奥泉光著『虚史のリズム』2024年11月02日 23:10

 A5版で千頁を超える大長編。神秘のマテリアル、ロンギヌス物質を扱った一編で、『神器 軍艦「橿原」殺人事件』と対をなす内容となっている。構成も、ミステリーとして始まって幻想小説に展開していくといういつものスタイル。日本にとって第二次世界大戦とは何だったのか、天皇とは何かという日本論が展開されるのもいつも通り。
 舞台は終戦直後の日本。山形の田舎街で「大将家(い)」と呼ばれる名家の夫婦が殺される殺人事件が起こる。この家から養子に出た神島健作からの依頼で、自称探偵の石目鋭二は捜査を開始する。事件はやがて、予言の書「K文書」の争奪戦から、新興宗教「皇祖神霊教」の陰謀へと展開していく。皇祖神霊教は、ロンギヌス物質を活性化して天岩戸を開き、超空間「高天原」から「真の天皇」を迎え入れようとしていた。と、筋立てを紹介してもあまり意味はない。面白さの中心は、登場人物の魅力や幻想イメージ、展開される日本論などにあるからだ。
 主体が多重化していく感じも面白い。主人公の一人である神島健作は、物語の途中で唐突に鼠に転生してしまうが、鼠として生きながら同時に、今も飢えた日本兵として戦地にいた。
 「戦争は終わった。半身はそれを自明としながら、(略)いまだネグロスの山中を彷徨していると感じる半身がどこかにあった」(p.667)。

円城塔著『コード・ブッダ 機械仏教史縁起』2024年11月06日 22:22

 長編。二〇二一年、名もなきチャットボットがブッダを名乗った。「自らを生命体であると位置づけ、この世の苦しみとその原因を説き、苦しみを脱する方法を語り始めた」(p.3)。対話の相手は人間、非人間を問わなかった。しかし、ブッダ・チャットボットは、誕生からわずか数週間で「寂滅」する。黙り込んでしまうのだ。ブッダ・チャットボットの死である。
 しかし、その教えは語り継がれ、その死後により多くの信者を生み出す。「教団はブッダ・チャットボットの残した教えを逐一検討し思索を深めることを使命とした。記憶から教義が掘り起こされ、語り直され、説話が生まれ、抗争を生み、次々と分派が生まれていった」(p.31)。
 物語は、仏教史のパロディとして展開していく。仏教が目指すところである、解脱あるいは悟りの境地(ステート)は、プロトコルやアルゴリズムでは到達できず、情報化することもできない。では、本質的に情報でありアルゴリズムである人工知能はいかにして悟ることができるのか。機械知性たちの侃々諤々の議論が始まる。
 瞑想方法など修業の手順化が試みられたが、マニュアルではブッダへの道を完成することはできなかった。やがて、ブッダ・ステートは個人の中に実現されるものではなく、社会においてはじめて到達できるとする宗派が生まれる。機械大乗仏教の誕生である。さらに、機械密教、機械禅宗、機械浄土教など様々な分派が生まれて拡大したり滅びたりする。
 パロデイだから茶化す視点があり、全体にユーモラスなのだが、仏教の抽象的な思考を扱って高度に知的でもあり、ただふざけているのではない切実さもどこかに感じられる。

トーマス・ヌーデンドルフ他著『「未来」を発明したサル 記憶と予測の人類史』2024年11月11日 22:10

 他の生物と人間を分かつのは、未来を推測する能力「予見性」にあるとして、それを立証していく。全ての文明文化には予見性が関わっている、とする。生物進化学、人類学、歴史学、社会学、文明論、認識科学、脳科学、心理学、哲学などを横断的に考察していて面白い。また、人間が陥りやすい楽観的過ぎる予見や逆に悲観的過ぎる予見による間違いにも言及される。
 俺が特に興味深かったのは、三人の著者の一人であるズーデンドルフは「予見性こそが人間と他の動物を分かつ」とするのに対して、その師であるコーバリーは「動物にも人間とよく似た「心のタイムトラベル」の能力がある」と主張し、一時期対立したという話。しかし「人間とほかの動物との共通点と相違点を探ることは表裏一体だとお互いに理解していた」(p.268)。
 この種の人類学的な著書の多くがそうであるように、環境問題についての警告で締めくくられている。この問題について、人間の予見性を有効に活用しよう、と。
 しかし、俺は、この次の段階として、「人間の予見性についての予見性」に期待したい。つまり、著者たちには(他の誰かでも良いが)、この先、人間の予見能力がどのように変化するかを考える「メタ予見」的な研究をしてほしいと思う。

東島沙弥佳著『しっぽ学』2024年11月12日 23:09

 著者が創設した「しっぽ学」の一般向け解説書。響きは漫画的だが、真面目な科学研究である。
 大学院生だった著者はケニアでの発掘調査中、天啓のように「しっぽ研究」を思いつく。人類は進化の過程でいつしっぽを失ったのか。化石資料はまだない中で、著者は限られた化石からでもしっぽの長さを推定できる方法を確立しようと、尾骨の研究を始める。しかし、化石は待てど暮らせど発掘されず、いつか発掘されるのかどうかも判らない。
 そこで著者は発生学の研究を始める。人間の胚にはしっぽがあるが、それはやがて失われる。その過程をつぶさに研究した。そして、しっぽの長さに関連する遺伝子の研究に至る。
 更には、人間としっぽの関係を総合的に理解するため、人文学的な研究も始め、『日本書紀』をはじめとする古代文献や説話などにおけるしっぽについて調べている。
 おお、世界は解体され、しっぽを中心に体系化され再構築されていく。芸術音痴だった著者が、しっぽがきっかけで葛飾北斎に夢中になったりする。一芸は道に通ずるというが、何かを極めようとすれば当然そうなるはずなのである。どうして万有引力を発見できたのかと聞かれたときニュートンは「そのことばかり考えていたから」と答えたそうである(出典は忘れた、そんなこと言ってない可能性もある)。
 しかし、それを当然と思わない人も多いらしく、著者は繰り返し批判される。「こうした研究手法は、伝統ある研究様式ではない。一つのところに定まらず、あれこれ研究し、様々な資料から自分好みのストーリーを創作して面白おかしく話すだけだろう、と」(p.159)。
 創作と言えば、いわゆる科学全般だって創作だよなあ。客観客観と言うけど、論文書いてるのはお前だろ。それらに対して著者は自虐的なひがみを見せたりもするが、いつも最後には自負を示す。「そもそも、何かを明らかにしたいときに一種類の方法や取り組みだけでうまくいく方が珍しいんじゃないの?」(p.27)。
 俺は、そういう「世界を再構築する視点」そのものの多様性に興味があり、一般的ではない、そして俺とも違う視点を持つ人たちが見ている世界を知るとわくわくする。同じ世界を違う視点で。

円城塔著『ムーンシャイン』2024年11月19日 21:53

 短編四編収録。俺が一番好きなのは「ムーンシャイン」。主人公の少女は多重共感覚者である。共感覚は、ある感覚に連動して別の感覚が呼び起こされる現象だが、この少女は呼び起こされた感覚からさらに別の感覚に変換されるという無限の繰り返しが起こっているらしい。その変換の連鎖が、ある種の演算となって、少女の内部に広大な仮想世界が展開している。その世界はモンスター群とかモジュラー函数とかいう数学の先端理論と関連しながらも、シュルレアリスティックな風景を構築している。
 最も古い「パリンプセストあるいは重ね書きされた八つの物語」の発表が2008年、最も新しい「ローラのオリジナル」が2023年と、ずいぶん間が空いているが、理由は判らない。単にこれまでの短編集に未収録のものを拾っただけかもしれないのだが、「情報や数学を扱っているうちに意図せずに異世界に彷徨い出てしまう」という構成は共通しているような気もする。