養老孟司対談集『話せばわかる!』 ― 2020年08月11日 21:42
16年 9月 1日読了。
対談集。
米原万里「それが、同時通訳者と翻訳者の決定的な違いなのです。翻訳者は情報が目から入ってくる。目はとても欲張りで、見たものすべてをとらえようとする。全部訳そうとする。無関係な情報がずらりと並んでいても、目なら羅列でも許されるわけです。一方、耳はわからないことは聞こえないようになっている。聞こえているのかも知れないけれど、意識に達するときには淘汰されているから、わかる情報だけが通訳者の耳に入って訳されていく。訳した言葉は自ずと論理的になるのです」(p.140)。
養老「それが顕著なのは、生まれつき目が見えない子どもと、生まれつき耳が聞こえない子どもの両者を比べてみた場合です。目は見えるけれども耳が聞こえない子どもが一番理解しにくいのは、論理と疑問文なのです。耳は論理で、論理は一つひとつわかりやすく説いていく必要がある。時間性がある。目は同時並列的で時間性がない。それははっきりした違いです」(p.141)。
「だから皆さん、テニスでもピアノでも、そのときだけが練習だと思っているのですが、実は違うんですよ。昼間、長時間練習すると、脳は寝てもずっとやっている。実際に体を動かさないで頭だけ動いていると、それは大脳の活動から小脳へ移り、小脳に完全に移ると自動運動に代わる」(p.162)。
「口承の世界というのは、逆におもしろい特徴もあって、口承の世界の人は思考の具体性が高い。そして、場面転換が苦手なんです。なぜなら耳はずっと一直線ですから、途中でやめろといっても乗りかかった船みたいなもので、目のように同時並列でパッパッと転換できにくい。要するに、現代生活では鈍いと言われることになる。だから一つのことを論理的に長く追いかけるようなときは、口承的な世界の人の方が向いているんじゃないかと思う」(p.165)。
対談集。
米原万里「それが、同時通訳者と翻訳者の決定的な違いなのです。翻訳者は情報が目から入ってくる。目はとても欲張りで、見たものすべてをとらえようとする。全部訳そうとする。無関係な情報がずらりと並んでいても、目なら羅列でも許されるわけです。一方、耳はわからないことは聞こえないようになっている。聞こえているのかも知れないけれど、意識に達するときには淘汰されているから、わかる情報だけが通訳者の耳に入って訳されていく。訳した言葉は自ずと論理的になるのです」(p.140)。
養老「それが顕著なのは、生まれつき目が見えない子どもと、生まれつき耳が聞こえない子どもの両者を比べてみた場合です。目は見えるけれども耳が聞こえない子どもが一番理解しにくいのは、論理と疑問文なのです。耳は論理で、論理は一つひとつわかりやすく説いていく必要がある。時間性がある。目は同時並列的で時間性がない。それははっきりした違いです」(p.141)。
「だから皆さん、テニスでもピアノでも、そのときだけが練習だと思っているのですが、実は違うんですよ。昼間、長時間練習すると、脳は寝てもずっとやっている。実際に体を動かさないで頭だけ動いていると、それは大脳の活動から小脳へ移り、小脳に完全に移ると自動運動に代わる」(p.162)。
「口承の世界というのは、逆におもしろい特徴もあって、口承の世界の人は思考の具体性が高い。そして、場面転換が苦手なんです。なぜなら耳はずっと一直線ですから、途中でやめろといっても乗りかかった船みたいなもので、目のように同時並列でパッパッと転換できにくい。要するに、現代生活では鈍いと言われることになる。だから一つのことを論理的に長く追いかけるようなときは、口承的な世界の人の方が向いているんじゃないかと思う」(p.165)。
映画『ソラリス』 ― 2020年08月12日 20:56
16年 9月 1日視聴。
タルコフスキーも映画化しているがこれはリメイク版。少ない予算で頑張ったなという感じ。ハリウッド的な凄い特撮は一つもない。物語の殆どは宇宙船内と、回想の地球で進む。宇宙船内は人工の重力があって無重力のシーンもない。それでも結構画面に緊張感があるのは監督の力であろう。
ただ、主題が「意識があるとはどういう事か」とか「自らの存在への疑い」といった、純文学的な物に集中していて、SFファンには物足りない。原作の醍醐味は、人間に良く似た人間でない物の恐怖とか、知性や意識に似た物があるらしい(でも確かではない)ソラリスの海とのコミュニケーション不能性とかにあるが、そちらは半ば捨て去られている。監督の問題意識なのかやはり予算の問題なのかは判らない。
タルコフスキーも映画化しているがこれはリメイク版。少ない予算で頑張ったなという感じ。ハリウッド的な凄い特撮は一つもない。物語の殆どは宇宙船内と、回想の地球で進む。宇宙船内は人工の重力があって無重力のシーンもない。それでも結構画面に緊張感があるのは監督の力であろう。
ただ、主題が「意識があるとはどういう事か」とか「自らの存在への疑い」といった、純文学的な物に集中していて、SFファンには物足りない。原作の醍醐味は、人間に良く似た人間でない物の恐怖とか、知性や意識に似た物があるらしい(でも確かではない)ソラリスの海とのコミュニケーション不能性とかにあるが、そちらは半ば捨て去られている。監督の問題意識なのかやはり予算の問題なのかは判らない。
奥泉光著『ビビビ・ビ・バップ』 ― 2020年08月13日 21:22
16年 9月 4日読了。
舞台は二十一世紀末の近未来。ジャズピアニストのフォギーは人類抹殺を目論むAIとの闘いに巻き込まれる。エリック・ドルフィーや古今亭志ん生を始めとする二十世紀の表現者文化人たちがアンドロイドや仮想人格として再現され動き回る。全体に喜劇調。登場人物達は皆とぼけていて愛らしい。
奥泉がSFを描く事に違和感はないが、仮想現実の扱いが割と安易な印象。だって奥泉ならメタフィクション方面に行きそうな気がするじゃん。勝手な思い込みだが。
『鳥類学者のファンタジア』『新・地底旅行』『「吾輩は猫である」殺人事件』に連なるロンギヌス物質物。宇宙オルガンのイメージはなかなか壮大で、繰り返しても飽きないし、今回は「0と1の二項で構成される知性と、四つ以上のN項で構成される知性の争い」という新たなアイデアが加わっている。二項知性とは勿論コンピュータに代表される機械であり、N項知性とは四つの塩基を元にする生物の事である。
抑圧的な社会に対抗する組織の存在など、重要な要素が後半になってから漸く登場したり、ロンギヌス物質の神秘性を示す挿話が少な目だったりして、エンターテインメント的な構成には疑問が残る。
舞台は二十一世紀末の近未来。ジャズピアニストのフォギーは人類抹殺を目論むAIとの闘いに巻き込まれる。エリック・ドルフィーや古今亭志ん生を始めとする二十世紀の表現者文化人たちがアンドロイドや仮想人格として再現され動き回る。全体に喜劇調。登場人物達は皆とぼけていて愛らしい。
奥泉がSFを描く事に違和感はないが、仮想現実の扱いが割と安易な印象。だって奥泉ならメタフィクション方面に行きそうな気がするじゃん。勝手な思い込みだが。
『鳥類学者のファンタジア』『新・地底旅行』『「吾輩は猫である」殺人事件』に連なるロンギヌス物質物。宇宙オルガンのイメージはなかなか壮大で、繰り返しても飽きないし、今回は「0と1の二項で構成される知性と、四つ以上のN項で構成される知性の争い」という新たなアイデアが加わっている。二項知性とは勿論コンピュータに代表される機械であり、N項知性とは四つの塩基を元にする生物の事である。
抑圧的な社会に対抗する組織の存在など、重要な要素が後半になってから漸く登場したり、ロンギヌス物質の神秘性を示す挿話が少な目だったりして、エンターテインメント的な構成には疑問が残る。
橋本治著『「わからない」という方法』 ― 2020年08月15日 14:32
16年 9月 6日読了。
一種の解説書である。題名の通り方法論。「わからない」はゴールではなくスタートである。「わからないからやめる」ではなく「わからないからやってみる」という方法。ゴールは何かというと、当然「わかった」という事になる。手順としては、取り合えず判っている事を積み上げて、わからないを攻略する。二十世紀はどこかに「正解」がある事を前提としていたが、二十一世紀はどこかにある正解を探すのではなく、自分で考える時代に成るだろう、というような話。
「しかし、この『わからない』の全体像をまとめる方法が一つだけある。それは『自分はどのようにわからないのだろうか?』と考える事である」(p.10)。
「『わからない』はスタート地点である。これをゴールにすると、『行き止まり』になってしまう」(p.12)。
「よく考えてみればわかることだが、『なんでもかんでも一挙に解決してくれる便利な“正解”』などというものは、そもそも幻想の中にしか存在しないものである」(p.24)。
「私は『新しい方法』を提唱しているのではなく、『人の言う方法に頼るべき時代は終わった』と言っているだけなのである」(p.226)。
「記憶というのは身体に宿って、有能な身体は、その記憶を必要に応じて取り出す。ただそれだけのことなのだ」(p.240)。
一種の解説書である。題名の通り方法論。「わからない」はゴールではなくスタートである。「わからないからやめる」ではなく「わからないからやってみる」という方法。ゴールは何かというと、当然「わかった」という事になる。手順としては、取り合えず判っている事を積み上げて、わからないを攻略する。二十世紀はどこかに「正解」がある事を前提としていたが、二十一世紀はどこかにある正解を探すのではなく、自分で考える時代に成るだろう、というような話。
「しかし、この『わからない』の全体像をまとめる方法が一つだけある。それは『自分はどのようにわからないのだろうか?』と考える事である」(p.10)。
「『わからない』はスタート地点である。これをゴールにすると、『行き止まり』になってしまう」(p.12)。
「よく考えてみればわかることだが、『なんでもかんでも一挙に解決してくれる便利な“正解”』などというものは、そもそも幻想の中にしか存在しないものである」(p.24)。
「私は『新しい方法』を提唱しているのではなく、『人の言う方法に頼るべき時代は終わった』と言っているだけなのである」(p.226)。
「記憶というのは身体に宿って、有能な身体は、その記憶を必要に応じて取り出す。ただそれだけのことなのだ」(p.240)。
『河合隼雄全対話1ユング心理学と日本人』 ― 2020年08月16日 14:15
16年 9月 7日読了。
対談集。
河合「だからその因果律的なことを言うなということをユングは言っているのです。合理だけども、因果律的合理でない合理があると言っているわけです」(p.17)。
「だから、元型そのものというのは、表現不可能なんです。それのあらわれをわれわれは語るわけです」(p.49)。
「分析と言っているのは、できることを分析するのであって、できないことのほうがよほど多いわけです。できないことに対する尊敬心というか、それを持っていないと分析してはだめです」(p.55)。
「だからユングがよく『巡回する』ということを言うんです。真ん中は絶対わからない。周りを回ることはできる」(p.57)。
箱庭について「そして非常に面白いのは、鳥居にしては人間が非常に小さいとか言いながら、平気で他の大きい道具なんかボーンと置いたりするんですよ。そのときはぜんぜん自分は気にしていない。つまり内的に意味を持った物はぜんぜん気にしないんですね」(p.156)。
「ただ、元型論で先ほどのグーゲンビュールなどの言うところによりますと、元型は意識のレベルでいえばプラスのものもマイナスのものも両方持っていると言うのです。プラスかマイナスかは人間の意識があとから判断するだけで、極端に言えば、老賢者元型と子供元型はもともとひとつだという。ひとつの原型で老人側が見えるか、子供側が見えるか。つまり、あるクライアントが私に対して老賢者的な転移を持つことは、逆に、私を全く無力な子供と見る可能性を常にはらんでいるわけです」(p.211)。
「ですから、治療者は自分が治療者であると共に患者であるということをはっきり意識していなければいけない……」(p.212)。
対談集。
河合「だからその因果律的なことを言うなということをユングは言っているのです。合理だけども、因果律的合理でない合理があると言っているわけです」(p.17)。
「だから、元型そのものというのは、表現不可能なんです。それのあらわれをわれわれは語るわけです」(p.49)。
「分析と言っているのは、できることを分析するのであって、できないことのほうがよほど多いわけです。できないことに対する尊敬心というか、それを持っていないと分析してはだめです」(p.55)。
「だからユングがよく『巡回する』ということを言うんです。真ん中は絶対わからない。周りを回ることはできる」(p.57)。
箱庭について「そして非常に面白いのは、鳥居にしては人間が非常に小さいとか言いながら、平気で他の大きい道具なんかボーンと置いたりするんですよ。そのときはぜんぜん自分は気にしていない。つまり内的に意味を持った物はぜんぜん気にしないんですね」(p.156)。
「ただ、元型論で先ほどのグーゲンビュールなどの言うところによりますと、元型は意識のレベルでいえばプラスのものもマイナスのものも両方持っていると言うのです。プラスかマイナスかは人間の意識があとから判断するだけで、極端に言えば、老賢者元型と子供元型はもともとひとつだという。ひとつの原型で老人側が見えるか、子供側が見えるか。つまり、あるクライアントが私に対して老賢者的な転移を持つことは、逆に、私を全く無力な子供と見る可能性を常にはらんでいるわけです」(p.211)。
「ですから、治療者は自分が治療者であると共に患者であるということをはっきり意識していなければいけない……」(p.212)。
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