平藤喜久子著『物語を作る神話解剖図鑑』 ― 2025年04月05日 23:43
世界各地の神話を主題や登場人物、舞台や小道具などで分類整理する試み。読む前はイラストやレイアウトから神話初心者向けだろうと舐めていたが、それなりに整理されていてなかなか面白かった。全体は三章に分かれている。1章は「神話のテーマ」で宇宙・世界の創造、人類の起源、火の起源など、主に創造神話の主題別の解説。2章は「神話のモチーフ」で、神々の争い、大洪水、異類婚、冥界下りなど、物語の設定や形式による分類。3章は「神話のアイテム」で、武器や乗り物、キャラなど神話に登場する小道具や人物、妖魔精霊の類の分類である。
この種のものとしては、俺は角川書店の『世界神話辞典』を持っているが、アイテムによる分類などは『世界神話辞典』にはない視点である。アイテムを機能で分けるか形体で分けるかなど、まだまだ統一が取れていないところも多いが、試みとして非常に面白い。
ユングへの言及は一か所しかないが、神話の類型化という点で、元型論的でもあり、案外人間の深層心理に通じるところもありそうである。俺が知らないだけで類書は多いような気もするので、「どのような分類方法があるか」を含めて、ちょっと気になる。
この種のものとしては、俺は角川書店の『世界神話辞典』を持っているが、アイテムによる分類などは『世界神話辞典』にはない視点である。アイテムを機能で分けるか形体で分けるかなど、まだまだ統一が取れていないところも多いが、試みとして非常に面白い。
ユングへの言及は一か所しかないが、神話の類型化という点で、元型論的でもあり、案外人間の深層心理に通じるところもありそうである。俺が知らないだけで類書は多いような気もするので、「どのような分類方法があるか」を含めて、ちょっと気になる。
池田清彦・南伸坊著『老後は上機嫌』 ― 2025年04月07日 23:12
対談。主な主題は「面白いことと分かること」。南伸坊の説では「曖昧に判っていること、判りそうな予感が、意識として明確に判ったときに、面白いと感じる」という。これを南伸坊は「分かり直す」と表現している。
南伸坊「今までぼんやり分かっていたけど、自分で意識できなかったことが、はっきりわかる形で見えたときに、ある種の快感がある。つまり面白いんじゃないか」(p.63)。
池田清彦「人間の認知の仕方については、ちょっと物事の見方を変えただけで、全然違った世界が見えてくるっていうことがある。そういうのが、楽しいとか面白いって思うことの原点なんだろうね」(p.64)。
南伸坊「面白い話とつまんない話の違いって何だろうっていうと、つまんない話って、「分かりきった話」か「はなっから分からない話」なんですよ」(p.89)。
池田清彦「大澤真幸(社会学者)は「郡司(ペギオ幸夫)くんは自分で言っていることを人が理解できないことが、全く理解できていないですね」って言ってたけど、俺もそう思う」(p.93)。
南伸坊「今までぼんやり分かっていたけど、自分で意識できなかったことが、はっきりわかる形で見えたときに、ある種の快感がある。つまり面白いんじゃないか」(p.63)。
池田清彦「人間の認知の仕方については、ちょっと物事の見方を変えただけで、全然違った世界が見えてくるっていうことがある。そういうのが、楽しいとか面白いって思うことの原点なんだろうね」(p.64)。
南伸坊「面白い話とつまんない話の違いって何だろうっていうと、つまんない話って、「分かりきった話」か「はなっから分からない話」なんですよ」(p.89)。
池田清彦「大澤真幸(社会学者)は「郡司(ペギオ幸夫)くんは自分で言っていることを人が理解できないことが、全く理解できていないですね」って言ってたけど、俺もそう思う」(p.93)。
坂崎かおる著『嘘つき姫』 ― 2025年04月09日 22:11
短編集。時代に翻弄されるナイーヴな登場人物たちが描かれる。
「私のつまと、私のはは」は、パンフレット作成のため、発売前の子育てシミュレーションデバイスを手に入れたレズビアンのカップルの話。現実の子育ての練習として、ロボットとARを組み合わせた、ヴァーチャルな赤ん坊を育てる。知由里はたちまち「子育て」に没入するが、パートナーの理子はどこかで「所詮は機械」と思っており、知由里の熱中ぶりに苛立ちを隠せない。
表題作は、第二次大戦中のフランスで孤児となった二人の少女の物語。姉妹と自称するほど仲が良かった二人だが、やがてお互いを裏切りあっていた事実が明らかになる。ひと時苦しみから目を逸らしてくれる、悲しい嘘の物語である。
他者は受け入れられないが、孤独にも耐えられないという葛藤を抱えた人が多く出てくる。葛藤は最後まで解決されないので、エンターテインメント的なカタルシスはないが、ヒリヒリした切実さが伝わってくる。
切実と言えば、同性愛者が多く描かれているせいか、凝った文章のせいか、いわゆる耽美的な雰囲気もあるのだが、そこにも単なるファッションではない切実さが漂う。
とか言いながら、俺が最も気に入ったのは、収録作品中最も軽い「電信柱より」だ。一本の電信柱に恋する女性と、彼女を応援しようとする夫婦の話である。
「私のつまと、私のはは」は、パンフレット作成のため、発売前の子育てシミュレーションデバイスを手に入れたレズビアンのカップルの話。現実の子育ての練習として、ロボットとARを組み合わせた、ヴァーチャルな赤ん坊を育てる。知由里はたちまち「子育て」に没入するが、パートナーの理子はどこかで「所詮は機械」と思っており、知由里の熱中ぶりに苛立ちを隠せない。
表題作は、第二次大戦中のフランスで孤児となった二人の少女の物語。姉妹と自称するほど仲が良かった二人だが、やがてお互いを裏切りあっていた事実が明らかになる。ひと時苦しみから目を逸らしてくれる、悲しい嘘の物語である。
他者は受け入れられないが、孤独にも耐えられないという葛藤を抱えた人が多く出てくる。葛藤は最後まで解決されないので、エンターテインメント的なカタルシスはないが、ヒリヒリした切実さが伝わってくる。
切実と言えば、同性愛者が多く描かれているせいか、凝った文章のせいか、いわゆる耽美的な雰囲気もあるのだが、そこにも単なるファッションではない切実さが漂う。
とか言いながら、俺が最も気に入ったのは、収録作品中最も軽い「電信柱より」だ。一本の電信柱に恋する女性と、彼女を応援しようとする夫婦の話である。
荒巻義男・巽孝之著『SF評論入門』 ― 2025年04月15日 00:17
十二編のSF評論と編者による序説と終章が収録されている。どの評論も面白く、言いたいこともあるのだが、俺にとって強烈な一文に出会ってしまい、それ以外の全ては背景化した。渡邊利道による倉田タカシ論「エキセントリックな火星」において、小説「火星のザッカーバーグ」の面白さについてこう書かれている。
「その強度を生み出しているのは、反復と矛盾だ」(p.386)。
そう、それよ、それなのよ。うほほーい(←喜びのあまり痴呆化)。現代文学の面白さの一端がそこにあるのは間違いないじゃん。しばらくこのことばかり考えるであろう。
「その強度を生み出しているのは、反復と矛盾だ」(p.386)。
そう、それよ、それなのよ。うほほーい(←喜びのあまり痴呆化)。現代文学の面白さの一端がそこにあるのは間違いないじゃん。しばらくこのことばかり考えるであろう。
松樹凛著『射手座の香る夏』 ― 2025年04月18日 22:20
中短編集。四編収録。
一番面白かったのは「さよなら、スチールヘッド」。二つの物語が交互に語られる形式。ひとつは仮想空間の物語で、不調の人工知能が療養を行う常夏の(仮想の)森が舞台。キャンプと呼ばれている。この物語の主人公は江戸という少年の姿をした人工知能で、嘔吐感など存在しないはずの肉体感覚に悩まされている。もう一つの物語は、ゾンビが跋扈する文明が滅びた世界。ゾンビに噛まれるとその人間もゾンビになるという典型的設定。ネタバレだが、ゾンビを感染させるのが細菌やウィルスではなくナノマシンだというのがちょっと面白かった。こちらの主人公はエマという女性で、ゾンビを倒しながら生き延びるための旅をしている。
どちらの物語も丁寧に描写されてはいるが筋立ては典型的で新味はない。面白いのは二つの物語の関係である。まずエド、エマの他にも両方の物語に共通の名前を持つ人物が登場することである。人物と言っても人工知能や猫も混じるが。そして、エドはエマの世界を、エマはエドの世界を夢に見る。相互に夢見合っているのである。どちらが現実なのか。それとも両方とも夢なのか。両者の関係はどうなっているのか、というのが読みどころとなる。
「十五までは神のうち」の中核着想である「ごく限られた範囲だけのタイムマシン」も面白かった。これを使うと過去に遡って中絶できる。この技術で、日本をはじめ先進国の多くでは「子どもが自分で自分が生まれるかどうかを選択できる」法律があるのだ。つまり十五歳になった子供は、過去に遡って自分を中絶できる。いなかったことにできるのである。思考実験として非常に面白い。
一番面白かったのは「さよなら、スチールヘッド」。二つの物語が交互に語られる形式。ひとつは仮想空間の物語で、不調の人工知能が療養を行う常夏の(仮想の)森が舞台。キャンプと呼ばれている。この物語の主人公は江戸という少年の姿をした人工知能で、嘔吐感など存在しないはずの肉体感覚に悩まされている。もう一つの物語は、ゾンビが跋扈する文明が滅びた世界。ゾンビに噛まれるとその人間もゾンビになるという典型的設定。ネタバレだが、ゾンビを感染させるのが細菌やウィルスではなくナノマシンだというのがちょっと面白かった。こちらの主人公はエマという女性で、ゾンビを倒しながら生き延びるための旅をしている。
どちらの物語も丁寧に描写されてはいるが筋立ては典型的で新味はない。面白いのは二つの物語の関係である。まずエド、エマの他にも両方の物語に共通の名前を持つ人物が登場することである。人物と言っても人工知能や猫も混じるが。そして、エドはエマの世界を、エマはエドの世界を夢に見る。相互に夢見合っているのである。どちらが現実なのか。それとも両方とも夢なのか。両者の関係はどうなっているのか、というのが読みどころとなる。
「十五までは神のうち」の中核着想である「ごく限られた範囲だけのタイムマシン」も面白かった。これを使うと過去に遡って中絶できる。この技術で、日本をはじめ先進国の多くでは「子どもが自分で自分が生まれるかどうかを選択できる」法律があるのだ。つまり十五歳になった子供は、過去に遡って自分を中絶できる。いなかったことにできるのである。思考実験として非常に面白い。
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