長谷敏司著『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』2023年03月15日 22:50

 書き下ろし長編。コンテンポラリーダンサーの護堂恒明は交通事故で右足を膝下で切断する。彼は、AI制御の義足を着け、新たな踊りを模索し始める。そして、知り合いの谷口の起こしたダンスカンパニーでは、知性はあるが人間性(ヒューマニティ)を持たないAIロボットと、人間のダンサーを共演させることで、人間性を表現することを試みようとしていた。この人間とAIが共同でダンスパフォーマンスを作り上げようとする試行錯誤の過程が前半の主筋。
 AIやロボットに妙な感情移入をせず、終始、非人格的な作業手順(プロトコル)の集積としてとらえているところが、ロボットSFとしてはやや珍しい。
 護堂たちが模索を続けているさなか、護堂の母が死に、ダンサーの先人として敬愛していた父が認知症を発症する。後半は、父親の介護と自分のダンサーとしての訓練や試行をどう両立させていくかという護堂の苦闘が中心に描かれる。人間性を失っていく父親とどう関係を結んでいくかという問題は、最初から人間性を持たないAIロボットとの共演の問題にも影響を与えていく。
 AIを芸術表現に役立てようという試みは現実にも数多いが、それらは、技術によって不可能だった表現ができるようにしたり、人間にはできなかった着想をさせたりしたのち、作品の評価を人間がするものがほとんどである。それに対し、この作品では、AIの側に何らかの価値を持たせ、それを人間の価値と相互作用させようとするのが面白い。また、護堂たちがやろうとしていることは学術ではなく芸術表現なので、観客に何らかの芸術的興奮を呼び起こさなければ意味がない。ずいぶん欲張りである。
 もう一つの読み処は、身体表現であるダンスを文章で描写するという、最初から不可能なことを試みている点である。どの程度成功しているかは読者毎に異なる判断があろうが、最後の護堂とロボットとの共演の描写が圧巻であることは誰もが認めるのではなかろうか。
 全体の筋立ては、AIロボットや認知症となった父親とかかわりながら、ダンスを通じて人間性について考えを深めていく護堂が、新たな境地を開いていく、というある種の教養小説である。この主題を延長していくと、AIと人間の共生社会の在り方という問題にたどり着くと思うのだが、著者はどのように考えているのだろう。『BEATLESS』にはなるまいと思うのだが。
 題名から「人間性が現れてくる手続き(プロトコル)」についてのSF的(嘘科学的)な説明を期待する人もいるかもしれないが、というか俺はちょっと期待したのだが、そういう話ではない。ダンスに取り憑かれた一人の男の話である。そういう意味ではSFではない。どちらにせよ面白かった。

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