養老孟司・久石譲著『脳は耳で感動する』2026年01月22日 22:05

 対談。2009年に刊行された『耳で考える』に新たな対談を加えたもの。
 養老「使えるんですよ、言葉は確かに。呪いの言葉にもつかえる。だから、昔はそれに対して祝詞というものがあった。「ことほぐ言葉」があった。ただ、今の世の中は寿ぎの言葉がどんどん消え失せて、呪いの言葉が非常に増えてきたような気がします」(p.130)。
 養老「言葉というものは、何でもないことを豊かにしてくれるものであるべき。それがプラトンでしょう? さっきのね。今は世界を痩せさせるために使っている気がする。だから、言葉狩りをしたり、失言を大げさにとらえたり、バカなことばっかりしているんですよ。物差しが狂っている」(p.141)。

原聖著『ケルトとは何か』2026年01月27日 22:01

 ケルト研究の総合的な解説書。
 第一章では、いったんはほとんど途絶えてしまったケルト文化を、近代以降に再現しようとした「創られた伝統」について。我々がケルトと聞いて思い浮かべるアーサー王伝説や音楽などは、実は古代ケルト文化とは必ずしも連続性がなく、「ヨーロッパナショナリズム」のようなイデオロギーを補強するために、無理に再現された面があるというような話。
 第二章から第四章は、ケルトの美術や文芸などの解説。
 第五章では、近代に想像された伝統ではなく、古代から継続されてきた文化として「言語」に注目し、ケルト人の移動とケルト文化の伝播について。
 第六章は、現代のケルト諸語の保存活動について。
 ケルト人やケルト文化の歴史や特徴がよくわかって面白かった。しかし、これは縄文研究などでも思うことだが、ケルト人はどんな生活をしていたのか、どんな宇宙観や人間観を持っていたのかなどはほとんどわからなかった。そこが知りたいのだが。
 「社会言語学、とりわけ移民たちの言語の研究によれば、言語は通常、三代で取って替わる。移民第一世代は母語でない現地の言葉の習得には苦労するが、第二世代は教育を現地の学校で受けるので、ふつうはバイリンガル、二言語使用者として育つ。そして、第三世代になると、家庭の言語も現地の言語となり、言語の移転が完成する、ということになる」(p.91)。
 「歴史的にはこの逆の言語移転、すなわち移住した言語が生き残り、現地の言語が消滅することもあった。たとえば中南米のスペイン語であり、北米の英語である」(p.91)。
 「このように、言語の取替えは、支配者側から押し付けられるものではなく、その言語がより大きな威信を持つかどうかによるのである。/さらにいえば、この「威信」には書きことばの存在が大きくものをいうといっていいだろう。書きことばが整備されることは、標準的書きことばが流通する、すなわち文字を理解する人々がいるということであり、それが文化的威信の指標となるのである。もちろん、書きことばの存在以前の段階では、物質文化の「質」の問題、豊かさのレベルが文化的威信ということになるだろう」(p.93)。
 「韻文というのは、文章の音節数を一定にしたり、文章末の音を同一にする技法だが、声に出して初めて意味を持つ技であり、口頭伝承のなかで鍛えられるといっていい。しかしながら、これが書きことばの規範成立のもとになったのである。なぜかといえば、韻文の規範が複雑になると、書いて検証することが必要になるからである」(p.101)。
 「こうした話者数が一〇〇〇人にも満たないような極少数言語は、運動家の存在に左右される。それがひとりだけであれば、統一的な復興運動が可能だが、こうした言語運動は総じて知識人たちが主体となるので、そういうわけにはいかない。運動家各自がそれぞれ理論武装をして、さまざまな原則が主張され、まとまらないことがけっこうある。さまざまな言語運動の様子を観察している私の感想からいえば、小さい言語ほど、こうした分裂状態に陥るようだ。それは自分たちでやっていくしかないという思い入れの強さの表現でもある。こうした状況では外からの助言はなかなか難しい」(p.224)。

白川静・梅原猛著『呪の思想 神と人との間』2026年01月31日 22:01

 対談。主に古代中国の詩と孔子に関する話題。白川静だから漢字の分析もある。面白かったのは、古代中国の詩には「呪術的意味」があったとするところ。それをたとえば朱子学などは合理的に解釈しようとするから本質を捕らえ損ねている、という。自分が中国の歴史を知らないことに愕然とする。知らねばならないことは多い。