奥泉光著『雪の階』2021年06月01日 23:07

18年11月 1日読了。
 形式としては推理小説だが、事件の謎解きの部分は、俺がミステリーファンでない事を勘案しても、あんまり面白くない。タイトルと時代設定から、二二六がらみで展開するのだろうという予測も読み始めてすぐに付く。が、本書の面白さはそういう処に在るのではない。
 興味を惹かれるのは、主人公惟佐子の見る予知夢や、惟佐子の伯父白雉博允の一種の超人思想など、神秘的な部分だ。
 そして、本書最大の魅力は、惟佐子のエキセントリックな人格設定である。世俗の事に興味がない、上流階級の娘だが、知性が高く囲碁と数学が趣味という、浮き世離れした性格。人の心が判らないという訳ではないが、判った上で突き放した言動を取ったりする。つまり、他人に対して冷淡。興味の在り所が人並みではなく、その事に自覚的。セックスは好きだが恋愛には興味がなく、自分の結婚も些事と思っている。
 神秘的な展開から、著者得意のロンギヌス物質物に成っていくのかと思いきや……。兄妹の霊能力対決にしても良かったような気もする。

奥泉光著『夏目漱石、読んじゃえば?』2021年06月02日 22:31

18年11月 2日読了。
 河出書房新社の「14歳の世渡り術」というシリーズの一冊で、漱石の読書案内。つまり読み方を導く本なのだが、「読み方に正解はない」と繰り返し書かれていて、案内であると同時に「惑わせる」本である。「小説は全部読まなくてもいい」「小説はアートである」「脇役に注目する」「イメージと戯れよう」など、学校の国語ではあんまり教えないことを教えている。『こころ』は傑作ではない、と言われて、やっぱりと思う。
 「小説は人生の役に立つか。それはわかりません。けれども、人生は小説を面白く読むのに役に立つ」(カバー袖)。
 「小説の面白さはそのとき、そのときの自分が作り出すもの」(p.22)
 「(脇役に注目すると)全く違った世界が出現する可能性がある」(p.107)。
 「小説には正しい読み方とか間違った読み方は存在しない」(p.163)。
 「面白い読み方とつまらない読み方、豊かな読み方と貧しい読み方という軸はある」(p.163)。
 「なるべく多くのイメージの素を見つけて、それを脳内で増幅させ、世界を構築していくというのは、大変高度で贅沢な小説の読み方」(p.209)。
 「原理的に言えば、どんな小説も終われない」(p.215)。

奥泉光責任編集『増補新版 夏目漱石 百年目に逢いましょう』2021年06月03日 23:30

18年11月 6日読了。
 漱石に関するエッセイ、対談、漫画、蘊蓄など。
 高橋源一郎「でも漱石は(鴎外とは)逆で、わからないということを大事にしていた。というよりも、自分のなかにわからないものがある、それこそ小説が書くべきことだと気がついたんだと思う」(p.9)。
 斎藤美奈子「江藤淳も平岡(敏夫)さんも、敗者の文学論を言う人はだいたい皆大学人なの。彼らにしてみると、赤シャツが残って出世していくのが勝ち組であり、学校を首になって東京に舞い戻ってくるのが負け組のように見えるかもしれないけど、坊ちゃんは東京で楽しそうに暮らしている」(p.11)。

養老孟司著『半分生きて、半分死んでいる』2021年06月04日 22:35

18年11月 7日読了。
 「もともとヒトは地球の生態系の一部である。お腹のなかには100兆の細菌が棲んでいる。地球の生態系からヒトだけ千切れて飛んで行っても意味がない。宇宙を考えるなら、自分を地球の一部分と見なくてはいけない。その意味では環境なんてない。自分と環境の間に切れ目はないからである」(p.21)。
 「日本の大学で教えないものがある。それは考える方法である」(p.25)。
 「自然を感性で捉えれば風流になり、理性で捉えれば学問になる」(p.44)。「自然物を認識するというと、『それで何がわかりますか』と認識の内容を訊く人がある。認識は内容ではない。行為である。もっというなら、生き方である。世界をどう見るか、それで生き方が違ってくる。これを哲学と呼ぶ人もある」(p.44)。
 「ここで古くからの問題が浮上する。手段と目的というあれ。コンピュータはヒトの手段だったはずだが、どうもだんだん目的化してきたらしい」(p.49)。
 「いまの人は統計を持ち出すと黙るけれども、私は統計を信じていない。統計には統計の論理があって、それはべつに万事を説明するものではない。(略)さらに統計を使いこなすのは、じつは容易なことではない。わかりやすいというので、すぐにグラフにするが、わかりやすいというのは、自分の頭に入りやすいということで、じゃあ世界は自分の頭に入るようにできているかと反省したら、そんなはずはない、とわかるはずである」(p.90)。
 「世界を数字で測ればわかりやすい。だからといって、世界自体がわかりやすくなったわけではない」(p.96)。
 「私はISをアラブの古い社会システムと、多国籍企業に代表される新しいシステムの相克だと考えている。欧州の古いシステムにも新しいシステムにも参加できなかった若者がISに参加して、テロリスト候補になる」(p.122)。
 「人は何かを『片付けたい』と思うのだが、たぶんそれは死ぬまで片付かない。それが歴史であり、生きているということなのであろう」(p.155)。
 「しかしそもそも理性的に神秘体験を説明することはできないはずである。なぜなら神秘体験だからである。説明できるなら神秘ではない」(p.197)。
 保育園の待機児童問題について「切って捨てられているもの、それは何か。子ども自身の、子どもとしての人生であろう。結局は万事、親の都合だからである。子どもに投票権はない。子どもは大人になることを前提として扱われている。そういう存在でしかない。世間から子ども自体としての価値が消えた。そういってもいい。だからそれを補っているのがペットである」(p.214)。
 「人間の性質の多くをノイズと見なし、そうでない部分を情報として処理する。そういう世界に、現実の人間としての未来はない」(p.218)。

ミランダ・ジュライ著『最初の悪い男』2021年06月05日 23:27

18年11月 8日読了。
 ミランダ・ジュライの作品らしく奇妙な人が大勢登場する。と言うより、変な人しか出て来ない。普通は、変な人の変さを際立たせるために、周辺には普通の人を配置する物である。『粗忽長屋』みたいに。例がおかしいか。アメリカにはもう普通の人は居ないのかも知れない。
 四十三歳の子供と、二十歳の子供が大人に成っていく話である。最後は母にまでなる。そういう意味では一種の教養小説だが、一番面白いのは二人の関係である。暴力を伴う、ある種のゲーム(と言うかスポーツと言うか演技と言うか)が始まるのだが、相互にルールを確認し合う事はなく、手探りで型が決まっていく感じが何とも奇妙である。歪んだコミュニケーションの話。