グレッグ・イーガン著『万物理論』2025年11月02日 22:23

 SFの古典的名作だが不勉強なことに初読。まあイーガンだったけどね。中核となるアイデアは、宇宙論の人間原理を拡張した非常にハードなものだが、物語の展開は冒険活劇的なエンターテインメント。イーガンはいつもそう。この着想でクラークや小松左京ならまた違った展開になっていたであろう。どちらが良いとか正しいとかいうことはないけど。
 人間原理は「宇宙が人間に適した条件になっているのはなぜか」という疑問に対して、因果を逆に考えて、「宇宙を観測する人間という存在が可能になるには、このような宇宙でなければならなかった」と主張している。本書における人間宇宙論は、宇宙の存在の根拠を「物理学のすべてを統合し、万物の基礎を説明する万物理論を発見するたった一人の人物」に求める。ビッグバンに始まるすべての宇宙の歴史は、その人物と万物理論に向けて突き進んできた、という理論である。
 もちろん、そんなことを信じている人はほとんどいないのだが、それをカルト的に信じている一部の人々が、<基石(キーストーン)>と呼ばれるその人物を巡って争っている。
 時は2055年、近未来の様々な科学技術や、社会生活、人種やジェンダーについて事細かに描写される。そのうえ、物語の主筋とは別に、人口の島に作られたある種のユートピアが、国際企業に侵略される脇筋が絡む。もうてんこ盛りである。
 主人公はこの島で行われる物理学のイベントを取材しに来た科学ジャーナリストなのだが、彼の予想したことはことごとく外れる。物語の終盤になれば、そろそろ自分の洞察力に疑問を持ってもよさそうなのなのに、最後まで勘違いを繰り返す。

フィリップ・K・ディック著『ユービック』2025年11月12日 22:40

 長編。1969年発表。舞台は1992年の未来。ここでは、超能力者を抱える企業と、超能力を妨害する一種のセキュリティ企業が対立している。この反超能力者のチームが、未知の超能力者と戦うために月へと乗り込んでいく、というのが物語の発端。一般的なエンターテインメントなら、ここで両者の対決という冒険活劇的展開となるところだが、そこはディックである。月へとやって来て早々に反超能力者のチームは爆弾に逢って敗北し、地球へと逃げ帰る。
 しかし、その後彼らの周囲の現実世界は奇妙な崩壊を開始する。最新型の自動車がクラシックカーに変わり、トランジスタ・ラジオが真空管ラジオに変わってしまうという退行現象が起こり始めたのだ。このあたりがイメージ的に一番面白いところ。また、任意に選んだはずの商品の箱の中から、彼らを助ける示唆をメモした紙片が現れたりして、何か超越的な存在の助力があることを予測させ、わくわくする。退行現象を止める「ユービック」という薬のようなものがあるらしく、主人公のジョー・チップはそれを探し求めて、1939年にまで退行した世界をさ迷い歩く。
 終盤、何か結末らしきものをつけようと整理を開始したと思われる節もあるが、結末は付いていない。そこもディックらしくてよい、というのは贔屓の引き倒しであろうか。

カート・ヴォネガット・ジュニア著『スローターハウス5』2025年11月15日 22:23

 長編。1969年発表。「ビリーはけいれん的時間旅行者である。つぎの行き先をみずからコントロールする力はない。したがって旅は必ずしも楽しいものではない。人生のどの場面をつぎに演じることになるかわからないので、いつも場おくれ(ステージ・フライト)の状態におかれている、と彼はいう」(p.35)。
 ビリー自身は取り立てて傑出した人物ではないが時代もあり偶然もあって、彼の人生はなかなかドラマチックである。とりわけ大きな事件は三つある。一つは、第二次世界大戦に徴兵されドイツで捕虜になって、連合軍によるドレスデン無差別爆撃をアメリカ兵でありながら被害者として経験する。もう一つは、飛行機の墜落事故に遭い、搭乗者の中でただ一人生き残ったこと。最後の一つは、トラルファマドール星人の円盤に誘拐されて、彼らの星の動物園に収容され、同じように拉致された若い女優と番わせられたことである。
 トラルファマドール星人の時間感覚は独特で、彼らにとって時間は流れ去るものではなく過去も現在も未来も「そこに既にあるもの」である。ビリーの時間旅行能力はおそらくその影響であるが、因果関係は明示されていない。その能力のため、物語は時系列順には語られず、頻繁に前後に跳躍する。戦場でも異星人の動物園でもビリーは無力で、彼はただ翻弄されるばかりである。
 戦後、彼は成功するが、それも彼の妻の一族の力によるもので、ビリー自身は成り行きの中で流されているようなものである。彼はそれを諦念にも似た気持ちで受け入れている。何しろすべての時間は「既にそこにある」のである。それを象徴するかのように、死の描写の後には必ず「そういうものだ」という言葉が付け加えられる。
 「アメリカは地球上でもっとも豊かな国である。しかし国民の大半は貧しく、貧しいアメリ人たちは自分を卑下せざる負えない状況におかれている。アメリカのユーモア作家キン・ハバートの言葉にしたがえば、“貧乏だからってべつに恥じゃないんだが、やっぱり恥なんだな”。貧民の国でありながら、現実には貧乏することはアメリカ人にとって犯罪にも等しいのだ。賢く、徳が高く、したがって権力や富を持つもの以上に尊敬される貧民の物語は、世界各国の民間伝承に見うけられる。しかしアメリカの貧民のあいだに、そのような物語は存在しない。彼らはみずからを嘲り、成功者たちを称揚する」(p.155)。