岸本佐知子編訳『楽しい夜』 ― 2020年08月06日 21:17
16年 8月22日読了。
岸本佐知子編のアンソロジーには外れがない。シュール、奇妙な味系の作品が中心。体の中で蟻を飼うアリッサ・ナッティング「アリの巣」、居なく成った子供を探す内に家族の存在その物が怪しくなるブレッド・ロット「家族」が特に面白かった。
岸本佐知子編のアンソロジーには外れがない。シュール、奇妙な味系の作品が中心。体の中で蟻を飼うアリッサ・ナッティング「アリの巣」、居なく成った子供を探す内に家族の存在その物が怪しくなるブレッド・ロット「家族」が特に面白かった。
サーバン著『人形つくり』 ― 2020年08月07日 23:03
16年 8月24日読了。
中編二編収録。カバー袖などに「徹底した被支配関係から生じる魅惑と恐怖が織りなす荒々しいマゾヒズム的快感」などとあるから、よっぽど倒錯的な内容(ヤプーみたいな)かと思ったらそうでもなく、寧ろ仄かな倒錯感がじわじわ来る感じ。どちらも、健全な少女が悪魔的な少年や青年の魅力に搦め取られ支配下から逃れられなく成って行く話。
中編二編収録。カバー袖などに「徹底した被支配関係から生じる魅惑と恐怖が織りなす荒々しいマゾヒズム的快感」などとあるから、よっぽど倒錯的な内容(ヤプーみたいな)かと思ったらそうでもなく、寧ろ仄かな倒錯感がじわじわ来る感じ。どちらも、健全な少女が悪魔的な少年や青年の魅力に搦め取られ支配下から逃れられなく成って行く話。
L・P・デイヴィス『虚構の男』 ― 2020年08月08日 20:45
16年 8月25日読了。
一九六六年の英国、小さな村で主人公は五十年後の未来を舞台にした小説の構想を練っていた。しかし、一人の女性と出会った事から主人公の自己同一性は揺らいでゆく。
なかなか面白かった。訳文も読み易く、あっという間に読み終えてしまった。主人公を騙すために、架空の村を丸ごと一つでっち上げるという設定が良い。『カプリコンワン』という映画があったが、こういう大規模なペテンの話は好きだ。山田正紀も好きそうな話である。
一九六六年の英国、小さな村で主人公は五十年後の未来を舞台にした小説の構想を練っていた。しかし、一人の女性と出会った事から主人公の自己同一性は揺らいでゆく。
なかなか面白かった。訳文も読み易く、あっという間に読み終えてしまった。主人公を騙すために、架空の村を丸ごと一つでっち上げるという設定が良い。『カプリコンワン』という映画があったが、こういう大規模なペテンの話は好きだ。山田正紀も好きそうな話である。
『養老孟司の〈逆さメガネ〉』 ― 2020年08月09日 21:51
16年 8月29日読了。
養老教育論。この書名では教育論とは判らない。
「むずかしくいうなら、同じという概念は、自己同一性に由来するのです。同じという概念の起源を探して、外の世界をいくら調べても、同じものは出てきませんな。同一性、それが意識の特徴なんです。いいかえれば、意識とは自己同一性そのものだということになります」(p.134)。
「水素原子だって一種類じゃない、重水素もあれば三重水素まであることがわかりました。そうすると、やっぱり原子だっておたがいに違うじゃないか、ということになります。だから基本粒子だったはずの原子は、より基本粒子である素粒子の集まりということになりました。素粒子はそれぞれ『同じ』だといいたいわけです。もう信用しませんな、私は。どうせ今度は、素粒子がまたクォークの集まりになるわけです。物理学は外部の世界を記述するわけです。それなら最後はやっぱり『違う』という話になるに決まってます」(p.137)。
養老教育論。この書名では教育論とは判らない。
「むずかしくいうなら、同じという概念は、自己同一性に由来するのです。同じという概念の起源を探して、外の世界をいくら調べても、同じものは出てきませんな。同一性、それが意識の特徴なんです。いいかえれば、意識とは自己同一性そのものだということになります」(p.134)。
「水素原子だって一種類じゃない、重水素もあれば三重水素まであることがわかりました。そうすると、やっぱり原子だっておたがいに違うじゃないか、ということになります。だから基本粒子だったはずの原子は、より基本粒子である素粒子の集まりということになりました。素粒子はそれぞれ『同じ』だといいたいわけです。もう信用しませんな、私は。どうせ今度は、素粒子がまたクォークの集まりになるわけです。物理学は外部の世界を記述するわけです。それなら最後はやっぱり『違う』という話になるに決まってます」(p.137)。
『新編・日本幻想文学集成1』 ― 2020年08月10日 21:42
16年 8月31日読了。
収録作家は、安部公房、倉橋由美子、中井英夫、日影丈吉の四人。
安部の「デンドロカカリヤ」は、短編集などに収録されている物の原型になった「雑誌『表現』版」。顔が裏返しに成る、つまり内と外が逆転すると人は植物に成る。
顔をフィルターに喩える比喩が面白い。顔は何かを漉し取る機能があって、人によって漉し取られる物は違う。そして、外の物は内に入ってくるが、内の物は外に出て行かない。しかし、顔が裏返しになると、「意識」がどんどん外へ零れ落ちてしまう。そうすると人は植物に成る。面白いが、感覚的には殆ど共感できない。人間は意識的だが、植物は無意識的という事であろうか。
今回再確認したのは、昆虫への執着など安部の理系的な思考・志向と、砂漠のイメージである。そして存在への疑い。安部は多くのSF作品も残しているが、科学と思弁の結合という志向を進めていけば、一つの帰結として当然であろう。
倉橋由美子はある時期集中して読んだ筈だが、余り強い印象が残っていないのはなぜであろう。それほど相性が悪いとも感じないのだが。軽いというのではなく、俺には「引っ掛かりの弱い」作家のようだ。フェミニズムなど、世代的要因もあるかも知れない。今回の収録作では、「囚人」と「隊商宿」の神話パロディが面白かった。
中井と日影は、安部倉橋に比べると、やはり構成や落ちの着け方などがエンターテインメント的である。中井「銃器店へ」が面白かった。どうも最近、時空跳躍的な因果の混乱するイメージが面白い。
日影は他の収録作家と比べるとやや軽い印象。「山姫」の残虐な精霊という土俗的幻想が良い。また、エッセイ「硝子の章」に於ける、万華鏡、影絵、幻燈といった仕掛けへの、一種エキゾチシズムに似た憧れや幻想も胸に迫る。
収録作家は、安部公房、倉橋由美子、中井英夫、日影丈吉の四人。
安部の「デンドロカカリヤ」は、短編集などに収録されている物の原型になった「雑誌『表現』版」。顔が裏返しに成る、つまり内と外が逆転すると人は植物に成る。
顔をフィルターに喩える比喩が面白い。顔は何かを漉し取る機能があって、人によって漉し取られる物は違う。そして、外の物は内に入ってくるが、内の物は外に出て行かない。しかし、顔が裏返しになると、「意識」がどんどん外へ零れ落ちてしまう。そうすると人は植物に成る。面白いが、感覚的には殆ど共感できない。人間は意識的だが、植物は無意識的という事であろうか。
今回再確認したのは、昆虫への執着など安部の理系的な思考・志向と、砂漠のイメージである。そして存在への疑い。安部は多くのSF作品も残しているが、科学と思弁の結合という志向を進めていけば、一つの帰結として当然であろう。
倉橋由美子はある時期集中して読んだ筈だが、余り強い印象が残っていないのはなぜであろう。それほど相性が悪いとも感じないのだが。軽いというのではなく、俺には「引っ掛かりの弱い」作家のようだ。フェミニズムなど、世代的要因もあるかも知れない。今回の収録作では、「囚人」と「隊商宿」の神話パロディが面白かった。
中井と日影は、安部倉橋に比べると、やはり構成や落ちの着け方などがエンターテインメント的である。中井「銃器店へ」が面白かった。どうも最近、時空跳躍的な因果の混乱するイメージが面白い。
日影は他の収録作家と比べるとやや軽い印象。「山姫」の残虐な精霊という土俗的幻想が良い。また、エッセイ「硝子の章」に於ける、万華鏡、影絵、幻燈といった仕掛けへの、一種エキゾチシズムに似た憧れや幻想も胸に迫る。
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