森本勇矢監修『思わず語りたくなる家紋の図鑑』 ― 2026年01月09日 22:39
もう見ているだけで楽しい。具体的な自然物人工物を基にした図案と、幾何学的で抽象的な模様や図符に大きく分かれるが、具体的なものがだんだん抽象化されて元が何だったのか判らなくなったり、抽象的な記号のようなものが組み合わされて、具体的なものに見立てたりする「変化」が異様に面白い。新しい家紋をデザインしたりしても楽しいであろう。
クラフト・エヴィング商會著『ないもの、あります』 ― 2026年01月09日 22:41
「堪忍袋の緒」や「舌鼓」など、文字通り「ないもの」の商品カタログ。何と言うか「脱力シュール」とでも言うべき内容。「どさくさ」は、他人の目から自分を「紛らわす」ための道具だが、注意書きには次のようにある。「この商品をお使いいただく際の注意点は貴方自身が貴方を見失ってしまうということです」(p.109)。
いとうせいこう・みうらじゅん著『見仏記 三十三年後の約束』 ― 2026年01月11日 21:15
おなじみの見仏記シリーズ。いとうせいこうの文章とみうらじゅんのイラストによる、仏像拝観記である。いつもの通り、ブラタモリ的だらだら感(始まったのは見仏記の方が先だが)で進行する。今回の特徴として「何をどういう順番で見るか」というスケジュールが人任せにされており、見仏者たちはそれに従って行動するだけなので、だらだら感がさらに増している。
これも例によって、仏像を拝観したレポートのほかに、旅中の雑談なども大量に収録されている。「もし、政治家の二階って人の人形が出たら、俺は買うな」(p.139)。読者は、どうでもいいよそんなこと、と思うわけだが、それが見仏記の魅力の一つなのだから、どうでもよくはないのだった。この「どうでもよいことを積み重ねるとどうでもよくなくなる、あるいは、どうでもよくないような錯覚が起きる」というのは非常にみうらじゅん的な現象である。それを理論的に補強するのがいとうせいこうの役割の一つだが、付き合いの長いいとうせいこうでも付き合いきれなくなるのか、時折「……というのもどうかと思うが」という言葉が挟まれる。
最初の『見仏記』の最後近くで著者の二人はこんな冗談を言い交している。「三十三年後の三月三日、三時三十三分に三十三間堂の前で会いましょう」。今回のハイライトは、この思い付きの冗談を実現させるというものである。あれよあれよという感じで、この邂逅は千五百人以上の観客を集める一大イベントになり、邂逅の瞬間、みうらじゅんは涙まで流す。もっとも、みうらじゅんはその後「この頃は『銭形平次』の再放送でも泣くんで」(p.242)と告白している。
これも例によって、仏像を拝観したレポートのほかに、旅中の雑談なども大量に収録されている。「もし、政治家の二階って人の人形が出たら、俺は買うな」(p.139)。読者は、どうでもいいよそんなこと、と思うわけだが、それが見仏記の魅力の一つなのだから、どうでもよくはないのだった。この「どうでもよいことを積み重ねるとどうでもよくなくなる、あるいは、どうでもよくないような錯覚が起きる」というのは非常にみうらじゅん的な現象である。それを理論的に補強するのがいとうせいこうの役割の一つだが、付き合いの長いいとうせいこうでも付き合いきれなくなるのか、時折「……というのもどうかと思うが」という言葉が挟まれる。
最初の『見仏記』の最後近くで著者の二人はこんな冗談を言い交している。「三十三年後の三月三日、三時三十三分に三十三間堂の前で会いましょう」。今回のハイライトは、この思い付きの冗談を実現させるというものである。あれよあれよという感じで、この邂逅は千五百人以上の観客を集める一大イベントになり、邂逅の瞬間、みうらじゅんは涙まで流す。もっとも、みうらじゅんはその後「この頃は『銭形平次』の再放送でも泣くんで」(p.242)と告白している。
松村一男著『世界のはじまりの神話学』 ― 2026年01月15日 22:20
ものごとの始まり、いわゆる起源神話に関する解説書。世界、人間、火と食物の起源について、世界の神話を比較する。似ている点、異なる点を抜き出して、例えば、世界両親型、世界巨人型、宇宙卵型などに類型をまとめていく。また、日本神話が天皇支配の正当性を示そうとしていることや、聖書のイヴやギリシアのパンドラに見られる女性蔑視は編纂者が男性であることを推測させることなど、歴史や社会の神話への影響も考察される。
これは、比較神話学として大変に正しい視点なのだが、個人的には「神話に描かれているイメージそのものの面白さ」にも言及してほしかった。そういう意味では、最後近くで紹介された、ドゴン族の神話における「天から糸でぶら下がって降りてくる巨大な籠」というエレベーターのようなイメージが大変に面白かった。
これは、比較神話学として大変に正しい視点なのだが、個人的には「神話に描かれているイメージそのものの面白さ」にも言及してほしかった。そういう意味では、最後近くで紹介された、ドゴン族の神話における「天から糸でぶら下がって降りてくる巨大な籠」というエレベーターのようなイメージが大変に面白かった。
宮内悠介著『作家の黒歴史 デビュー前の日記たち』 ― 2026年01月21日 18:32
作家が自分の書いたデビュー前の日記を紹介し、それを現在の視点で解説したり分析したり批判したりするという構成。作家志望者らしい屈折した過剰な自意識、それと誠実であろう公正であろうとする姿勢、善とは何か悪とは何かを追求しようてする姿勢が印象に残る。
「価値観がどう変遷したかの俯瞰。得たものや失ったものの整理。かつての時代を振り返ること。自分にとって言葉とは何か。いろいろとポイントはありそうに思うけれど、読み返してみたところ、結局は生命そのもの----それも通常であれば発表されえないタイプの生命の息吹をお見せしたかっただけのような気がしてきた。つまり、恥ずかしくて、間違ってて、でもソウルだけは横溢していた昔の日記を」(p.322)。
確かに生命の息吹は横溢しているが、デビュー前ということもあり、その息吹は出口を求めて鬱屈し、暗く苦悩と悲しみの気配が漂う。
「ただ、著名人に対する視線は厳しかった。世界のどこかで紛争が勃発した際などには、作家は態度を表明しなければならないと考え、それをやらない者を監視し、心の中の「臆病者リスト」に入れたりもしていた。なんていうか、もうちょっと純粋だった。そして全体主義者的だった。赤の他人に自分と同様の行動を期待するのは、距離感というものを間違えているし、やはりそれは全体主義的であると言えるだろう」(p.10)。
「やりがいを持てと人は言うものの、やりがいというものはけっこうな割合で、人を溺れさせる重りにもなる」(p.61)。
「価値観がどう変遷したかの俯瞰。得たものや失ったものの整理。かつての時代を振り返ること。自分にとって言葉とは何か。いろいろとポイントはありそうに思うけれど、読み返してみたところ、結局は生命そのもの----それも通常であれば発表されえないタイプの生命の息吹をお見せしたかっただけのような気がしてきた。つまり、恥ずかしくて、間違ってて、でもソウルだけは横溢していた昔の日記を」(p.322)。
確かに生命の息吹は横溢しているが、デビュー前ということもあり、その息吹は出口を求めて鬱屈し、暗く苦悩と悲しみの気配が漂う。
「ただ、著名人に対する視線は厳しかった。世界のどこかで紛争が勃発した際などには、作家は態度を表明しなければならないと考え、それをやらない者を監視し、心の中の「臆病者リスト」に入れたりもしていた。なんていうか、もうちょっと純粋だった。そして全体主義者的だった。赤の他人に自分と同様の行動を期待するのは、距離感というものを間違えているし、やはりそれは全体主義的であると言えるだろう」(p.10)。
「やりがいを持てと人は言うものの、やりがいというものはけっこうな割合で、人を溺れさせる重りにもなる」(p.61)。
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