『東京大学公開講座74 未来』 ― 2021年07月07日 21:30
19年 1月14日読了。
「未来」を主題にした東京大学公開講座の講演集。政治経済から、文化、地球宇宙の未来まで、様々な方向から未来を語る。二〇〇一年の講演を収めた物だが、インターネットのイの字もでてこない。企画・人選に先見の明がなかったのであろう。
政治経済に対してさまざまな分析予測が成されていたが、特に少子化と財政再建に関しては、現在まで全くこれっぽっちも髪の毛の先ほども進展がない。
十八年も前の講演だから新しい知見はないのだが、やはり松井孝典の「地球と人間圏の未来」が興味深い。また、葬送に於ける「身体の死と社会的死」を文化人類学的に論じた、池澤優「死の先にある未来 宗教的終末論における滅びと望み」も面白かった。
「未来」を主題にした東京大学公開講座の講演集。政治経済から、文化、地球宇宙の未来まで、様々な方向から未来を語る。二〇〇一年の講演を収めた物だが、インターネットのイの字もでてこない。企画・人選に先見の明がなかったのであろう。
政治経済に対してさまざまな分析予測が成されていたが、特に少子化と財政再建に関しては、現在まで全くこれっぽっちも髪の毛の先ほども進展がない。
十八年も前の講演だから新しい知見はないのだが、やはり松井孝典の「地球と人間圏の未来」が興味深い。また、葬送に於ける「身体の死と社会的死」を文化人類学的に論じた、池澤優「死の先にある未来 宗教的終末論における滅びと望み」も面白かった。
桐光学園中学校・高等学校編『大学授業がやってきた! 知の大冒険 桐光学園特別授業』 ― 2021年07月08日 21:27
19年 1月17日読了。
二〇〇七年度に行われた、桐光学園中学校・高等学校の「土曜講座」の内容を纏めた物。大学の講師が中学高校生向けに講義した。
池田清彦「オスとメスの生物学」の、染色体がnの細胞は不死で、2nの細胞は必ず死ぬ、という話が面白かった。また、菅原正「化学で挑む人工細胞モデル」の、人工的に細胞を作ろうとする試みも大変に興味深い。
自然科学は実証性を問題にするところに緊張感がある。そこへいくと、北澤憲昭「近代日本の画家たち」や宇佐美毅「人間はなぜフィクションを必要とするのか」は、頭だけで拵えたような感じがある。
二〇〇七年度に行われた、桐光学園中学校・高等学校の「土曜講座」の内容を纏めた物。大学の講師が中学高校生向けに講義した。
池田清彦「オスとメスの生物学」の、染色体がnの細胞は不死で、2nの細胞は必ず死ぬ、という話が面白かった。また、菅原正「化学で挑む人工細胞モデル」の、人工的に細胞を作ろうとする試みも大変に興味深い。
自然科学は実証性を問題にするところに緊張感がある。そこへいくと、北澤憲昭「近代日本の画家たち」や宇佐美毅「人間はなぜフィクションを必要とするのか」は、頭だけで拵えたような感じがある。
桐光学園中学校・高等学校編『高校生と考える希望のための教科書』 ― 2021年07月09日 21:49
19年 1月19日読了。
桐光学園大学訪問授業講義録。
高橋悠治「思想や主義でどこまでもまっすぐ進もうとして壁にぶつかったら、その手前に別な可能性が開けている、進むためには、まず戻って、古代までさかのぼれば、まったくちがう可能性があるかもしれない」(p.34)。
台湾出身の両親を持ち日本で生まれ育った作家、温又柔(おんゆうじゅう)が自分のアイデンティティの問題を扱った作品が芥川賞候補に成ったとき、宮本輝が「日本人にとって対岸の火事」と評した。中沢けい「(それに対して温は)『関係ない』と言われたのと等しいと激怒しました」(p.194)。
玄田有史「もう一つは、ベストを選ぶことが難しいときは、ワーストを考えることです。考えられる最悪の状況を想定してそれを避けるようにする。ワーストでなければ、あとはやってみて考えればいいと思います」(p.228)。
谷川俊太郎「伝えたいことはないですよ。あったら散文で書きますから」(p.298)。
メッセージという言葉が嫌い「メッセージを、なんて言われたら、僕はこう言うことにしているの、『電気はこまめに消しましょう』」(p.303)。
「僕はすべて書かされていると考えています。言葉は自分を超越したところから出てきている。(略)言葉は私有できないものだから、自分のものだと思わないほうがいいです」(p.306)。
表紙には『鉄腕アトム』の一コマが印刷されていて、アトムがこう言っている。「御茶ノ水博士 ぼくは……どうしたらいいんですか!!」。
桐光学園大学訪問授業講義録。
高橋悠治「思想や主義でどこまでもまっすぐ進もうとして壁にぶつかったら、その手前に別な可能性が開けている、進むためには、まず戻って、古代までさかのぼれば、まったくちがう可能性があるかもしれない」(p.34)。
台湾出身の両親を持ち日本で生まれ育った作家、温又柔(おんゆうじゅう)が自分のアイデンティティの問題を扱った作品が芥川賞候補に成ったとき、宮本輝が「日本人にとって対岸の火事」と評した。中沢けい「(それに対して温は)『関係ない』と言われたのと等しいと激怒しました」(p.194)。
玄田有史「もう一つは、ベストを選ぶことが難しいときは、ワーストを考えることです。考えられる最悪の状況を想定してそれを避けるようにする。ワーストでなければ、あとはやってみて考えればいいと思います」(p.228)。
谷川俊太郎「伝えたいことはないですよ。あったら散文で書きますから」(p.298)。
メッセージという言葉が嫌い「メッセージを、なんて言われたら、僕はこう言うことにしているの、『電気はこまめに消しましょう』」(p.303)。
「僕はすべて書かされていると考えています。言葉は自分を超越したところから出てきている。(略)言葉は私有できないものだから、自分のものだと思わないほうがいいです」(p.306)。
表紙には『鉄腕アトム』の一コマが印刷されていて、アトムがこう言っている。「御茶ノ水博士 ぼくは……どうしたらいいんですか!!」。
スティーヴ・エリクソン著『真夜中に海がやってきた』 ― 2021年07月10日 22:14
19年 1月22日読了。
歌舞伎的な因縁の連鎖が面白かった。主人公と言うか視点人物が次々に入れ替わっていき、それぞれの人生が少しずつ重なり合い、ぶつかり合い、擦れ違っているのだが、その全体像を視野に収めている人物は居らず、神の目を持つ語り手と読者だけが彼らの関り合いの網の目の奇妙さが見えている。その事が哀れなようなもどかしいような居心地の悪さを読者に感じさせる。
登場人物は全員気が狂っている。キーワードは「アポカリプス」「ミレニアム」「夢の消失」「未来の記憶」そして「カオス」。
カレンダーの再構成によって世界を再構築しようとする男と、地図の再構成によって同じことをしようとする男が登場する。
この作品は一九九九年に発表されており、新たな千年紀の新たな黙示録というのが一つの主題に成っているが、現実の新千年紀は、例の事件で幕を開けた。小説は崩壊の予感を描いたが、現実に起こったのは物理的な崩壊だった訳である。現在は旧世界と新世界の間のカオスの時代なのであろう。
小説の最初と終わりに東京が出て来るが、これが完全な作者の創造による架空の都市である。東京都民は皆手の甲に断片的な地図が描かれていて、一千五百万人の都民の手の甲を合わせないと地図が完成しない、という設定の奇怪さ。
東京には「記憶」が不足しているらしく、密輸入されたタイムカプセルが取引され、記憶を聞き記憶を語る「メモリーガール」という奇妙な職業が存在している。
時間と空間のカオス。
歌舞伎的な因縁の連鎖が面白かった。主人公と言うか視点人物が次々に入れ替わっていき、それぞれの人生が少しずつ重なり合い、ぶつかり合い、擦れ違っているのだが、その全体像を視野に収めている人物は居らず、神の目を持つ語り手と読者だけが彼らの関り合いの網の目の奇妙さが見えている。その事が哀れなようなもどかしいような居心地の悪さを読者に感じさせる。
登場人物は全員気が狂っている。キーワードは「アポカリプス」「ミレニアム」「夢の消失」「未来の記憶」そして「カオス」。
カレンダーの再構成によって世界を再構築しようとする男と、地図の再構成によって同じことをしようとする男が登場する。
この作品は一九九九年に発表されており、新たな千年紀の新たな黙示録というのが一つの主題に成っているが、現実の新千年紀は、例の事件で幕を開けた。小説は崩壊の予感を描いたが、現実に起こったのは物理的な崩壊だった訳である。現在は旧世界と新世界の間のカオスの時代なのであろう。
小説の最初と終わりに東京が出て来るが、これが完全な作者の創造による架空の都市である。東京都民は皆手の甲に断片的な地図が描かれていて、一千五百万人の都民の手の甲を合わせないと地図が完成しない、という設定の奇怪さ。
東京には「記憶」が不足しているらしく、密輸入されたタイムカプセルが取引され、記憶を聞き記憶を語る「メモリーガール」という奇妙な職業が存在している。
時間と空間のカオス。
養老孟司著『身体巡礼 ドイツ・オーストリア・チェコ編』 ― 2021年07月11日 21:43
19年 1月24日読了。
ヨーロッパの墓を巡る旅のエッセイ。
「目に見えず、測定不可能な自分の意識が、目に見えて、測定可能な自分の行動を左右するなら、それは『念力』というしかないではないか」(p.26)。
「現代社会は、世界が理性的に解明し得るという、錯覚を与え続けている。デカルトはそんなことはいわないであろう。彼が提案した理性はあくまで方法であって、結論ではない。だから『方法序説』なのである。車を正しく運転していれば、どこかに行くことはできる。しかしどこに行くのか、目的地に関する保証などない。車がきちんと動いているんだから、目的地に必ず着くはずだというのは、信仰に過ぎない。もちろん私は信仰を馬鹿にしているのでもない。科学的であろうとなかろうと、人間はなにかの信仰を持つしかないのである」(p.26)。
「徹底的に攻撃されるということは、じつはなにか核心を付いているということの裏返しでもある。後ろめたい人ほど、無意識に自分が疑いを持っている中心的なイデオロギーに対して、強く防御的になる。『そういう考えもあるかもしれないね』とはいわないのである」(p.122)。
「子ども、人形、お面というのが、怪談やスリラー映画で使われる典型的な小道具である。人間のようで人間でないというべきか。いったいなにを考えているんだろうと、当方の想像力を刺激するから使われるのであろう」(p.154)。
「日比谷公園とか、ハイドパークを散策すると、要するにまがいもののサバンナじゃねーか、という気がすることがある。そう思うと、マンションの壁全体が崖に見えて、それぞれの家が崖の穴に見える。二十一世紀には多くの人が穴居生活に戻ったわけである」(p.155)。
ヨーロッパの墓を巡る旅のエッセイ。
「目に見えず、測定不可能な自分の意識が、目に見えて、測定可能な自分の行動を左右するなら、それは『念力』というしかないではないか」(p.26)。
「現代社会は、世界が理性的に解明し得るという、錯覚を与え続けている。デカルトはそんなことはいわないであろう。彼が提案した理性はあくまで方法であって、結論ではない。だから『方法序説』なのである。車を正しく運転していれば、どこかに行くことはできる。しかしどこに行くのか、目的地に関する保証などない。車がきちんと動いているんだから、目的地に必ず着くはずだというのは、信仰に過ぎない。もちろん私は信仰を馬鹿にしているのでもない。科学的であろうとなかろうと、人間はなにかの信仰を持つしかないのである」(p.26)。
「徹底的に攻撃されるということは、じつはなにか核心を付いているということの裏返しでもある。後ろめたい人ほど、無意識に自分が疑いを持っている中心的なイデオロギーに対して、強く防御的になる。『そういう考えもあるかもしれないね』とはいわないのである」(p.122)。
「子ども、人形、お面というのが、怪談やスリラー映画で使われる典型的な小道具である。人間のようで人間でないというべきか。いったいなにを考えているんだろうと、当方の想像力を刺激するから使われるのであろう」(p.154)。
「日比谷公園とか、ハイドパークを散策すると、要するにまがいもののサバンナじゃねーか、という気がすることがある。そう思うと、マンションの壁全体が崖に見えて、それぞれの家が崖の穴に見える。二十一世紀には多くの人が穴居生活に戻ったわけである」(p.155)。
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