき「成熟した人間像」を思い描けないのかもしれません」(p.88)。
高橋孝雄「結局のところ、子どもに後悔してほしくないからではなく、親自身が後悔したくないだけなのでしょう。私はそれを「後悔したくない症候群」と呼んでいます」(p.93)。養
老「昨今はますます、子どもの時代が「大人になるための準備期間」のように捉えられていますね。そうして「幸せの先送り」が進んでいく。すると子どもたちは、自分がいつ幸せを享受できるのか、一向に実感できない。/若い世代の自殺が多いのは、幸せな瞬間が未来に回されるばかりで、「いま」を体感できていないからだと思います。子どもの時代に幸福を味わっていれば、そう簡単に自殺に走らないのではないでしょうか。/別の言い方をすると、子ども時代が独立した人生ではなくなっている。人生の一部としか見られていないのです。子どもの時代がハッピーであれば、人生の一部がハッピーになる。その幸せが先送りされるから、「いつになったら、自分は自分の人生を生きることができるのか」という迷いが生じてしまうわけです」(p.94)。
ホフマン著『クルミわりとネズミの王さま』 ― 2022年11月08日 21:57
2022年 9月18日読了。
クリスマス・イヴの晩、マリーはプレゼントにもらったクルミわり人形とネズミの闘いを目撃する。信じてくれない大人たちのなかでただ一人、変わり者のおじが事の真相を話してくれる。クルミわりは、ネズミの呪いで人形に変えられた少年だったのだ。
マリーの手助けによってネズミの王を倒したクルミわりは、お礼にマリーを人形の国へと招待する。人形の国は、カラフルなお菓子やジュースで満たされた、子どもにとっての理想郷である。
この場面で俺は、なんとなく荒巻義雄の『白き日旅立てば不死』や『聖シュテファン寺院の鐘の音は』を思い出した。現実と幻想の境界の曖昧さが似ていると感じたようだ。荒巻がヒエロニムス・ボスが好きなのは知られているが、人形の国の原色のカラフルさもボスの「楽園」を連想させる。もちろん、ボスのエロチックさはないが。
変わり者のドロッセルマイヤーおじさんや、おじさんの話の中に出てくるひどく軽率な王さまは、善悪が明確ではなく、トリックスター的で、童話らしくないところが良い。
クリスマス・イヴの晩、マリーはプレゼントにもらったクルミわり人形とネズミの闘いを目撃する。信じてくれない大人たちのなかでただ一人、変わり者のおじが事の真相を話してくれる。クルミわりは、ネズミの呪いで人形に変えられた少年だったのだ。
マリーの手助けによってネズミの王を倒したクルミわりは、お礼にマリーを人形の国へと招待する。人形の国は、カラフルなお菓子やジュースで満たされた、子どもにとっての理想郷である。
この場面で俺は、なんとなく荒巻義雄の『白き日旅立てば不死』や『聖シュテファン寺院の鐘の音は』を思い出した。現実と幻想の境界の曖昧さが似ていると感じたようだ。荒巻がヒエロニムス・ボスが好きなのは知られているが、人形の国の原色のカラフルさもボスの「楽園」を連想させる。もちろん、ボスのエロチックさはないが。
変わり者のドロッセルマイヤーおじさんや、おじさんの話の中に出てくるひどく軽率な王さまは、善悪が明確ではなく、トリックスター的で、童話らしくないところが良い。
バラージュ著『ほんとうの空色』 ― 2022年11月09日 22:05
2022年 9月19日読了。
貧しい少年のフェルコーが野原の花の汁で作った絵の具で空色を塗ると、その空は曇ったり晴れたり、日が昇ったり沈んだり、夜になれば月や星が輝く。画用紙の上ばかりか、箱の蓋やシルクハットの内側に空を描くと、次々に奇妙な出来事が起こる。描かれた太陽の光をレンズで集めると火を起こすことができ、シルクハットの内側に雨が降ったりする。大きな箱の内側に描かれた空を見た人は、水たまりに空が映っていると勘違いして飛び越えていく。フェルコーが川の上に浮かべた箱の蓋の上に載っていると、水の上に立っていると勘違いした人々は、聖者さまとあがめた。やがて絵具はなくなり、塗られた色も褪せていく。
フェルコーは特別に幸福になることも不幸になることもなく、日常の中に帰っていく。貧しいせいかフェルコーは消極的で特別に良いことも悪いこともしない。事件は巻き込まれる形で起こる。童話に典型的な意地悪な少年は出てくるが、彼が懲らしめられるという勧善懲悪の話でもなく、教訓らしいものは何もない。そこが良い。
貧しい少年のフェルコーが野原の花の汁で作った絵の具で空色を塗ると、その空は曇ったり晴れたり、日が昇ったり沈んだり、夜になれば月や星が輝く。画用紙の上ばかりか、箱の蓋やシルクハットの内側に空を描くと、次々に奇妙な出来事が起こる。描かれた太陽の光をレンズで集めると火を起こすことができ、シルクハットの内側に雨が降ったりする。大きな箱の内側に描かれた空を見た人は、水たまりに空が映っていると勘違いして飛び越えていく。フェルコーが川の上に浮かべた箱の蓋の上に載っていると、水の上に立っていると勘違いした人々は、聖者さまとあがめた。やがて絵具はなくなり、塗られた色も褪せていく。
フェルコーは特別に幸福になることも不幸になることもなく、日常の中に帰っていく。貧しいせいかフェルコーは消極的で特別に良いことも悪いこともしない。事件は巻き込まれる形で起こる。童話に典型的な意地悪な少年は出てくるが、彼が懲らしめられるという勧善懲悪の話でもなく、教訓らしいものは何もない。そこが良い。
コッローディ著『ピノッキオの冒険』 ― 2022年11月10日 22:27
2022年 9月19日読了。
有名な話なのであらすじは書かない。ピノッキオは、ものいうコオロギや仙女から多くの忠告を受けるが、意志が弱く堪え性がなく、いつも目の前の誘惑に負けて、最後には酷い目に遭う。性懲りもなくそれを何度も繰り返す。身につまされる。ジェペット爺さんがシャツを売ってピノキオのために教科書を買う美談を、見世物が見たいピノッキオがすぐに売ってしまって台無しにするところなど、ひどいなあ、と思いながらも笑う。ピノッキオを網で捕まえた漁師に「僕は魚ではなく操り人形です」と説明すると、漁師が「操り人形という魚は食べたことがない」というギャグなども良い。ピノッキオが最後に良い子になってしまうところは大いに不満である。
有名な話なのであらすじは書かない。ピノッキオは、ものいうコオロギや仙女から多くの忠告を受けるが、意志が弱く堪え性がなく、いつも目の前の誘惑に負けて、最後には酷い目に遭う。性懲りもなくそれを何度も繰り返す。身につまされる。ジェペット爺さんがシャツを売ってピノキオのために教科書を買う美談を、見世物が見たいピノッキオがすぐに売ってしまって台無しにするところなど、ひどいなあ、と思いながらも笑う。ピノッキオを網で捕まえた漁師に「僕は魚ではなく操り人形です」と説明すると、漁師が「操り人形という魚は食べたことがない」というギャグなども良い。ピノッキオが最後に良い子になってしまうところは大いに不満である。
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