柴田元幸著『翻訳教室』 ― 2022年04月28日 21:50
20年12月 1日読了。
柴田元幸が東京大学で行なった授業「西洋近代語学近代文学演習第1部 翻訳演習」の内容を文字化したもの。あらかじめ配布された課題文を学生が授業の前に翻訳し、それを挟んで教師と学生が話し合いながら修正を入れていく、という形式。
俺は別に翻訳家になる気もなければ、英語で本を読む気もない。授業内用への単純な興味で読み始めた。内容も、具体的な翻訳技術に終始して、特別に言語思想的なことは言わない。にもかかわらず、ここには何か、読むこと書くことについて、普遍的な何かが語られている感じがする。まあ、翻訳について語れば、英語と日本語の一般性と特殊性とか、言語と文化ということに触れざる得ないから、当然なのかもしれないが。
岸本佐知子の解説にあるように、柴田の指導は具体的で明文化されている。必ずしも論理的ではないが、感覚的なものでも必ず根拠が示される。
「そうやって訳文がじょじょにできあがっていくプロセスを追うのは、翻訳しているときの翻訳者の脳内を覗き込んでいるようなスリルがある」(「解説」p.407)。
「一つの単語に正しい訳語をあてるためには、前後の文脈や作品全体を貫く大きなデザインや、時にはその作品が書かれた時代背景や作家のバックグラウンドにまで踏みこんで読む必要がある。本書ではその筋道がいたるところで開示されている」(「解説」p.408)。
俺が特に興味深かったのは、英語では自然な言い回しを日本語にしようとすると不自然になる場合、いかに自然な日本語を探し出すか、という議論である。
「要するに、中心的な情報がまず出てきて、それから細部が出てくるわけだ。英語の語順はこれが基本です。ところがこれを日本語に訳すと、日本語では動詞が最後に来るのでどうしても細部が先に出てしまい、全体像が最後に回ってしまいがちなので、工夫が要ります。たとえば、全体の雰囲気を匂わせる『ぶらぶら』みたいな言葉を一言先に出しておくとかね」(p.18)。
「K君のもうひとつのポイントは、一般論としてはもうまったくそのとおりで、英語は割とセンテンスからセンテンスへと移る際に主語が動いてもいいんですよね。ひとつのセンテンスの中でも主語はほいほい動く。でも日本語はあんまり主語がしょっちゅう入れ替わらない方がいいので、次のセンテンスの主語が『君は』だったら、その前も『君は』に直した方がいいということはよくあります。一般論としてね」(p.29)。
主語がほいほい動いても読者が混乱しないのはなぜか。もしかしたら英語は主語と視点があんまりくっついていないのではないか。主語が揺れても視点は揺れないから読みにくくならないのでは、などと思い付く。日本語を書く上で、なまじな「文章読本」よりも勉強になる。
柴田元幸が東京大学で行なった授業「西洋近代語学近代文学演習第1部 翻訳演習」の内容を文字化したもの。あらかじめ配布された課題文を学生が授業の前に翻訳し、それを挟んで教師と学生が話し合いながら修正を入れていく、という形式。
俺は別に翻訳家になる気もなければ、英語で本を読む気もない。授業内用への単純な興味で読み始めた。内容も、具体的な翻訳技術に終始して、特別に言語思想的なことは言わない。にもかかわらず、ここには何か、読むこと書くことについて、普遍的な何かが語られている感じがする。まあ、翻訳について語れば、英語と日本語の一般性と特殊性とか、言語と文化ということに触れざる得ないから、当然なのかもしれないが。
岸本佐知子の解説にあるように、柴田の指導は具体的で明文化されている。必ずしも論理的ではないが、感覚的なものでも必ず根拠が示される。
「そうやって訳文がじょじょにできあがっていくプロセスを追うのは、翻訳しているときの翻訳者の脳内を覗き込んでいるようなスリルがある」(「解説」p.407)。
「一つの単語に正しい訳語をあてるためには、前後の文脈や作品全体を貫く大きなデザインや、時にはその作品が書かれた時代背景や作家のバックグラウンドにまで踏みこんで読む必要がある。本書ではその筋道がいたるところで開示されている」(「解説」p.408)。
俺が特に興味深かったのは、英語では自然な言い回しを日本語にしようとすると不自然になる場合、いかに自然な日本語を探し出すか、という議論である。
「要するに、中心的な情報がまず出てきて、それから細部が出てくるわけだ。英語の語順はこれが基本です。ところがこれを日本語に訳すと、日本語では動詞が最後に来るのでどうしても細部が先に出てしまい、全体像が最後に回ってしまいがちなので、工夫が要ります。たとえば、全体の雰囲気を匂わせる『ぶらぶら』みたいな言葉を一言先に出しておくとかね」(p.18)。
「K君のもうひとつのポイントは、一般論としてはもうまったくそのとおりで、英語は割とセンテンスからセンテンスへと移る際に主語が動いてもいいんですよね。ひとつのセンテンスの中でも主語はほいほい動く。でも日本語はあんまり主語がしょっちゅう入れ替わらない方がいいので、次のセンテンスの主語が『君は』だったら、その前も『君は』に直した方がいいということはよくあります。一般論としてね」(p.29)。
主語がほいほい動いても読者が混乱しないのはなぜか。もしかしたら英語は主語と視点があんまりくっついていないのではないか。主語が揺れても視点は揺れないから読みにくくならないのでは、などと思い付く。日本語を書く上で、なまじな「文章読本」よりも勉強になる。
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