小笠英志著『宇宙が見える数学 結び目と高次元-トポロジー入門』2025年01月07日 23:01

 ブルーバックス。題名の通り、トポロジーと宇宙論や超弦理論などの先端物理学との関係の入門書。序章では、2次元の平面が3次元空間では曲げられるように、三次元空間では曲げられるのではないかと示唆される。1章では、トーラス、メビウスの帯、アニュラスなどを例に、量子力学の先端的仮説である超弦理論とトポロジーの関係が示され、最後に少しだけ結び目理論の名前が出てくる。2章では、メビウスの帯からの類推で、クラインの壺の性質について解説される。3章では、2次元の正方形、3次元の立方体から、4次元立方体の性質を類推する。5章は、これまでに比べると少し難解で、2次元実射影空間について。6章では、トーイ・モデル(事実である可能性は低いが、一つのステップとして、あるいは純粋な虚構として深く論じてみる仮設)としてのワームホールについて。7章では、ポアンカレ予想を中心に、多様な宇宙の形の可能性について。8章では、そのほかの「トポロジーと先端物理学の関係」について駆け足で紹介される。
 3章が素晴らしくて、4次元の構造体が理屈だけでなく、具体的な「像」として見えるようになる。これは、感覚的に本当に「見える」ようになる。

カール・タウベ著『アステカ・マヤの神話』2025年01月13日 22:07

 メソアメリカ(中央アメリカ)の神話の解説書。序でメソアメリカの歴史と宗教の概要が説明され、次の章で主な資料と研究史が紹介される。そのあとが、アステカとマヤの神話の紹介である。どちらも、天地創造と人間や食物の起源神話に重点が置かれている。洪水神話や冥界巡りなど旧世界の神話に酷似したものもあるが、これらはアメリカ大陸で独立に成立したものだと断言される。
 こんなことを言うと著者には不本意かもしれないが、神話の内容以上に図版の面白さ美しさに魅了される。現代人から見ると不思議なデフォルメ、変形の仕方で極度に装飾的に図案化されている。輪郭線のタッチがどことなく手塚治虫を連想させるところも心惹かれる。
 本書の主題とは直接関係のないことだが、解説にびっくりするトリビア。
 「今なお中学歴史の教科書に掲載される、いわゆる「世界四大文明」(メソポタミア、エジプト、インダス、黄河)は学説ではない。これは、考古学者の江上波夫がかかわった高校世界史教科書に一九五二年に登場した教科書用語である。「世界四大文明」は、アメリカ大陸の二大一次文明(メソアメリカとアンデス)を排除する特異な文明観であり、欧米には存在しない」(p.204)。

ナサニエル・ホーソーン、エドゥアルド・ベティ著『ウェイクフィールド/ウェイクフィールドの妻』2025年01月16日 22:31

 「ウェイクフィールド」は、ボルヘスに激賞され、カフカにも影響を与えたといわれる名作短編だが、「ウェイクフィールドの妻」は、それを妻の視点で描いた長編。
 「ウェイクフィールド」は、ある日突然、家を出て消息を絶った男の物語。男は家のすぐ近くに隠れ住み、自分の家と妻の様子をこっそりと窺っている。そうして二十年の月日がたち、男はまた突然何事もなかったかのように帰宅する。神秘的なことは何も起こらないが、不条理感が満ちている。
 「ウェイクフィールドの妻」は、同じ物語を妻の視点から語った物語。細部を詳細に描写して長編に仕上げている。使用人の男の子が死刑になりかけたり、夫が生きていると知らない牧師が妻にプロポーズしたり、なかなか波乱に満ちているが、失踪した夫がすぐそばに住んでいるという状況の異常さが、すべての出来事に異化効果を与えている。妻が日記に「人は〇〇と××に分かれる」と繰り返し書くのが妙に面白い。
 「妻」よりもずっと短い「ウェイクフィールド」がより強い印象を残すのは、構成上仕方のないことであろう。

ジョージ・マクドナルド著『北風のうしろの国』上下2025年01月23日 22:22

 岩波少年文庫。貧しい御者の息子ダイヤモンドを北風が訪ねてくる。北風は美しい女性の姿で、見上げるほどに巨大化したり、花の影に隠れるほど小さくなったり、時にはオオカミの姿になったりする。ダイヤモンドは北風の腕に抱かれて空を飛び回る。そして、ダイヤモンドは遥かな「北風のうしろの国」を訪れる。理想郷のような北風のうしろの国から帰ってきたダイヤモンドは、子供らしくない、あるいはまったく子供らしい不思議な知恵と行動力を発揮するようになる。
 ダイヤモンドが、隣に住む飲んだくれの御者の部屋に勝手に入っていく場面が好きである。ダイヤモンドは仲たがいした夫婦には目もくれず、泣いている赤ん坊をあやし、寝かしつけて出ていくのである。
 「「なあ、おまえ」と、御者は、ベッドの方にむかって声をかけた。「いま、天使が出ていったような気がするんだがな。墓石に刻んである、赤ん坊の天使な、あれだったぜ。」」(p.309)。どうも俺は子供が大人を導く話に弱い。
 ダイヤモンドが天使の化身であることの示唆として、彼の見た夢が描写される。ダイヤモンドの周りにたくさんの天使、小さい裸の男の子の姿をして、背中に小さな鳥の羽を生やした天使たちが集まってくる。天使たちは鶴橋とシャベルで地面に埋まっている星を掘り出す仕事をしている。この場面は様々な解釈が可能だろうが、比喩などとして解釈せずに、イメージの楽しさをそのまま味わうのが俺好み。

飛浩隆著『鹽津城(しおつき)』2025年01月25日 23:46

 短編集。「複数の現実」を描いたものが目立つ。純文学的な「一つの真実に収束しない」物語や、SF的な並行宇宙物などである。記憶が変容し、口裏を合わせるように現実も変容するために、過去が変わってしまったことに気付かない、という構造の話も二三ある。辻褄の合わないことはないのに、違和感や喪失感だけがわだかまっているが、それもやがて消えてしまう。こう書くと、SFとしてはそれほど珍しい話ではないようにも思えるが、描写されるイメージの力がやたら強い。
 「未の木」では、贈り物の鉢植えの木に、送り主そっくりの実が生る。実は、数時間から一日程度、生きているように動き回るが、すぐに死んで腐っていく。
 表題作では、急に溶解度が下がったかのように、海水から塩が析出し、意志あるもののように陸地に押し寄せてくる。こういうイメージの凄味が読み処である。