五味俊晶編著『真鍋博 本の本』 ― 2023年03月01日 22:05
書籍や雑誌などの表紙を中心としたイラスト集。想像力を刺激され、理屈を言わんでも見ているだけで楽しい。無機的でシャープな絵柄でありながら冷たい感じにならないのは、多少冷笑的ではあるが全体にユーモラスだからであろう。不可能画像でない作品にも、なんとなくマグリットやエッシャーに通じるシュールな雰囲気が漂うのは、そういう視線の「外し方」によるものか。個人的には、点数を減らしてでも大きな図版を増やして欲しかった。
伴名練編『新しい世界を生きるための14のSF』 ― 2023年03月08日 22:47
まだSFの著書がない新人の作品ばかり集めた変なアンソロジー。編者によれば「にもかかわらずこんな本を作ったのは、今の日本SF界が七〇年代以来の黄金時代を迎えつつあること----才能ある作家が綺羅星のごとく登場していることを、SFファンのみならず広い読者に知ってもらいたい、作品でじかに味わってほしいという重いからである」(p.8)ということである。
一番好きなのはmurashit「点対」であろうか。万引きの疑いをかけられた双子のそれぞれの言い分が一行交代で述べられていく実験小説。やがて、第三者の叙述が紛れ込んでくるところがなかなかシュールである。また、思考実験的な作品の多い中、天沢時生「ショッピング・エクスプロージョン」は、サイバーパンクな設定の冒険活劇で気を吐いている。
全体の印象は、青春小説や恋愛小説的なセンチメンタルさが目立ち、ちょっと俺には甘すぎる感じ。新海誠が好きな人には面白いかもしれぬ。それからこれは俺の勝手な期待だが、小粒な作品が多い。新人なればこそ世界や宇宙に関わる主題を描いて欲しい気もする。あ、なんだか爺の小言みたいな感想になってしまった。いやみんな上手である。上手に纏まっていたから癪に障ったのであろう。年寄り特有の身勝手さである。
十四編の全てに、伴名練による主題毎のSF案内が付されている。取り上げられた主題は、AI、愛、実験小説、宇宙、異星生物、動物、超能力、改変歴史、言語、環境激変、VR/AR、ポストコロナ、バイオテクノロジー、想像力。編集後記で編者はさらに次のような主題の作品も紹介したかったと述べている。すなわち、神、宇宙論、脳科学、ディストピア、ポストヒューマン、ワイドスクリーンバロック、スペースオペラ、時間、戦争、終末、奇想。いずれも普遍的であり現代的でもあり未来的でもある。SFの特徴の一つであろう。
一番好きなのはmurashit「点対」であろうか。万引きの疑いをかけられた双子のそれぞれの言い分が一行交代で述べられていく実験小説。やがて、第三者の叙述が紛れ込んでくるところがなかなかシュールである。また、思考実験的な作品の多い中、天沢時生「ショッピング・エクスプロージョン」は、サイバーパンクな設定の冒険活劇で気を吐いている。
全体の印象は、青春小説や恋愛小説的なセンチメンタルさが目立ち、ちょっと俺には甘すぎる感じ。新海誠が好きな人には面白いかもしれぬ。それからこれは俺の勝手な期待だが、小粒な作品が多い。新人なればこそ世界や宇宙に関わる主題を描いて欲しい気もする。あ、なんだか爺の小言みたいな感想になってしまった。いやみんな上手である。上手に纏まっていたから癪に障ったのであろう。年寄り特有の身勝手さである。
十四編の全てに、伴名練による主題毎のSF案内が付されている。取り上げられた主題は、AI、愛、実験小説、宇宙、異星生物、動物、超能力、改変歴史、言語、環境激変、VR/AR、ポストコロナ、バイオテクノロジー、想像力。編集後記で編者はさらに次のような主題の作品も紹介したかったと述べている。すなわち、神、宇宙論、脳科学、ディストピア、ポストヒューマン、ワイドスクリーンバロック、スペースオペラ、時間、戦争、終末、奇想。いずれも普遍的であり現代的でもあり未来的でもある。SFの特徴の一つであろう。
春暮康一著『法治の獣』 ― 2023年03月10日 22:44
中編三編を収録。いずれも未来の宇宙で発見された奇妙な異星生物と太陽系人類の関わりを描く。以下ネタバレを含む。
「主観者」では、可視光で通信し合う生物が登場する。彼らは一個体では知性を持たないが、高速通信することによって、個々の個体が神経細胞のように、あるいはコンピュータの素子のようにふるまって、群れ全体が一つの意識として機能する。
「方舟は荒野をわたる」では、そのスケールアップ版で、多種の生物で構成される生態系全体が「一人格」てして機能している。
表題作に登場する一角獣のような「シエジー」は、知性は持たないが、生態的なフィードバック機構が働いて、全体として最大多数の最大幸福を実現するように「判断」しているようにふるまう。それがタイトルの「法治」の意味である。
いずれの異星生物も詳細に考察、描写されていて面白い。「多数が集まることで個体を超えた判断が行われる自己組織化された生物システム」というのが三編に共通する主題の一つ。
もう一つの主題は「人類が、あるいは宇宙を航行する知性が、異星生物に対してどのように関わるべきか」というもの。「主観者」と「法治の獣」では、その失敗が描かれ、「方舟は荒野をわたる」では希望が描かれる。この方向で延長していけば、「宇宙倫理」という主題に行き着くはずだが、さて著者の興味はそちらへ向かうのか。注目したい。
「主観者」では、可視光で通信し合う生物が登場する。彼らは一個体では知性を持たないが、高速通信することによって、個々の個体が神経細胞のように、あるいはコンピュータの素子のようにふるまって、群れ全体が一つの意識として機能する。
「方舟は荒野をわたる」では、そのスケールアップ版で、多種の生物で構成される生態系全体が「一人格」てして機能している。
表題作に登場する一角獣のような「シエジー」は、知性は持たないが、生態的なフィードバック機構が働いて、全体として最大多数の最大幸福を実現するように「判断」しているようにふるまう。それがタイトルの「法治」の意味である。
いずれの異星生物も詳細に考察、描写されていて面白い。「多数が集まることで個体を超えた判断が行われる自己組織化された生物システム」というのが三編に共通する主題の一つ。
もう一つの主題は「人類が、あるいは宇宙を航行する知性が、異星生物に対してどのように関わるべきか」というもの。「主観者」と「法治の獣」では、その失敗が描かれ、「方舟は荒野をわたる」では希望が描かれる。この方向で延長していけば、「宇宙倫理」という主題に行き着くはずだが、さて著者の興味はそちらへ向かうのか。注目したい。
高山羽根子著『パレードのシステム』 ― 2023年03月11日 22:36
主人公は美術学校在学中にその作品がSNSで注目され、海外の国際芸術祭に招待されるまでになり学校を辞める。しかし、彼女は人から見れば「栄光」と思える自分の立場に戸惑い、居心地の悪さを感じていた。
そんな折主人公の祖父が自死する。遺書などはなく理由は判らない。祖父の葬式で、主人公は初めて祖父が日本占領下の台湾で生まれたことを知る。新聞の切り抜きなど、台湾とかかわる遺品を受け継いだ主人公は、知り合いの台湾人、通称「梅さん」に遺品の中国語を読んでもらうが、祖父の台湾時代のことはよく判らない。
父の葬式で台湾に帰るという梅さんに招待され、主人公は葬式に参列する。台湾時代の祖父についていろいろと調べてくれる梅さんに対して、主人公は「私は、自分の作品によって友人を死なせました」と告白する。
主人公の一人称で語られるのだが、作中で何度か「切実」という言葉が使われる。主人公は何事にも切実を持つことができない自分に後ろめたさを感じている。それに対して自死した祖父や友人にはおそらく切実があった。切実、強い現実感、切羽詰まっているということ。
画家であった梅さんの父が、何かのオブジェの材料として収集したロボットのペッパーがアトリエに積み上げられている場面など、幻想になりそうで、ギリギリのところでこちら側に踏みとどまっていて興味深い。
そんな折主人公の祖父が自死する。遺書などはなく理由は判らない。祖父の葬式で、主人公は初めて祖父が日本占領下の台湾で生まれたことを知る。新聞の切り抜きなど、台湾とかかわる遺品を受け継いだ主人公は、知り合いの台湾人、通称「梅さん」に遺品の中国語を読んでもらうが、祖父の台湾時代のことはよく判らない。
父の葬式で台湾に帰るという梅さんに招待され、主人公は葬式に参列する。台湾時代の祖父についていろいろと調べてくれる梅さんに対して、主人公は「私は、自分の作品によって友人を死なせました」と告白する。
主人公の一人称で語られるのだが、作中で何度か「切実」という言葉が使われる。主人公は何事にも切実を持つことができない自分に後ろめたさを感じている。それに対して自死した祖父や友人にはおそらく切実があった。切実、強い現実感、切羽詰まっているということ。
画家であった梅さんの父が、何かのオブジェの材料として収集したロボットのペッパーがアトリエに積み上げられている場面など、幻想になりそうで、ギリギリのところでこちら側に踏みとどまっていて興味深い。
長谷敏司著『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』 ― 2023年03月15日 22:50
書き下ろし長編。コンテンポラリーダンサーの護堂恒明は交通事故で右足を膝下で切断する。彼は、AI制御の義足を着け、新たな踊りを模索し始める。そして、知り合いの谷口の起こしたダンスカンパニーでは、知性はあるが人間性(ヒューマニティ)を持たないAIロボットと、人間のダンサーを共演させることで、人間性を表現することを試みようとしていた。この人間とAIが共同でダンスパフォーマンスを作り上げようとする試行錯誤の過程が前半の主筋。
AIやロボットに妙な感情移入をせず、終始、非人格的な作業手順(プロトコル)の集積としてとらえているところが、ロボットSFとしてはやや珍しい。
護堂たちが模索を続けているさなか、護堂の母が死に、ダンサーの先人として敬愛していた父が認知症を発症する。後半は、父親の介護と自分のダンサーとしての訓練や試行をどう両立させていくかという護堂の苦闘が中心に描かれる。人間性を失っていく父親とどう関係を結んでいくかという問題は、最初から人間性を持たないAIロボットとの共演の問題にも影響を与えていく。
AIを芸術表現に役立てようという試みは現実にも数多いが、それらは、技術によって不可能だった表現ができるようにしたり、人間にはできなかった着想をさせたりしたのち、作品の評価を人間がするものがほとんどである。それに対し、この作品では、AIの側に何らかの価値を持たせ、それを人間の価値と相互作用させようとするのが面白い。また、護堂たちがやろうとしていることは学術ではなく芸術表現なので、観客に何らかの芸術的興奮を呼び起こさなければ意味がない。ずいぶん欲張りである。
もう一つの読み処は、身体表現であるダンスを文章で描写するという、最初から不可能なことを試みている点である。どの程度成功しているかは読者毎に異なる判断があろうが、最後の護堂とロボットとの共演の描写が圧巻であることは誰もが認めるのではなかろうか。
全体の筋立ては、AIロボットや認知症となった父親とかかわりながら、ダンスを通じて人間性について考えを深めていく護堂が、新たな境地を開いていく、というある種の教養小説である。この主題を延長していくと、AIと人間の共生社会の在り方という問題にたどり着くと思うのだが、著者はどのように考えているのだろう。『BEATLESS』にはなるまいと思うのだが。
題名から「人間性が現れてくる手続き(プロトコル)」についてのSF的(嘘科学的)な説明を期待する人もいるかもしれないが、というか俺はちょっと期待したのだが、そういう話ではない。ダンスに取り憑かれた一人の男の話である。そういう意味ではSFではない。どちらにせよ面白かった。
AIやロボットに妙な感情移入をせず、終始、非人格的な作業手順(プロトコル)の集積としてとらえているところが、ロボットSFとしてはやや珍しい。
護堂たちが模索を続けているさなか、護堂の母が死に、ダンサーの先人として敬愛していた父が認知症を発症する。後半は、父親の介護と自分のダンサーとしての訓練や試行をどう両立させていくかという護堂の苦闘が中心に描かれる。人間性を失っていく父親とどう関係を結んでいくかという問題は、最初から人間性を持たないAIロボットとの共演の問題にも影響を与えていく。
AIを芸術表現に役立てようという試みは現実にも数多いが、それらは、技術によって不可能だった表現ができるようにしたり、人間にはできなかった着想をさせたりしたのち、作品の評価を人間がするものがほとんどである。それに対し、この作品では、AIの側に何らかの価値を持たせ、それを人間の価値と相互作用させようとするのが面白い。また、護堂たちがやろうとしていることは学術ではなく芸術表現なので、観客に何らかの芸術的興奮を呼び起こさなければ意味がない。ずいぶん欲張りである。
もう一つの読み処は、身体表現であるダンスを文章で描写するという、最初から不可能なことを試みている点である。どの程度成功しているかは読者毎に異なる判断があろうが、最後の護堂とロボットとの共演の描写が圧巻であることは誰もが認めるのではなかろうか。
全体の筋立ては、AIロボットや認知症となった父親とかかわりながら、ダンスを通じて人間性について考えを深めていく護堂が、新たな境地を開いていく、というある種の教養小説である。この主題を延長していくと、AIと人間の共生社会の在り方という問題にたどり着くと思うのだが、著者はどのように考えているのだろう。『BEATLESS』にはなるまいと思うのだが。
題名から「人間性が現れてくる手続き(プロトコル)」についてのSF的(嘘科学的)な説明を期待する人もいるかもしれないが、というか俺はちょっと期待したのだが、そういう話ではない。ダンスに取り憑かれた一人の男の話である。そういう意味ではSFではない。どちらにせよ面白かった。
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