草上仁著『キスギショウジ氏の生活と意見』2022年07月01日 21:53

2021年 6月21日読了。
 短編集。いつもながら巧い。俺が一番好きなのは「文通」かな。会ったこともない相手と交互に「死ななない程度に危険なもの」を考えて送り合う老人。ミランダ・ジュライの『最初の悪い男』がそうなのだが、明確な合意はなく、曖昧なルールの中で、手探りしながら進めるゲーム、というのは奇妙に惹かれる。
 「われらの農場を守れ」は、未来の宇宙が舞台で、青年が祖父の農場を初めて訪れる話。そこはまるで戦場だった。青年は異常に危険な農業を手伝う羽目になる。コメディだが、不思議とさわやかな読後感である。

メアリ・ロビネット・コワル著『宇宙へ』上下2022年07月02日 22:20

2021年 6月23日読了。
 長編。歴史改変SF。一九五二年、ワシントンD.C.近海に落下した巨大隕石により、アメリカ東海岸は壊滅、蒸発した水蒸気による温暖化で、将来地球には住めないことが明らかになる。まだ人工衛星もなかった時代、人類の生き残りをかけた宇宙開発が始まる。
 電子計算機はパンチカード式というアポロ以前の技術水準で宇宙開発を試みるという設定だが、スチームパンク的な奇妙な技術などは登場せず、地道な技術の積み重ねという正攻法。地味だが、その潔さが快い。
 技術的な問題以上に全面に押し出されているのは、当時の女性や有色人種に対する差別である。主人公は白人だが女性で、有能だが偏見によって宇宙飛行士への道を妨害される。
 主要な登場人物に悪人がいない。主人公に対立する人物ですら本質的には善良である。『火星の人』もそうだったが、状況自体が大きな葛藤を生んでいるので、人間同士の対立関係は必要ないのであろう。さわやかな読後感である。

シェルドン・テイルバウム&エマヌエル・ロテム編『シオンズ・フィクション イスラエルSF傑作選』2022年07月03日 22:07

2021年 6月27日読了。
 イスラエルSFのアンソロジー。「訳者(代表)あとがき」で仲村融が絶賛しているが、俺はそれほどとは思わなかった。水準は超えている、という感じ。多くの作品でイスラエルが舞台になっているほかには、独特の特徴も感じなかった。意外にも、直接的にホロコーストや中東情勢を扱った作品もない。強いて言えば、全体に閉塞的な話が多い。それとて、閉塞的なSFはほかの国にも多い。巻末の「イスラエルSFの歴史について」によると、終末やディストピアを扱った作品が多いのがイスラエルSFの特徴らしい。そこにイスラエルという国の矛盾が影を落としているのか。

立原透耶編『時のきざはし 現代中華SF傑作選』2022年07月04日 21:59

2021年 7月 1日読了。
 台湾作家の一編を含む中国SFアンソロジー。全体に、文学としてもSFとしても成熟度がやや低い印象はあるが、それだけに若々しい活力も感じられる。イスラエルSFの熟れた行き詰まり感とは好対照である。内容は多彩で、特に中国らしさは感じないが、冒険活劇的な形式が見当たらないのが特徴か。以下気に入った作品に感想を書く。
 文学的作品も多い中で、昼温「沈黙の音節」は完全なエンターテインメント。呪文による殺人という古代の魔術に科学的な根拠を与えるという、SFとしても古典的な形式。
 梁清散「済南の大凧」は、清朝末期に人力飛行機の研究開発を行っていた技術者の物語。地味な内容だが、何やら清潔感があって爽やかな読後感を残す。
 韓松「地下鉄の驚くべき変容」は、主人公の乗り込んだ満員の地下鉄が駅のないトンネルに張り込み、永遠に暗闇の中を走り続けるという不条理小説。終には人間たちは地下鉄の中で奇妙な進化を始める。
 飛氘「ものがたるロボット」は、物語好きの王様が、科学者たちに物語を作るロボットを開発させる。ロボットは王様のために究極の物語を作ろうとするが。メタフィクション。
 靚霊「落言」は、異星の知性体と少女の交流の物語。SFの構成としては古典的だが、「空から降ってくる石の物語を生涯の間聞き続ける種族」という着想が面白い。

養老孟司・中川恵一著『養老先生、病院へ行く』2022年07月05日 22:04

2021年 7月 2日読了。
 養老孟司が心筋梗塞で東大病院に入院した話題と、彼の愛猫のまるの死について、エッセイとヤマザキマリを加えた鼎談。病院を嫌っていた養老の意識がこの入院で変わったのではないか、と中川が繰り返し疑うのが興味深い。本書を読んだ限りでは、養老の意識はそれほど変わっていない。なんとなく中川に「変わってほしい」という無意識の願望がある感じがする。
 「統計というのは、個々の症例の差異を平均化して、数字として取り出せるところだけに着目してデータ化します。逆にいえば、統計においては、差異は『ないもの』として無視しなければなりません」(p.30)。
 「本来、医療は身体を持った人間をケアし、キュア(治療)する営みです。それなのに、患者の身体がノイズだというのは、おかしなことです」(p.31)。
 「地球規模では人口が増えるのは止まらないですよ。限界がくるまではね。先進国は限界にきているから、減り始めているけど、発展途上国はこれからも増えていくでしょうね」(p.158)。
 「日本は何に対しても自己肯定感が低いですからね。それに地方は経済的にも負けてしまったから、劣等感に輪をかけちゃったんですね」(p.162)。
 ヤマザキマリ「想像力が鍛えられていないのと、思考への怠惰が、今の世の中のさまざまな問題の要因だと私は思います」(p.178)。