村上春樹著『海辺のカフカ 上下』2024年03月12日 22:32

 二系列の関連する物語が同時に進行し、それが章毎に交互に語られる。『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』と同じ構成である。
 第一の物語は、十五歳の少年である村田カフカの一人称で語られる。物語の開始時点では、家出の具体的な理由ははっきり説明されないが、読み進めていくうちに、カフカ少年の母は少年が四歳のときに姉を連れて家を出て行ってしまい、少年は見捨てられたように感じている事が判る。更に、少年は父から予言あるいは呪いを受けている。「お前はいつかその手で父親を殺し、いつか母親と交わり、姉とともいつか交わるだろう」。ギリシア悲劇の『オイディプス王』の予言の変形である。
 少年は家出してすぐに象徴的にあるいはメタフォリックに姉の位置におさまる女性に出会い、現実に母かもしれない女性と出会う。そして少年は報道で父の死を知る。距離的には不可能だが、少年は自分が殺したのではないかと疑う。
 第二の物語はもっとずっと神秘的あるいは幻想的である。太平洋戦争終戦直前、十六人の小学児童が同時に意識を失うという原因不明の事件が起る。他の児童はすぐに意識を取り戻すが、一人だけ目覚めない少年がいた。三週間後に目覚めた彼、ナカタは、すべての記憶を失っていたばかりか、知的障害を負い、文字の読み書きもできなくなっていた。六十歳になったナカタは相変わらず読み書きができなかったが、猫と話ができた。
 そんなナカタの前に、猫を捕まえて殺す男、ジョニー・ウォーカーが現れる。ジョニー・ウォーカーはウヰスキーのラベルに描かれているあの男そっくりの格好をしている。ちなみにこの後カーネル・サンダースも登場する。ナカタはそんなつもりはなかったのだが、ジョニー・ウォーカーの猫殺しを阻止するために彼を殺してしまう。実はジョニー・ウォーカーこそが村田カフカ少年の父親だったのである。
 そしてナカタは自分でも説明できない使命感に駆られて「入り口の石」を探すために村田カフカのいる四国へ向かう。こうして、物語は神話的に展開していく。
 モチーフとしては「オイディプス」だが、カフカ少年の物語の終盤は「冥界に行って帰って来る」という「オルフェウス」か「イザナギイザナミ」のような筋立てになっている。
 カフカ少年の指導的な位置に立つ人物が三人いて、象徴的な姉であるさくら、母かも知れない女性の佐伯、そして大島という青年である。後に大島は性同一性障害の女性である事が判る。つまり三人とも女性なのだが、それには意味があるような気がするのだが良く判らない。保護者的な神話元型としてグレートマザーがあるが、男性的な指導者のオールドワイズマンという元型だってあるのだ。父を殺し母親から自立していく少年、という形式の面もあるが、そんな薄っぺらい話でもないと思う。何か、母性というものの功罪二面と関係がありそうな気がしている。
 元型といえば、愚者でありながら賢者でもあるという意味でナカタはトリックスターだが、途中からナカタの旅の手助けをするホシノという青年が非常に面白い。善良でも正直でもないちゃらんぽらんなお兄ちゃんで、親切からと言うより「ここまで来たら成り行きを見ずには去れない」という好奇心から付いて行ってるうちに、ナカタのことが気に入ってしまうのである。そして、ナカタを助けながら旅しているとホシノ青年に大きな変化が起こる。それまで週刊誌以外にまともな本を読んだことがなかった無教養なホシノ青年が、トリュフォーの映画に興味を持ち、ベートーベンの『大公トリオ』に心酔するようになっていく。
 結局のところ何が起ったのか、という「神秘の全体像」は最後まで示されない。まあ、全部判ったら神秘ではないわけだが、もうちょっとどこに何が繋がってどこへ向かっていたのかが見えても良かった気もする。あるいは逆に全くの不条理小説にしちゃうとか。その辺は趣味だろうけど。そういう意味では、高山羽根子は全く俺の趣味に合う。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://castela.asablo.jp/blog/2024/03/12/9667045/tb